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見て無いようで見ている

幼少期を振り返りつつ、HSCかどうかはさて置き、既に感受性としての部分が幼稚園では出始めてたので、その記憶を辿りながら話してみようかなと思います。

うん。

冷静というか、少なからず普通であれば、見て無いようで見てる、気付く、察するという感じで、そういう部分が抜けてるだけでなく、そこから行動を起こす事で手助けにもなったりして、褒められたり評価されてたのですが。

これがね。怒ってる時だと逆転するんですよ。

怒ってると感情が優位に働くし、そこに付け入られもします。

怒るにしてもパターンがあり、そこも見抜いてるんですよね。

本当に悪い事をしたから怒ってるのか?

思い通りにならない事を怒ってるだけなのか?

後者の場合って、思い通りにならないからを理由に怒ってる方も悪いみたいな喧嘩両成敗になると思います。

そういう部分に持ち前の感受性であっさり気付くんですよね。

という事で行ってみましょう。


黙ってないで何か言いなさい

幼稚園の頃に、同級生というか同じクラスの子だったり、違うクラスでも怒られてる子がいるとすぐ気づいて観察してたんですよね。

この、すぐ気づくというのも未だにそうで、怒やそれに付随する不満やイライラはすごく気付きやすかったりしますし、私から言えば「それ程の物を漏らして空気中に散布してる」という感じです。

まぁ、ね。そうやって見てるとある事に気付くんですよ。

怒られてる側の子は相手の目を、相手の方を見てない向いてないよね

という状況が多かったりしました。

で、そういう時って大方、

「黙ってないで何とかいいなさい!」

ってね。怒るんですよ、先生や大人が。

そしてそういう状況を見てると、ちょっと待ってよ先生、相手の状況をちゃんとみて聞き取りしようよ、ほんとこう怒る大人って言う程色々できない…。

って感じてしまうので、首を突っ込むんですよね。

そして、相手の方を見てない、向いてないのに物を言わずに黙ってるタイプの子って、

・家庭事情として、親が怒るという経験から、怖くて言えない言い返さない

・うまく言語化できなくてフラストレーションを溜めてる

という感じで、上手く立ち回れてないから言えないんですよ。そして、今でこそこういう言語化が出来るのですが、幼い当時は出来ないなりに「何か理由があるんだな?」という気づき、察しが働いて状況を把握してたりします。

なので、首を突っ込む事にもなるんですよね。


問い返しと聞き出し

個人として、成長してからの相談に乗る場合に必ずやる事になってた事として、これがあったりします。まぁ、成長したから単純に言語化出来るのでやってたのですが、よくよく考えると、幼稚園児時点でやってたわという感じです。

別に怒られてる状況じゃなくても、うまく伝えられなくて我慢してる子っているんですよね。それでモヤモヤしてたり、絵を描くように言われてる時に手が止まってたりします。

そう言うのにも気づいてたので、先んじて行動に出て聞きだして先生を呼ぶって事をやってましたし、こういう部分が面倒見が良いという評価に繋がってたのかな?と思います。

先の項でも挙げたように、自分としての意見を言うだけで親が怒る、そもそも上手く言語化が出来なくて言えない、そういう部分から黙ってると子供であるが故に色々溜まるんですよね。

この、言語化云々については、今となっては成人知能検査をやったおかげで言語性IQがちょっと変わってると示されたので、当時からそうあった事に気付けたのですが、

あくまで個人的に、その年齢時点であらぬ方に抜けてただけです。

なので、一人が出来るから皆一様ってわけでも無いですし、成長する過程で出来る様になるタイプもいるので、同じように出来なければAD/HDかも?とか考えるのは幼過ぎると危ないかな、と思います。そしてこれは余談。

まぁ、出来る方ではあったのと、そこややっぱり気づいてる察してるので代わりに、問い返して聞き出すって事をやってました。

んで。怒ってると出来ないんですね、こういうのって。

怒り方にもよりますが、怒りに飲まれ過ぎてるのって気付くんですよ。声色や声調、語調、言葉の選び方、雰囲気、表情、仕草などなど、色んなところから漏れててうわー!するくらいです。

なので、首を突っ込んで怒られてる子に話を聞いて、それを代わりに伝えるという事をやってました。

言いたいことがあって言える子って、むきになって歯向かうんですよ。幼くても。そういうのも、自分と違う子から見て学んでたりします。普段からね。

なので、上手く伝えられない事に、大人イラついてるんだなって把握してたんですよね。

そして、自分が怒られるときは、すぐ泣く子ではありましたが、ちゃんと相手を見てますし、単純な不満からイラついてるだけの場合は目を見てたりしてました。

そういう私も、言えないんじゃなくて、いう言わないの取捨選択をしてたので、黙ってないで言えと言われると...。

痛い所をグサリと言わんばかりに、「ただただ勝手にイライラしてそっちが怒ってるだけで悪い事は何もしてない」とかキッパリ跳ね返してました、私の場合。

で、口を開いた以上、倍返しだ!ではなく、喧嘩両成敗だ!と言わんばかりに言ってしまい、火に油を注ぐという事をやってたんですよね。

ほんと、いやらしい子(笑)

と、話が逸れましたが。

まぁ、怒ってしまうのもわからなくないんですよね。大人とか、先生とか、親とか。ただ、普段から言動を気を付けてないといけないと言うか。

大人の方が正しいんだ、そう言わなくてもそういう風に感じ取れる物言いをしてたりすると、因果応報じゃ!と言わんばかりに言い返す子でもありました。

そういう意味では、怒りに飲まれても冷静になって、どんなタイプの子でも問い返しとか、聞き出しは出来ないといけないかなぁ?と思いますし、個人的にHSCと言われる子に注意してほしいと言うのは、こういう部分からなんですよ。

ただただ、怒りをぶつけられてるだけって気付きますし、そうあるからこそ大人とか子供とか関係なく、一人の人間として意見を言ったり、相手に対しても年齢問わずそう言う見方もしてたりします。

そこをね。子供のくせに!みたいな対応してると、ダメなんですよ。見抜かれてますから、というのが理由にあったりします。

と、言う事で、次。


その結果として

まぁ、子供が首突っ込んで代わりに伝える事に、逆に火に油もしかねないですが、流石に周囲に他の大人が居ると、気付かれます。

まてまて、怒るのもわかるけど、冷静になって話を聞きなさいと助け舟を出してくれますし、そうなる事で自身の至らなさを示されてしまい怒りの行き場が失われてしまうので、それはそれで悪手なんですよね。

とはいえ、大方上手くいくというか。

まぁ、言えない理由を説明しますからね。そこでやっぱり気づくものなんですよ。改めてその態度がどういう物か?を考えられるようにもなりますので。

ホントね、怒るのは良いんだけど、それって相手に怒りの感情をぶつけるし、感受性って誰しも持ってるから、怒りをぶつけられる事で相手にも怒りを誘発させてしまうんですね。

そして今となっては、怒ると叱るを使い分けなさいよ、とか言う事にもなる、と。

あと、怒ってる時って大方、立ち上がって上から目線になってたりするんですよ、自然とね。

本能的な部分っていうのかなぁ。大きく見せて相手を威嚇しようみたいになりがちだとも思います。

また、幼いと感受性とは別として、親に対する愛着みたいな部分から怒られると不安を感じるんですよね。嫌われるかもしれない、みたいに。

なので、叱るにしても出来れば感情を抑えた方がいいですし、目線を合わせる=自身の頭の位置を低くする、しゃがんで体を小さく感じられるようにするというのは必要かな?と思います。

これが出来てる人って、やっぱり上手い事立ち回れる人って多いんですよ、っていうのも、しれーっと観察してるというか、気付いてたり感じ取ってたりするんですよね。

意識が向いてなくても。

と、結果の話は少なくなりましたが。

現状、ただでさえストレスは感じやすい環境下ですし、そうあるからこそ、冷静さって見失いやすくもなると思います。

また、愛着という部分から嫌われるのを不安がるのは子供らしさでもあるので、そういう部分から親に嫌われないように隠すというタイプも居るでしょう。

そういう意味では、生きづらさどうこうより、どうやってそれと向き合うのか?ってのは重要だと思いますし、感受性由来であれば大人以上に一歩踏み込んだ見方をしてるタイプもいるので、今の環境下程注意は必要かなぁと思います。

感受性由来だと、こういう事言うと怒るって分かってるからこそ、言わずにだまるし、自分が他の子と違う事もバッチリ把握してたりします。

個人的に母からアドバイスを貰ったけど、その時点で自覚もあったので、「あ、やっぱり違ってたんだ」っていう気づきの後押しになったくらいでしかなかったりします。

なのでまぁ、厄介なんですよね。本当にHSCってタイプだったり、そのレベルが高かったりすると。

自分がそうか?ってのは、あくまで概念だし、計りようがないから自身としては感受性が高いにしてるだけ、というのもオマケとして添えておきましょう。


あとがき

ということで。

親や先生、周囲の大人たちが怒ってるという状況下で、私がどうあったか?というのを少しばかり踏み込んで挙げてみました。

こういうのもね、そんな事あるはずがないとか言われますが、母親からすると1歳の時点でおかしかったのは気づいてたので、あんたそんな事よく覚えてんねみたいにね、記憶力への影響みたいな部分もあったりします。

見える、感じる、気付く、察するという部分で、違和感として感じ取った後に、状況の把握もして、必要であれば手を貸す、首を突っ込むという判断すらしてたんですよ。

そりゃ、記憶に残りますわい、みたいな。

とはいえ、確実に残り始めたのって幼稚園の年長くらいからだし、それ以前は印象として焼き付いた物しか残って無かったりします。まぁ、それでもよく覚えてるって話にもなるんですが。

こういう話って、自分だけではなく周囲も含めて、幼いが故に至らない、成長が追いついてなくて不得手になってる部分だと思いますし、当人が気付けないので周囲が気付いて上げれる事って大事だと思います。

現状は、プライバシーだ、個人だってのが強くなったので首を突っ込まないのですが...。

遊んでる時に声を大きく上げる事ってあると思いますが、ストレスの発散としての金切り声みたいなのを出してる子って多いです。

騒いでるのではなく、明らかにこれは発散してるだろうって感じで、異質な声が混ざってるんですよね。

戸建て団地内の公園が近くにあるのですが、遊具が足りないからか、散歩がてらからか、近くの保育園から遊びに来たりするんですよね。今日の午前中にそうあったのですが、

辛かったですorz

単純に声云々もあるのですが、本能的な部分から解放してるというか、思いっきり声を出すのに、感情や色々が籠ってるからこその金切り声が飛んでくるので、そこからもうあれやこれやなんですよね。

そういう意味では、親の前では見せないとしても、やっぱり子供であっても一人の人間。

言語化が出来ないけど、何かを感じてるんだなぁってね。

そして、個人としては何の対処もできない、と。こういうのは責任感じる物でも無いし、現状メンタル病んでてまともに動けないので、無理をしないようにとも言われもしますけど。

受け止めてしまったからねぇ。何とも複雑な物を得てしまった。そんな感じです。

そういう意味では、生きづらいっていう言葉に出来ない子供たちも大変だけど、必死なんですよね。

と、色々思う所があったので、記事として起こしてみました。

それでは。


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