神経が、敏感?え?
なんとまぁ、次から次とにょっきにょき。
というか、神経って、その・・・
体の中で、様々に信号を送ってる物であって、それが敏感というより、感覚器が敏感なので、
神経の伝達の頻度や強弱なら、感じ取れますけど。
神経そのものが敏感ということは、まず無いと思います。
何かしら感覚を受け取る感覚器。ここの感度が良すぎる=敏感と。
そこが刺激なり影響なりを受けて、受けたものが信号として神経を通って、脳に伝わる、と。
なんでそう、ね。
適当な事を言うんでしょう?
なんでも、上げれば良いとでも・・・
思ってる、考えてる。のでしょうか・・・。
流石に敏感として言うには、無理があるというか。
「神経」だと、体を走ってる神経系がまず浮かびますし、歯科医で抜いたことがあれば、その際の痛みから、
神経が敏感とか、どんだけ痛い思いすんの?
流石に、こう、ね。
いくらなんでも言えば良いというのも、流石にこれはひどい、と。
そう思います。
なんていうか、神経質とごっちゃにしてるんですかね。
なんかこう、ほんとね。
気にするとか、気に病むとか。
あまりに酷いようなら、不安神経症を疑ってみればどうですか?と。
全般性不安障害との診断だった頃、診断書とかをお願いすると、不安神経症と記載されてた経験があります。
うん。
そう、不安障害。
イチイチ人のことが気になる、振り回されるなんてのは、社交不安障害=対人恐怖という様な、人を恐れてる、怯えてるから、という理由はないでしょうか?
なら、まずは病院を受診したほうが良いと思います。
うん。
気になる?気にする?それは寧ろ周囲
ちょっとこう、気づくとか、一瞬だろうが見えたとか、兎に角おかしい程に気づく、色々読み取る。それこそ人だけでなく場や環境、状況次第では物についても、です。
個人としては、それが当たり前なのですが、あまりに外れすぎてるからか、
「周囲が無駄に気にして、声かけてくるの面倒くさいです」
そもそも、気付いたら終わりではなく、気づくからこそ取捨選択や判断も行うわけで。
そういう取捨選択や判断から発生するのが、行動です。
それが余りにも違い過ぎる。
それ故に、あり得ないだ、おかしいだと、”個人に対する否定”とも言える言葉をガンガンぶつけられます。
それでいて、そういう部分って、ヒヤリハットからの危険予知と言わんばかりに、ヒヤリするまえに対処しに行くくらいなので、
「やってもらえる分にはありがたい。でも、そこまでするやつはお前しか・・・」
配慮だ、気遣いだも、周囲が寧ろ気にしてしまうほどに、自然とやってしまう、出来てしまう。
迷惑どころか、助かるくらいなのに、何の問題があるのか?
「自分と、自分たちと違い過ぎるから。自分には出来ないから」
IQの差があると話が噛み合わないとかありますが、それに近しいんですよ。
あまりに気付きすぎるので、話は噛み合わない。でも、相談上手だ、教え上手だ言われるくらいなので、説明して一定の納得は得られます。
ただ、それでも「自分たちと違う」という理由だけで、”そうある個人”にしてもらえない。
なので、定期的に同じことを繰り返されてしまう。
そして、そういう部分には、無意識下からの薄っすらとしたグラつき。優位性を取られてしまってるという、底からの不安やらで、どうしても話は聞けない、否定ばかりする、と。
まぁ、無意識云々には、あくまで推測とか可能性ですが、想像するだけでもそのくらいまで踏み込めるんですよ。
それこそ、目に見えてますからね。
細かいところが。
どうして消えたの?この部分
初期の頃は、5人に1人という、ね。
そういう、希少な人です!(キリッ、みたいな事を語る人も多かったのですが、何で見なくなったんでしょう?
エビデンスや正確性の担保は確かに無いと思います。
でも、実際にそうあるタイプだったら、
「なるほど、そういう話が出てくるのも、納得できるかなぁ」
という感じで、ね。
正確に打ち出すにはデータが必要なんでしょうけど、実際にそういう人なのか?は基準がないので決めようがない。
なので、あくまで大雑把にデータを取ってみて、なんとなくこのくらいの割合なのでは?を出してきた、という想定もできます。
とはいえ、高いと言われるラインをどこに打ち込むか?というのは、相当に難しいと思います。
実際問題、日本語なんて色んな置き換えができてしまうので、自分の主張に使おうとか、自分はそういう人だったんだ!みたいな自己愛拗らせとか、色んな人が浮き彫りになってしまってる。
どうしても、目に見えない部分。それは、自分であっても。
あくまで、思考として言葉は浮かんできても、どういう仕組でそういう言葉が浮かぶのか?は視認できないので、確認ができない。
なので、混沌としてしまうのも、わからなくもない。という側面はあります。
でもねぇ。
あれ程に、希少性を謳ってたのに、何故流れが続く中でそれが消えたのか?というのは正直疑問です。
まぁ、疑問とは言え、ある程度の推測はしてますけどね。
ただ、こういう部分からも、ブームあるあるってやっぱりいい加減、と。
使ってた言葉が見られなくなったり、勝手に個人が「自己肯定感が低い」とか付け足しだしたり。
流石に、ね。
酷いと思います。
それにね。
気になる、気にするなんて、そもそも理由があるはずなので、自分がそれを知ろうとせず、HSPだからとか言い出すだなんて・・・・。
彼を知り己を知れば百戦して殆うからず。
己を知れてないじゃないか、と。
そうも思います。
あとがき
流石に、ね?
対人恐怖とか社交不安障害なのでは?という人も散見されます。
なんで、病院で診察可能な方に流れないで、基準がない方に流れてきて、好き好き語るなんて事をするのか。
それはというと、
目をそらしてないですか?不都合な現実から。
そういう事を、何度と無くツッコミ入れてるわけですが。
精神疾患への理解や認知が広まった・・・のか?これは。
そういう疑いすらも持ってしまいます。
不安障害。中でも、対人恐怖と以前は言われてた、社交不安障害の可能性がありそうな人も多いんですよね。
人のことが気になるとか、怒られたら沈んでしまうとか、まさにそれと言うか。
他者に対して怯えたり、怖がったりしてるから、気にして意識を配らなきゃいけなくなる。
子供にしても、上手く面倒を見れなきゃいけない。そういう圧力が周囲からあったりするのでは?と。更には、その状態で孤立しがちとか。
そういう線も疑います。
そして、そう言う部分からの恐れがあり、気持ちや意識をアチコチ分散させてたら、
疲れるのが当たり前
です。
HSPという言葉に逃げるのではなく、現実と向き合わないと根本が変わらないですし、言葉に逃げたところで疲れや心配事って無くならないでしょ。
それなのに、自分を特別視したいという、自己愛みたいな所から、HSPという言葉を用いてしまう。
言葉は薬ではないですし、何も変わらない。
ただただ、HSPという言葉を使って、目を背けてる事やそうある自分の吐出口にしてるだけ。
痛いかもしれないですが、そういう線もあるんじゃないですか?
だからこそ、中途半端な知識で、中途半端な行動に出る。
言葉ってのは、人の意識、思考、感情を乗せて使うものでもあるし、そこには無意識という部分も、間違いなく乗ってます。
ホントこう心理学上の概念ですから。
扱いに対する知識だけでなく、自身の心理、精神状態の把握もしたほうが良いと思います。
ということで。
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