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話題の『火定-澤田瞳子-』読んでみた

読み進められない人もいるのでは。
天然痘による死の姿の表現は激烈で、一面の死体の腐臭や感触をここまで容赦なく描写したものは初めて読んだ。

何が容赦ないって、その描写の対象が何の罪もない、ただ日常を平凡に暮らしていた市井の人々だからだ。女も、子供も、善人も悪人も、誰であろうと息が絶えれば一様に腐り果てていくその至極当然の真理は、すでに死が身近にない現代に生きる私には激烈なのだ。

読みながら考えた。現代を生きる私は命を惜しんだことがない。
“死に物狂い”という本当の意味を、きっと私は知らない。

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物語は1200年以上も前の奈良時代。
細菌、ウィルスの類いは、見えないのに確実にその存在を感じる脅威、まさに神だったのだろう。

神には神を。
人々の狂いようは、それが理性ある人がすることであるとは信じられないほどの惨劇を生んでいく。

一方で、どこまでも冷静に、理性のもとでこの神に立ち向かう医師達もいる。時には、生きながら胸を八つ裂きにされるような受難にすら耐えながら、より多くの人を救う為に「今できること」を探し、汗と、涙と、血と、腐臭にまみれながら行動していく。

そのどちらもがまさに“死に物狂い”。

人が神にどう抗うか、その時人はどんな姿を見せるのか。
神に惑わされる側か、神を利用して惑わす側か。
神に惑わされ人を傷つける側か、神ではなく己を信じ人を癒やす側か。
神から目を背け、見つからぬよう暗闇で身を潜めることしかできないのか。

自分ならばどうであろうか。

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生々しい感染症と人間の戦いのドラマではあるが、緻密な伏線とそれぞれの立場からの視点で描かれる心理描写は、壮大なエンターテイメントとして非常に面白かった。

当時の医療内容や医師達の考え方が「現代的すぎる」と指摘もあるようだが(正直私もそれは少し思った。手洗いや縫合といった処置は戦国時代でもなかったような)、夢中で読み進んでしまったのだからこちらの負けだ。


最後に、
これから読もうとする皆さんに個人的に一番言いたいことは

「泣かされた。電車で読むんじゃなかった」

ということです。
ご注意あれ。

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