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【創作】冬の日のギフト

水曜日の15時。
「店長さん、いつものお願いね」
常連のタナカさんからカフェラテと紅茶のシフォンケーキの注文をもらい、キッチンに入る。

マグカップを温めた後、ゆっくりコーヒーを淹れる。
ポットから円を描くように注ぐと、フレッシュな香りがキッチンいっぱいに広がった。
猫舌のタナカさんのために、いつも通りコーヒーを注いだら少し時間を置いてからふわふわのミルクフォームを載せる。
今日のラテアートは、シンプルにハートでできたチェーン。
シフォンケーキはキッチン前のウィンドウから取り出し、生クリームとミントの葉を添えて、粉砂糖をふりかけたらできあがり。

「ありがとう、最近冷え込んできたね」
「本当ですね、寒い中いつもお越しいただいてありがとうございます」
「店長さんも身体には気をつけてね」
「ええ、タナカさんも」

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新型ウィルスの影響がまだ少なかった去年の1月頃、カフェ「Gift」をオープンした。
子育ても落ち着き、心に温めていた自分の店を持つという夢を叶えるために勉強し、バリスタになったのだ。

店内にはテーブルが2席、テラスに1席。
こじんまりとしたお店の内装は、可愛い雑貨で飾り、絵本の中に出てくるような世界観をイメージして、私なりにこだわった。
素材を厳選した手作りの天然酵母パンを日替わりで並べ、オーガニックなスイーツとカフェドリンクを提供している。

オープンしてすぐに外出自粛モードの煽りを受けてしまったが、郊外の住宅街に店を構えたこともあり、近所の住民がくつろぐ憩いの場として利用してくれ、なんとか今も営業できている。
顔馴染みのお客さんも増えてきて、少しずつ居心地の良さも感じられるようになった。
決して繁盛しているわけではないが、自分の城を持ったような誇らしいような思いで満たされている。

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「いらっしゃいませ」
ドアが開き、女性が1人入店した。
初めて見る方で、2〜30代くらいの若い女性。
外は木枯らしが吹いているので、モコモコの上着とマフラー、手袋でしっかり防寒対策をし、少しふっくらした印象だ。

「カフェインレスのカフェラテとチーズケーキをお願いします」

なるほど、彼女のカバンにはピンク色の可愛いキーホルダーがついている。
ふっくらしたシルエットの理由は厚着をしているからだけでなく、お腹の中の住人のためだったのだ。

注文に取り掛かろうとキッチンに戻ろうとしたとき、再びドアのベルが鳴った。

「ただいま〜」

息子のユウトだ。
1人息子のユウトは小学5年生、学校から帰ると真っ先にお店に顔を出し、今日あったことを簡単に私に報告から家に向かうのが習慣になっている。
サッカー部に所属しているが、ご時世柄お休みになることが多く、今日も早めの下校になったようだ。

「今日は音楽の時間にリコーダーやった」
「そうなんだ、上手に吹けた?」
「低いドの音が出なくて難しかった」
「練習しないとね、家に帰ったら手洗いうがいしてね。おやつの後は宿題ね」
「うん」

今日は店内にお客さんがいるので手短に小声での報告会。
ぶっきらぼうに会話を終えると、ユウトはタナカさんと女性のお客さんに軽く一礼し、店から出て行った。
女性客は、歯磨きコップの入った巾着袋を揺らし走っていくユウトの姿を目で追っていた。

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「それじゃ、また明日もお願いね〜」
「はい!ありがとうございました」

タナカさんが退店し、マグカップとお皿を片付け、テーブルを拭く。
1人残った女性客も、カバンから小説の文庫本を取り出して、カフェラテ片手に読書に没頭していた。

キッチンで洗い物をし、備品の整理などをしていると、すでに時計の針は16時を差していた。
陽が傾いてきたところでお腹の大きな彼女も席を立った。

「もうすぐですね」
会計後、思わず声をかけると、途端に彼女から笑みが溢れる。

「9カ月に入ったところなんです」
「そうだったんですか、楽しみですね」
「先ほどいらした男の子、お子さんですか?」
「そうなんです、小学5年生で生意気盛りで……」
「とってもいい子ですね、私も男の子の予定なので、将来あんな子に育ってくれるのかなって思いながら見ちゃってました」

彼女の名前はハナムラさん。
聞くと、2年前にご主人と近所に越してきたようだが、つい最近まで仕事勤めで職場と自宅の往復の生活を送っており、妊娠を機に退職。
自宅周辺のお店に入る機会がなく、出産前の軽い運動がてら「Gift」を訪ねてきてくれたという。

「私、ちゃんと母親としてやっていけるか正直不安なんです。ずっと待ち望んでいた赤ちゃんだけど、私自身の心の準備が全く追いついてなくて。
自分の母親って、幼い頃すごく立派な大人に見えたんですけど、私ってまだまだだと感じることが多いんです」

そう話しながら少し困ったような笑顔でお腹を撫でる彼女の姿を見て、私自身のことをかえりみた。

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私たち夫婦は結婚して5年間子宝に恵まれなかった。
手術や検査など、3年間の不妊治療を経てようやくユウトを授かり、3人家族で暮らしていた。

先の見えない治療を乗り越えて出会えた息子はあまりにも可愛く、愛おしく、かけがえのない宝物だ。
今でこそ思春期に入りかけの息子は口が達者になり、ケンカもするようになった。
そんな時、母子手帳を開いて昔を振り返る。
治療中の涙や妊娠中の息子との触れ合い、出産の時の小さくも力強い産声、子育ての日々などを思い出し、息子への愛を改めて実感し、翌朝笑顔で息子に接することができるのだ。

息子の成長には日々驚かされる。
10年前は私がいないと何もできない、小さな生き物だったのに、今となっては自分で考え、選択し、行動できる。
母親である私とさえも、互角に言い合いができるようになってしまったのだから。

息子を見ながら、1人取り残され、足踏みをしているような気がしている。
気づいたら、ユウトに追い抜かれてしまうんじゃないかな。
喜びと共に、焦りというか情けなさというか、なんとも形容し難いものに迫られているような感覚も覚えている。

目の前の若い母親も、私と同じ不安を抱えているのだ。

「主人を連れて、また来ます」
しばらく立ち話を楽しんだ後、そう言ってハナムラさんは出ていった。

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17時。
店先のプレートを「CLOSED」に返し、店内を片付ける。
売れ残ったパンは、エコバッグにしまって持ち帰り、アレンジを加え食卓に並べる。
いつもと同じ店じまいのルーティンだ。

外に出ると、冷たい風が頬を撫でていく。
でも、この時間はいつも内側からポカポカと暖かい感覚に触れられる。

「Gift」ではいつも新しい出会いがあり、それが私の日常を彩っていくような、不思議な感覚。

風に運ばれる枯れ葉が自分に重なって見えた。
アラフィフにして、母として未熟で不安定な私。
そんな私のお尻を叩いてくれる、幼くも頼もしい息子の存在。
今日のハナムラさんとの出会いは、今まで気づかなかった私との出会いをもたらしてくれた。

図らずも、店名の通りに私に優しいギフトを授けてくれているみたい。
私の世界は、今も毎日少しずつ形を変えている。

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