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言葉に踊らされるなかれ

個人的に、こう感受性とかHSPとかについては、お口が酸っぱくなりがちな私でございますが。

一応というか、ちゃんとした理由はあります。

うん。

なんていうか、本当に申し訳ないけど。

掘り下げ方が足らないんですよ。

その辺について、まぁいつも通り書きたいと思います。

ということで。

まず最初に

その様子を言葉にすると色んな表現が出てくる。

ただそれだけであって、実際の根本にあるのは

「兎に角感じ取った事で反応を示してるだけ」

なんですよ。

驚いてる、動揺してる、圧倒されてる。

いや、そうじゃない。

感じ取った事で反応をしてるだけ。

例えば大きな音を聞いた時に、心臓が飛び出るという表現をしてしまうくらいに、心臓あたりがドキッ!とするだけでなく、人によっては体が軽く飛び上がるような動きを自然としてしまうという事もあろうかと思います。

その、反応をしてるだけ、なんですよ。

そこに、何故そう言う風になったか?という部分をつなぎ合わせると、

「大きな音が聞こえた事で、心臓が飛び出る、体が跳ねるという反応を示した事に対し、驚いた、動揺した、圧倒されたという表現や言葉に置き換えると相手に伝わりやすくなる

だから、そういう驚いただなんだ、言われるだけであって、実際は体が反応してるだけ、って事が根本だったりします。

この辺の根本をどうとらえるのか?

これをしっかりしてないと、途端におかしな話になってしまうから、止めなはれという感じで、個人的にごちゃごちゃ言ってしまうんですね。

そこについても少し解説しようと思います。


線引きできなくなる部分があるから

先に、驚いたとか、圧倒されたとか、そういう表現を使ったので、個々でもそういう部分での状態について語りたいと思います。

ただ、それだけでなく、色んな部分で当てはまるので結構面倒くさいのだけど。

まぁ、何の線引きかというと、

感じ取った事での単純な反応なのか、性格や好み、嗜好、感情等個人の価値観なのか?という部分との線引きが曖昧になってしまうという事があるんですよ。

昨今のHSPブームでおかしな話が出てくるのは、

「間違いなく、性格や感情という個人の価値観や判断基準由来の物が多すぎるから」

です。

だから、感じ取った反応がどうあるか?ではなく個人がそうしたいからそうしてる、そうしようと思ってそういう事をしてるだけ、という部分をHSPの特徴にこじつけて、自分はHSPだと誤認したまま語りだす。

HSPって感受性の話で、感じとる、知覚するという部分の話なので、それが発生した結果どう思った、そういう状態になる事での感じ取りがどうなった、どう動いたじゃなくて、最初の時点での感じ取った、知覚したという時の動きの話にしないと、感受性なの?性格なの?がすこぶる曖昧なんですよ。

正直ね?

気にし過ぎとか、思い悩むじゃないですよ。掘り下げるとか徹底的に処理するってのは。

それは何故か?って考えながら、奥に、深くに進んでいくという感じです。

なので、気にする必要もなければ思い悩む事もありません。善悪とか、正誤も関係ないし、現実問題としての「なぜそうなるのか?」を突き詰めてるだけ、です。

そもそも、何で気にするのか?悩むのか?を掘り下げてみてください。

そこには、自分の価値観とか、善悪や正誤の判断だったり、それを優先したくて現実より自分の感情を優先してしまう、という状態に陥ってると思いますよ。

んで。

心理学としての感受性の話ですからね。

こういう掘り下げって自分で自分の心理に触れるような物で、自分の価値観や判断基準を挟んだら、途端に性格とか好みとか、色んな要素に囚われてしまってるってね。そういう話になるのではないですか?っていう所からも、心理学としての感受性の話ってどういうもので、どんな内容なんですか?って考えようよ、って言ってるのが実情だったりもします。


そういう部分も踏まえた上で

以前にも言ったんだけど、全然なくならないというか。

感受性としての、内向的、外向的というのはどういう話なんですか?HSSだHSEだなんだ付ける人は、そういうのを把握してるからこそ付けてるんですよね?

という意味で、感じとる、知覚するというラインでの感受性に、内も外も関係ないし、そんな話おかしくない?って話もしてたりします。

この内向、外向も西欧の社交界文化の名残から、悪い意味で外に出ないやつは変みたいな勘違いにも繋がってるという話もしました。

で、外向型とか言ってる人って、大方この勘違いにハマってるっていうかね。外に出るって話になってる人多いですし。アウトドアで使う物に触れるみたいなのを挙げてる人も居るくらい。

だからなんで、そんなに自分に合わせた話で物を語ってんの?みたいなね。

HSPってなんかかっこいいし、自身の弱さを都合の良い言葉にすりかえたくて名乗ってるんじゃないですか?みたいなね。


朱に交われば何とやら

こう言う物言いをしてると、嫌と言うほど出くわすんですよね。

お前は間違ってる!

あ、いや、違いますね。

お前みたいに深く突っ込む奴は居ないし、こっちの意見の人の方が多いんだから、お前は間違ってる!

うん、そりゃそうだ。

HSPって数少ないようですしね?(´・ω・`)

って言う感じで、地雷を自ら踏んで自爆するんですよ。HSPだなんだ関係なく人の世の中って。

だからこそ、イジメすらも無くならないし、マイノリティだ、多様性だ、権利だ自由だって言っても、都合の悪い物は除外されるだけって流れになるわけで。

動物に近しいような、本能染みた優越感に浸りたいが為なのかはわかりませんが、それじゃあどうしましょうか?ではなく、善悪二元論に途端に傾くのが人の世で。理性だ知性だなんてのも、割とお飾りなんですよ。

それをお飾りにしないようにするために、「自分で考えましょう」なんだけど、有名著名、肩書、そういうのを持ち出して、自分以外の他者の考えや言い分を元に終わらせようとする

虎の威を借る狐、ですか?

権威なんてそうそう通用する物でもないのに、通用するような世の中にしようとして、実際にそうなってしまったのが現代です。現在ではなく、現代です。

なので、メディアや上辺の情報に踊らされるし、踊らされる大衆が居るからこそ、メディアも臭い物に蓋をするんでーすよっと。

そういう意味では、マスゴミだなんて言ったところで、そのゴミを生み出す手助けもしてるって話です。片側のせいにするのは、責任転嫁でしかないって話でね。

そういう部分からも、面倒くさいし、響きやしないんだろうけど、口を酸っぱくするしかないんだよなぁって話でね。

って、話が広がり過ぎてきてるので、この辺で終わりましょうか。

まとめ

ぶっちゃけ、自分で言うのもなんですけどね。

感受性が高いって状態にあると、ほんと周りが気づかないどころか、そんな所に配慮もなにもしたくもない、みたいな部分にも気づくし、それこそ精神科通院でも言われる「精神病んでるので現実を直視しない方が良いですよ」ってのを嫌でもやってしまうもので。

それが、良い事か悪い事か?なんてのはどうでもいいんです。

良いとか悪いとかじゃないし、そういう話にしたいのであれば、もう少し突っ込め、踏み込め、いい加減にしろ人間ども!なんですよ。

深海についてはあまり解明されていない。

そういう現実ともリンクするというのかなぁ。

深く触れようとすると、途端に面倒や障害が出てくるわけなのですが、そこを知らんぷりして、良い悪いしてるだけじゃ何も変わらないんですね。

なので、最近は「昭和の頃から全然変わってない、時代が変わったと言うほど人間が変化してないし、扱ってる基準のマイノリティとマジョリティが入れ替わってるだけ」みたいにも言うんですよ。

多様性?

何言ってるんですか。多様性を重視すれば、色んな考えや意見が出て来てもっと議論が活発になるほうが寧ろ当然な流れ

でも、そうしないまま、どっちが正しい誤り、どっちが良い悪いで流すようにしてしまうから、根本に踏み込めず流されるだけで終わる問題が多いんだっていうね。

そしてそこには、「数さえそろった方の勝ち」みたいな多数決の心理が働いてて、善悪や正誤を語りながらも実はすり替えてるだけっていう事になるんですね。

ほんと、いい機会かと思ったけどなぁ。

まぁ、あれですよ。

心理学の概念とか学術的な話の詳しい所はわからないですが、感受性が高ければ自然と心理学というか、人間心理に対しての疑問とかそういう方向に流れると思います。

だって、嫌でも間違い扱い、少数派扱いで、出る杭は打たれるを幼少期からしてきてるし、それ故にどうしても人間社会に対する疑問って多々浮かぶし感じもするんですよね。

という事で。

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