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書くリハビリ 規格外?だからこそ

良くも悪くも、普通じゃない。

自分でも不思議なほどに、どうしても、いわゆる普通以上の事ができてしまうこともあれば、自分にとっては「あれ?今のおかしかった?」という程に普通にやってしまう。

生まれた時代が昭和だったので、兎に角皆と同じに押し込められるも、都合が良い時には、おなじじゃない部分は利用される。

どうにもこうにも、踏んだり蹴ったりにしかならないので、敢えて自分で抑えながら過ごしつつ、戒めも込めて「自分は異質であり、異端である」みたいな考え方すらするようになってたわけですが。

まぁ、そういう昭和というか。時代どうこう以上に、住んでる地域としても保守の色が強いどころか強すぎる。

都市部でも、過疎地というような人が少ない所に行けば感じられそうな、田舎根性と言われるもの。

規格外だったので、自然と外側に置かれつつ、それでも内側にはめ込まれるという矛盾を受けながら過ごしてきたからこそ、視えてるもの。

そういうものも、こう、語ってみるのも良いかもしれませんね。


どうしても生まれる指向性

日本に限ったことではないです。これはハッキリ言っておきます。

ただ、研究という分野に目を向けると、物によっては海外の方が枷が少ない=より自由ではある。

うん。でもねぇ、それでもねぇ。

どうしても、安心欲しさに、一定の指向性でまとまってしまうのも人間なのよ。

そして、この安心に罠がたんまり仕掛けられてる。

こういう部分は、時代や国、伝統、文化関係なく、未だにそういう物を持ってしまうのが人間、だと思います。

そして、そういう部分があるからこそ、正しいだ、間違いだを言う割に、上辺や表面だけの話で終始してしまい、深く掘り下げないからこそ、同じ過ちを繰り返す。

イジメの問題とかも正にそれなんですよね。

個人としては、今は耐性や免疫ができてるものの、それが出来ないうちから感じ取る部分が鋭かったので、ほんとこう、すごく苦手です。

溜飲を下ろすとか、個人の満足とか、都合が良いレベルまでの正義とか。

もうね?表情にも、声にも、言葉にも、そういうのが含まれてるって気づく人は気づく、感じる人は感じるんですよね。

だからこそ、優しくするという部分でも、見た目だけで相当に気づいてしまうし、それを受け入れようとするので、周囲から見ると優しすぎると言うほどに接してしまいます。

うん。

それについても、やる側としてもまだまだ深いので、まだまだ先があるのですが、到底追いつけないし自分はできないからと。突っぱねてしまうので、理解ではなく、個人の実態の把握すらも出来ない。

結果、いつまでたっても、不思議がるし、それが無意識下の恐れや危ぶみという感情を揺らしてしまうので、攻撃してくる。

まぁ、余りに深い所に行ってしまってるからか、霊長類かっこわらい、とかおもってしまうんですよ。

知能がある分、感情の扱い方も長けてしまってて、動物以上にやっかいなだけで。理性だ知性だいうけど、楽を選びすぎたがゆえに、感情が勝る方に逆戻りしちゃってるとも言えなくないです。

まぁ、そんな感じで、ね。

どうにもこうにも、自然と、その時その時の主流と逆を行く。そういう下地を持ってると、その外側から見ることにもなり、

なんかこう、流れとしての指向性に流されてしまうのが、変わらないのよねぇ。

と、ため息をついたりします。

とはいえ。安心できないことには自分を保つのは難しいので、必ずしも悪いことではないわけですが。

誰しも、不満や愚痴をこぼしつつも、進む道、目的地がはっきりしてるなら人混みの中でももがいて進もうとするじゃないですか。

意外と無意識の内にそうやって、苦労したり、強引に進もうとしたが故足を踏んでしまいトラブルを生んだりしても、進むべき方に進む。

それが、人生というながーい道の中でも、やらなきゃいけない。

っていうか、利がある時はそうやって進むのに、利がないからって楽するなし!と。

内心毒づくことは多いです。

なのでねー?

流れに乗ってるだけで流されてばかりだと、ホント、ね?

普通の人の大半がそうだから、少数派になれません。

知ったなら、学んで深めて取り込んで。自分自身が活かしなさいよ。

そうしなきゃ、まず語れないし、語った所で偽物にしかならないので。

何がとは言いませんけどね。


いい加減、これ止めない?

年功序列とか、右向け右で皆と同じとか。

確かにね。悪い方=人の迷惑になるような問題行動は諌めるのは当たり前だと思います。

でも、個人としては「凄い、よく出来る」と褒められたとしても、それが危ぶませる事もあったので、親や大人たちにすっごい抑え込まれたという、ね。

経験どころか、心の傷。今でも走馬灯と言わんばかりに、数が多いので特定のものがフラッシュバックではなく、一気に色々駆け巡って、

うわああああああ!!!します。未だに。

就職氷河期の入り口だったとはいえ、終戦時点では幼いかっただけという、終戦後の立て直しをガチでやってきた年代の人が職場に居て。

「よく頑張ってる、そう認められるのに、評価されないのは。時代とは言えお前たちは可愛そうだなぁ」

なんて言われてました。

なんかこう、日本は技術大国みたいに誇る事がありますが、その内側では、どうしてこうなった・・・も多いんですよ。実際。

ただただ流れに乗るだけで良かったし、他にも出来る人が居たからこそ、不要な仕事をせず済んだから、一定レベル程度には仕事が出来てただけ=能力として誇る。

そういう人たちが、なんかこう、偉そうにしてるわりに、過去の栄光にすがるばかりで、PCとかオートメーションには「もう年が・・・」ってね。

悪いけど、母校である高校、その入学当初の校長は、ね?

PCの普及から新しくそういう分野に特化した学校を作る、そのメンバーに抜擢されただけでなく、高齢になってからPC学んで、そこが認められて校長になったという人で。

うーん?学生時代は散々大人たちに、自分たちは偉いんだって無駄に叱られ、無用な体罰も受けてきたけど、コレどうなの?って思ってたんですよね。

とはいえ、今までに何度か言及しましたが、なんでか不思議と

「仕方がない」なんですよ。

いや、変わろうよ?これからを変えようよ?って言っても、そう簡単に世の中変わらないし”苦労したくないから”

不満や愚痴を口にしたり、正しさを求めるのに、変えるのは面倒くさいからやりたくない。

Ω\ζ°)チーン

そりゃ、数人じゃ変わらないですが、変わっていった人たちが、自分の子供に伝えて云々。そうやって人を増やしてかないと、かわんねーよ!当たり前だよ!

結局それがどうなってるか?というと、今でも普通に目にできますよ。

目先だったり、場当たりだったりで、短期的な視野でしか考えられない人が多すぎ、だから変わらない。それだけでなく、短いスパンで新しい言い分が出てしまうので、根本の問題が増えすぎる。

どうしようもないんですよ。

新しい時代っていうけど、人間っていうか、日本の根底はこれで、楽をして多くを得ようとするばかりになってしまってる。

便利にするだけだと、何故便利にするのか?という理由すら見失うから、ただただ楽するだけになっちゃうよ?

どうしてこうなった・・・。


それはただの楽ですよね

喜怒哀楽ではポジティブになる、楽という文字。

楽しいのは大事なことなんですよね。

とはいえ、それがラクをするという、楽になるとどうなるか?

怠惰、嫉妬、暴食あたりですかね。7つの大罪とされる概念の複数を取り込んでの悪いものになってしまう。

何事にも、良い悪いが付きまとう。

それは、たとえ言葉であってもそうですし、だからこそ、扱い方を考えなきゃいけない。

こういう事を言うと真面目すぎ、ですからね(苦笑)

その真面目すぎな部分で、助かってる、感謝してるって周りは言うから面白い。

真面目すぎ、そこまでやる必要はない、お前がおかしいというのに。

いや、私が真面目なんじゃなくて、周囲が楽をしてるだ・・・け・・・。

そりゃもう、1歳時点で年齢不相応の気づきしてたので、嫌でも磨かれるわけです。苦労も多かったけど。

結果、自分の親より年上の人に「大人だなぁ」とか感心されたりしましたが、逆にこちらは肩がガックリですよ(笑)

そりゃ、大人な対応してきてますもん。子供の頃から。

ほんとこう、小学生の頃は話し合いすらさせてもらえない、大人たちが圧力で、何かしらの役割を無理やり押し付けてくるほど。

そういうのが続いたので、諦めもついてしまったし、以降は諦観という感じで、人間なんて楽をする生き物だから、と。進んでおっ被るようになり、社会人になってからは加速した結果、

「なんでそんなに仕事が出来るんですか?」

そりゃ、ちゃんとやってれば出来るでしょ。ちゃんとやる=感覚的な感じ取りが自然と作用することでの注意力、そこからの報連相、そして経験、と。

不満があったり、愚痴をこぼしたりしつつも、ちゃんと「仕事」に向き合ってましたし、ただただ言われたままこなすだけではなく、仕事=相手が居るでもあるので、ね。

それが消費者だろうが、社内の他部署やそこの担当者だろうが、同じレベルで相手を尊重してましたもの。

仕事ってそういうことでは?が個人の見解ですが、これまた真面目すぎ、と。

真面目なんじゃない、気づいちゃう、感じ取っちゃう、だからどうしてもそうなるというのも、何度も話したんですけどね。


面倒見云々の理由

確かに、こう、ね。見てるだけでも相当に色々気づきますし、そこに言葉があるようなら、更に深く感じ取れてしまう。

だからこそ。

辛い経験をしてる分それを他者に与えるのではなく、優しさとして与えることで、そうあるのが良いことだから、と。

教えて、それを広げるしかなくね?

嫌な思いを広げるより、良い思い=安心や信頼を広げたほうが、関係性よくなりますから。

普通にこんな感じだし、根底には辛い経験があるからこその、自分は辛さを与えない。可能な限り。

だから、人の振り見て我が振り直せとか言うんですよ。実際に、直して来てましたし、直すも何も感受性由来で自然とそうなってたほど、です。

なので、弱さに逃げ込んでるだけなのは、おかしい。それこそ、自分がよく言われるありえない、なんですよ。

うん。

あとはまぁ、社宅住まいだった頃の経験とかもありますが、幼い頃から素や地が男の子らしくなかったのも理由かなぁ、とは思います。

成人してからも、少なからず赤ちゃんを抱く機会があったりすると、

「何であんたが抱いた時だけ眠るんだろうね」

みたいなことも結構ありましたし、人見知りすると言われる子でも、結構平気なんですよ。

寧ろ、あやしマスターとか言われるほどに、抱いたらすぐに眠るということも多いです。

社宅住まいだった頃も、幼稚園に通いだしてからは「いつになったら帰ってくるのか?」と訪ねてくる下の子って多かったみたいですし。

評判も良かったですし、記憶が残るようになってからも、

「ほんと、生くんが居てくれて助かるわぁ」

という感じで、買い物に行く際も子供の方から私と遊びたい、と。前にも書きましたが、遊んでる姿を確認されると、年下の子は親と離れることになっても、私の所に来てましたし、ただでさえ男の子らしくない=危険行為には目を見張ってたので、怪我も少なければ、擦り傷くらいだと手当も私がやってたので、余計に安心できる、そんな感じでした。

というか、客観的に書くと、自分上げになるせいか、書いてて凄い嫌だなぁとは思うものの、まぁ、面倒見が良いと言われる実態はこんな感じです。

加えて、それが自然とか素で出来てたので、興味を持たなかった、そういう道に進まなかったというのもあれば、長男で跡取りという部分からの過干渉は悪い方に働いてます、ね。

今からでも、とは言われるものの。

メンタルブレイクして、修復中なので、無理です。

人と関わる仕事だと、どうしても、ね。

避けては通れないものがあるし、そういうのも視えすぎてしまう、気づきすぎてしまうので、負担は大きいんですよ。


あとがき

なんかこう、思い出しつつ、色々書いてみましたが。

なんとなくですが、現状はやっぱり変えたほうがいいかなぁという気持ちがわいたので、そういう部分に触れてみました。

感受性が高いからこそ、いわゆる普通の枠が適用できない。適用しても驚きや評価に繋がる程のレベルが、そんなのは個人としては普通の事という、ね。

社宅住まいだった頃も、私の方に来てた=私のほうが優しさ大半、でも悪いことはきちっと正す、だったので、自然とこう、親や大人に対する疑念や違和感を感じてる子供って多いのでは?と。

思います。

当時はそういうの気付けなかったですが、相手を見つつ、年下だからと上から抑えつけもせず、1人の人間同士で接してたんですよ。

ほんとこう、何で記憶がこんなに残ってるの?という感じですが、忘れてる部分も多いですよ?実際は。

でも、この時を待ってたのか?と言わんばかりに、きっちり保持されてるんですよね(笑)

やんちゃしてる子には危険性について教えてた。そうした時は、公園のどの遊具でやってたのか?とかも覚えてますし(笑)

公園自体は今でも残ってるものの、引っ越しもあって30年以上通ってないのに、当時の状態がイメージ出来てしまうほど、です。

間違ってる部分は出るでしょうけどね。

こういう、記憶力という部分でも過去に母から、

「あんた、何でそんなにハッキリと、その年齢のときのこと覚えてんの?私でも忘れちゃってるけど」

というのは、よく言われてました。

辛い記憶、嫌な記憶だけでなく、不思議と、ね。感受性という部分にまつわる記憶って残ってるんですよね。

どうしてもこう、皆それぞれ相応にそういう部分を持ってるとは思いますが、無意識の内の観察やその記憶からは、私が居ると私だけが何故か言われてしまってる。そんな感じです。

「なんでそんなに、ちょっとした事で、疑問をぶつけてくるの?同じ程度なら他の人もどうようでしょ?」

と言った所で、○○さんはいい、でもお前はおかしい。

・・・・何でそうなるんです?(´・ω・`)

うん。

しかも、その○○さんからも、「一緒にしないで、あんたのは特殊」と言われる事も当たり前のように起きてました。

 何故こうなってたんでしょうね?

ホント不思議です。

ということで、今回はコレにて。

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