そうして、街からいなくなった。

(あらすじ)

街に来て間もないわたしは唯一の友人が行方不明になり、ありもしない冤罪をかけられ処分されたことに納得がいかなかった。そこには街の独特の気質や風潮、学校に巣食う他所からの生徒への偏見による牽制があり、諸悪の根源となる生徒の存在があった。不自然なルールにより、かろうじてバランスを保つ学校の後夜祭に外側から暴走するバイク集団による侵入で、名門という秘密のベールに秘された生徒たちの醜態が暴かれようとしていた。なぜ友人は姿を消したのか、真相を知らぬ周囲の生徒たちによる友人への非難に、憤りを募らせたわたしは真実を突き止めようと密かに動き出す。そして真相には大人たちによる策略が絡んでいた。


【本編】

 わたしの住む街から、たった一人の友人がいなくなった。


 富裕層の集う、選ばれし者のみが暮らす街にある古くから名門として知られる学校に通う友人は年上で、才色兼備を備えた有名な生徒だったがわたしは、その友人との関係を周囲には秘密にしていた。



「ヤバ、なんか当たったと思ったら"霊感"働いたわ。ここら辺、雰囲気ワルっ」

 わたしとぶつかった不注意なクラスメイトは、謝りもせずに冷笑を浮かべて去る。街の外から来て間もないわたしには街の気質がステイタスを重視し、プライドが高く常に誰かしらと必ず群れるのが普通で、"一人ぼっち"は不人気の証として避けられるという常識には未だ慣れない。だが入学当時、状況はもっと酷かった。

 体が弱く、学校を欠席しがちなのもあり、クラスに未だ馴染めぬわたしはいつしか周囲から幽霊同然に扱われている。

 そんな街にある学校で孤立するわたしは、いつも遠くから人気者である友人を取り巻く、油断ならないハイソな人々との日常を目の当たりにし、大っぴらに友情を公にしない選択に感謝していた。彼女とはこの学校に来る前に知り合った仲だが、友人であることを公表しないのは彼女にもわたしにも、それを選ぶ理由が存在した。


 友人もわたし同様に単独で行動したが、彼女の場合は他の生徒とのレベルに差があり過ぎ、一緒にいる相手を引き立て役にするほど圧倒的なのだ、例えるなら中学生だらけの中に大学院生が混じるほどの歴然とした差があり、誰も隣に居られなくなる。
 そのくせ友人を囲い込む街の生徒たちは、自分達以外には身の程知らずと難癖をつけ、近づかせない。そんなふうに蚊帳の外に置かれれば、一人で行動するほうが気楽だったろう。歩けば自然と周囲が道を開けてしまうほど友人は圧倒的で、同等ましてや超える存在などいないと全校生徒の誰しもが理解していた。

 周囲が避けるという意味では、かたや圧倒的なため半ば恐れられ、一方では全く存在すら認識されないという対極にいながら、等しく孤独を味わっていた。

 この夏、友人は滅多に選ばれることのない留学を控え、街を出る準備で最近は登校していなかった。これまで学校の教職員や生徒たちから誇り高い名誉だ、自慢のロールモデルだと過剰なほど持ち上げられる友人は、そういった人々や街を好まず、ずっと前から出たがっていた。同じく共通する願いを持つわたしは少し寂しくも、友人の喜ばしい門出を心待ちにしていた。




 その日は、学校で後夜祭が開かれていた。この後夜祭は前日まで行われていた学祭の打ち上げにあたるもので、滅多に外部へひらけていない学校のオープンスクールな側面を持つ。学祭は、富裕層の子女が集う古くからの名門であり、神秘のベールに包まれた学校に、興味津々な人々の関心を引く絶好の機会となった。

 名門と謳われる学校には、かつて入学に厳しい審査があり街の出身ですら厳選されていたが、歩み寄る姿勢を見せる今は、名門校でも稀に見る街の外部からの生徒を積極的に受け入れている。
 だが在校生のレベルや質、過去の栄光に縋った学校のブランド力の低下が見られ、学校内でも他所からの生徒を受け入れる方針への批判が根強く、現経営陣による落ちぶれた成れの果てだとも囁かれていた。


 学祭終わりの打ち上げとなる後夜祭は、校内にある講堂で生徒主体で行われることが伝統で、近年では外部に向けた学祭よりも後夜祭こそが、生徒たちにとっての学祭だという認識があった。

 昔からの習わしで後夜祭には教職員が一切、関知しないことになっている。この日に合わせて休暇を取る者も多く、校内は巡回する警備員と最低限の教職員しかいない。午前は学祭の片付け、午後から下校時間までの間に厳重に警備が敷かれる校舎の奥に位置する講堂で、生徒だけの後夜祭が行われるはずだった。


 しかしこの日、あってはならないことが起こった。それは後に学校全体にとって、転換期を迎えるきっかけとなったのだ。



 富裕層の子女を預かる名門校として知られるだけあって、昔から街でも警備体制が随一で難攻不落だと称されており、そんな学校に面白半分で敷地内に侵入すれば金一封などと冷やかし半分で、侵入を試みようとするものが居た。
 だが今までは物々しいまでの厳重警備が醸し出す威圧感により、それらは軽口での浅はかな妄想程度に留められていた。街で有数の富裕層の生徒を預かるだけあって、不遜な輩には近寄らせぬよう強固な体制が敷かれていたからだ。

 しかし、その日だけはフルフェイスのヘルメットに身をやつした、暴走するバイク集団が外部から生徒たちの集う講堂まで易々と突破し、侵入を許してしまったのだ。侵入者たちは後夜祭に行われる講堂内で大勢の生徒に対し、バイクによるエンジン音のふかしでの威嚇や煽り運転などの暴力行為を繰り広げ、そしてバイク集団は大声で、友人へ呼びかけたという。

『ねえ、ここに××って子がいるでしょ?どこー?××さーん』

 しかし再三の呼びかけに対し、まったく友人が現れず痺れを切らしたころ、仲間の一人と生徒の小競り合いから転倒し集団パニックが起こった。バイク集団は通報されることを恐れたのか、警備員に捕まらないよう急いで現場から逃走した。

 富裕層の子女が集う名門校に外部から不法侵入されたのも大問題だが、現場となる講堂での後夜祭では、生徒による学校の不名誉な所業が行われており、それも相まって友人が姿を眩ます羽目に陥ったのだ。

 季節は夏の始まりを迎え、もう少しで夏季休暇が始まろうとしていた。



 わたしは、その出来事があったころ学校を休んでいて、久々に登校したクラスでの噂話により間接的に知らされた。クラスの殆どは後夜祭に参加しながら詳しい事情を知らず、処分を下した学校の判断を疑うことなく従っているようだ。しかも、いつもなら学校へ多額の寄付により教職員への態度が大きい生徒たちが、やけに萎縮していたように見え、立場が逆転したかのようだった。

 クラスで蔓延する噂話では、侵入した暴走バイク集団による講堂で名指しされた友人が関わりがあると見なされ、外部からの侵入を手助けしたと疑われたのか、ろくな調査もされないまま無期停学の処分を下されたそうだ。しかしホームルームでは担任も一切、その話はなく、校内の隅にある掲示板に簡素な辞令だけが、古びた飾りのようにひっそりと置かれていた。

 大々的には発表しにくい内容だからか事後報告の形を取り、友人の名と後夜祭があった翌日の日付で無期限での停学処分を課すとだけ書かれてあった。


 以降、友人とはまったく連絡が取れず、母親と一緒に住んでいた家も留学のため既に明け渡しており、もぬけの殻だった。こうして、街から友人が姿を消してしまったのだ。

 するとこれまで友人を持ち上げていた生徒たちは一斉に手のひらを返し、友人を非難する始末しだした。すっかり鬼の首でも取り、勝ち誇ったかのような見事なまでの手のひら返しをする。


「すっかり裏切られたものよね、あれがウチのロールモデルだって?理事長の失策を体現したって意味じゃ、ぴったりだけど」

 心なしか、そう非難する生徒たちは誰しもが、喜ばしいことのように活気付いている。これまで絶対的存在として崇められていた友人を、完璧さが崩れた途端に誰もが叩いていいのだと勘違いしている。

「裏でずっとバカにしてたんでしょ、じゃなきゃあんなマネしないじゃん。後夜祭に外部から荒くれ者をひき入れるなんて。にしても、あんな人たちと付き合いあったのね」

 表立って非難するのは主に、他所からの引き入れに異論を唱える街出身の生徒たちだ。こういう生徒たちは、学校の質と地位向上を狙う理事長による肝いりの施策で入学した他所の生徒へ偏見を持ち、自らの実力では敵わない友人ですらよく思わないものの、表向きには賞賛していた。

 その偏向思想の大元となる上流階級層の生徒は、密かに抱く主義がより濃く絶対的で言葉巧みに周囲へ同調を招きながら、決して手を汚さない。

「化けの皮が剥がれると本性の醜さが露わになるっていうもの。これだから他所からの人は…ねえ?」

 街には自らを守るためなら、水面下で何をしてもいいような風潮が当たり前に存在している。街にあるこの学校ですら比ではなく、特に己を脅かす存在と見られ易い他所から来た生徒には、より厳しい眼差しが向けられていた。

「留学は当然、取り消しね。きっと裏で先生に取り入って選ばれてたのよ、学校での彼女の扱いは異常だもの」


 こんな批判がクラスの中でとめどなく溢れるほど、賞賛していた裏で実は腹ではこらえていた、上っ面な生徒たちの本音が露わになる。日々抱える、おのおのの不満をぶつけやすい吐け口として、街の出身者が受け入れない他所からの生徒への偏見も入り混じり、次第に伝染病のようにその偏向思想が威圧的な牽制へと向けられていく。今までは友人の存在により、自重できていたのが重石となる存在がなくなった反動で、再びぶり返し始めていた。


 ただ、こんなことで友人が行方をくらますのはあり得ない、それが後夜祭での出来事を知った時にわたしが抱いた違和感だ。知る限り友人は、容易く足を掬われたりしないし強かで賢く、本来なら堂々と自らの潔白を証明するために奔走するはずだ。だから初めはこの噂自体が、とても胡散臭い作り話のように感じた。
 きっと誰かが友人を貶めようとしているのかもしれない、これはわたしが友人であるという立場での、贔屓めがあることは否めない。だからこそ今、友人の姿をくらましているだけの状況に困惑しているのだ。

 そして立場が変わった途端、友人を非難する生徒たちの安易な対応に決して心を開かず、一線を引いた付き合いに徹していた友人は正しかったと理解できる。仮に彼女たちと仲間だとしても、この事態になれば庇うことなく批判しただろう。仲間でも一つのミスが簡単に命取りになり、とたんに足元を掬われる。それは生徒たちの間で、普段から自らの地位を高めるためだけに、周囲を蹴落とす関係性が成り立っているからだ。


 この学校で群れる上品な生徒たちがすることは結局、狭いコミュニティ内で属する同士を貶める馴れ合いだった。それらは人前で無礼のないように振る舞い、友情という名目で当然のように行われている。

 これが街の流儀でいうところの友情ならば、わたしは一人でい続ける方がずっと心地良い。不人気のボッチで充分だし、周囲にとってはわたしが、ひっそりと潜んで過ごすことが何よりも最善なのだ。わたしは身をもって、それに至る理由をよく知っていた。

 だが友人への、あまりにも目に余る生徒たちの身勝手な非難は決して許されるものではない。なにせ学校側は侵入者への通報はおろか、ろくな調査すらせず友人への処分を一方的に下し、早々に事態の収束を図っている。それをほとんどの生徒を含む学校全体の総意として、当然であるかのようにだ。
 昔から、このように起こった問題を他責にして片っ端から隅に追いやり、なかったように振る舞うのがこの学校のやり方らしい。

 とにかく自分達に危害の及ばぬ都合の良い人間を犠牲にし、我が身の保身を図る。かくいう生徒たちも誰かを犠牲に、降りかかる火の粉を避けられれば何でも良いという腹づもりだ。この街で、生き抜くためには必要な、一種の処世術なのだろう。


 これまで学校は留学に選ばれた友人を"我が校のロールモデル"だと賞賛し、学校のイメージアップを兼ねて宣伝に利用したが、街にはそういう"ロールモデル"とされる人物はゴロゴロいる。つまり特別というより、そういうビジネスの側面を兼ねているのだ。

 この街において、あらゆる団体が"天才的なロールモデル"を探し、あるいは作り出して持て囃すように仕掛け、価値があると当たれば大儲けするビジネスモデルの一つだ。学校で手本となる生徒を"ロールモデル"と持ち上げれば、校内では憧れや競争による成績上昇の気運を生み、外には作られた華やかさから入学希望者を集め、より良い生徒を選定する手法であり、もちろん友人もカラクリは理解していた。

 エリートであることが特別で、当然なのだと在する人々へ求める風潮。そういう意識で出来上がった集合体である街は、あらゆる欲望にいつだって蠢いている。ビジネスとして価値があれば何でも、誰であっても構わないのだ。


 わたしはそういう人々の集う、街の一部でもある学校をますます嫌い、住まうことにすら嫌悪感を抱く。なにより秘密とはいえ友人への一方的な酷い中傷を耳にするたびに、わたしは勝手に傷ついていた。

 そんなのは無視して耳を塞げばいい、そうかもしれない。実際、罵りを吐く連中は、ここにいない友人に絶対的安全圏だからこそ言え、やり返される心配がなければ配慮などしない。友人が目の前に現れたら、きっと同じようには言わないだろう、現実には絶対に敵わないのを身をもって知っているからだ。

 そしてこの友人の不在は、生徒たちのモラル低下に繋がってしまった。

 朱は赤に交わるというように何年もこの学校に巣食う、良くないことを引き起こす圧倒的な存在がある。この学校に関わるものなら誰でも、その元凶が誰かを共通して思い浮かべるはずだ。





 元々この学校は清廉潔白でエリートな淑女を育成することを目的として創立され、その手腕が評されて古くから名門と称賛されるまでに名を押し上げていた。しかし、その理念を主導していたカリスマである創立者が亡くなると、清廉潔白でエリートな淑女の育成を掲げる理念に反した、学校を含む数多の関係した利権を巡る一族での醜い争いが起こり、その混乱に乗じる形で学校の実権は現場に携わる部下に乗っ取られ、今の理事長体制が確立された。

 そして徐々に内側から、清廉で誇り高きエリート子女の名門に翳りを帯びる出来事が積み重なっていく。その最大の決定打が学校の実権を握るトップである、理事長の一人娘だった。

 

 理事長は愛娘を放任主義という名のもとに長年放置し、自らの手間を省くため強引に入学させる。はじめは周囲からの視線による親の面子を立てた、品行方正な振る舞いを期待した親の思惑からだったが、その親の関心を引きたい愛娘は学校のトップである理事長が親であることを楯に、徐々に期待の逆を行く方向へやりたい放題に振る舞い始める。理事長の娘として鳴り物入りで入学したことが、どうやら仇になったようだ。

 最初は理事長の娘であることへの偏見があったかもしれない、そんな愛娘への理事長の無関心ぶりを知る教職員も始めは同情的だったものの、次第に感謝知らずで負担ばかりが増え続けることに疲弊し、今まで見逃されていた報告を受けた理事長も、愛娘を諌めるどころか部下である教職員に責任を押し付け、知らぬふりを決め込んだ。

 表向きは名門と謳われつつも在籍する生徒の割合は、多額の寄付を得られる、本来の学校側が求める上流層からは、暗に愛娘の素行を理由に入学を避けられ、中流層に占められていた。上流層でも他の学校からあぶれ、愛娘に沿うレベルに劣った生徒ばかりが集い、次第に問題児の巣窟となっていく。

 そうなれば落ちぶれていくのは必然となり、テコ入れ対策として学校の質の向上のため年に一度の学祭をオープンスクールにし、受け入れやすさをアピールする形で街の外からの入学希望者の増加を図り、他所からの才に溢れる生徒を多く在籍させ、学校や生徒の質とブランドイメージを向上させる策に出た。
 しかしその枠からの入学を許された生徒を煙たがる、街出身の生徒たちから抗議された愛娘は、自らの行いの大義名分に利用したのである。

 同類である街出身の生徒たちから理事長の施策を非難された愛娘は、他所からの生徒たちに鬱憤ばらしの矛先を向け、身勝手な理由をつけ暴力的なやり方で学校や街から追いやると賛同され、それらは愛娘の尻拭いとして理事長の権力のもとで闇に葬られていった。
 愛娘の尻拭いを担う理事長も娘の学校でのやらかしを、気に食わない意見を出す部下や都合の悪い者に責任を押し付け、次々と学校から排除する算段に利用した。こうして学校内での愛娘の行いを無に帰すどころか、弱者を犠牲に臭い物に蓋をするだけの欠陥したシステムが作り上げられたのだ。

 依然として娘に関心のない理事長は、一向に治まりを見せない素行の悪さに情を失くし、派手に立ち回らねば誰からも相手にされない愛娘の行動は、学年が上がるほど劣悪にエスカレートする。両者ともに受け入れ難くなるばかりで、思惑とは裏腹な方向へとすれ違っていった。

 


 長きに渡り、愛娘からターゲットにされる他所からの生徒たちは、巻き込まれるのをどうにかやり過ごし、自分の経歴を輝かすためだけに耐えることで更に助長されていく。

 だがそれには、たとえ学校が腐りきっていても卒業してしまえば名門校卒という箔がつき、今後を有利にできるために他ならない。生き抜くためとはいえ、やはり環境によって思想が刷り込まれてしまうのか、適応のために致し方ないと妥協しまうのだろう。こうして立派な共存が成り立つのは残念ながら生徒だけに限らず、大人の社会においても全く同じ現象に苦しむからだった。

 特に富裕層以外の街に居住したい人間は必死なのだ。問題を起こしたとして、学校から追放される教職員や生徒たちが街からも追い出される際には、一個人では戦えないように陥れられる。
 街で暮らせる他所からの居住を許された者にとっての街の生活は、住みやすく離れがたくなり、もし問題を起こして追放されれば、二度と街に踏み入れることは許されないからだ。

 愛娘が、そういう街から離れたくない人間をターゲットに据えることにより、どんなに鬱憤晴らしで犯罪まがいの悪戯を仕掛けても、大概の他所からの生徒や教職員は黙して耐え、学校は世間体のためにもみ消す。それに似た思想を持つ街の生徒たちが乗っかり、自らの手を汚さぬ安易な考えで愛娘をけしかけ、つけ上がらせる要因を招いた。学校における悪循環のサイクルは、こうして見事に機能したのだ。

 自らの優位の証明だとしても、排除しきってしまえば価値を失い、行為は正当化できないが、共通した思想を持つ生徒たちは、都合が悪くないうちは知らぬ顔を決め込み、愛娘に上流層のコミュニティでの汚れ役を買わせる。誰もがその場凌ぎで、解決策など眼中にもない。

 最近では、その愛娘が薬物に手を出し始め、薬物による影響下では街の生徒も他所の生徒も認識されず、校内では平等に被害を被りつつある。もはや理事長父娘以外の誰もが、学校で緊張を強いられる日々を過ごし、お互い相容れないはずの他所も街出身の生徒も火の粉が及ばぬよう注意を払いつつ、共通して愛娘の自滅を願っていた。


 だが愛娘を排除したとしても選別思想が変わらなければ、また立場の弱いものに同じことは繰り返される。仮に望み通り、学校が街出身者だけの生徒になり行いは一変するか、残念ながらその可能性は望み薄だった。


 わたしが入学した頃、他所者の生徒を暴力でいたぶる場に遭遇してしまい、危害を加えられそうになったところへ友人が現れた。わたしは彼女がこの学校にいたことは、この時に初めて知ることとなった。
 勢いづく愛娘は容赦なく友人にも凄み、涼しい顔をして向かい合う友人を周囲にいた街の生徒たちは、賭け事の観衆のように高みの見物を決め込んでいた。友人の有能さは既に生徒間では知れ渡っていたようだが、噂程度にも知らない愛娘は理解していなかった。

「何?あたしの邪魔するとか生意気なんだよ。これだからロクに礼儀がなってない他所ものは…街の流儀を躾けなきゃね」

「あなた、私を含めた他所からきた生徒にばかり、こんな扱いするって理事長のやり方によほどご不満なのね。それとも今、反抗期?」

 開口一番、愛娘へ言い放った友人の一言は、周囲の聴衆を爆笑の渦に沸かせた。言われた意味をイマイチ理解しきれず、周囲から笑われていることに憤る愛娘は乱暴な言葉遣いで、己の持つ権力での脅し文句を凡庸な言い回しで並べた。もちろんそんな愛娘の浅薄なこけおどしに、友人は全く動じない。

「で?誰かに命じてどうするとか理事長の娘じゃなく、あなた自身は?テストの成績、最高順位でも三桁、成績表は忖度してもトップになれない。あなた個人で私に勝てる?ロクに躾けられてない、親の学校に入ってる娘がコレじゃあ、周りに示しつかないんじゃない」

 すると、この友人からの芯を突く問いに、賛同したかのように再度、笑われた愛娘は言葉につまる。愛娘を黙らせた友人は次に周囲を見回し、それまで面白がっていた聴衆は巻き添えを恐れ、今度は水を打ったように一斉に静まり返った。

「ピンチに陥って知らんぷりするのは、唆かす周りが損しないためよ。気をつけたほうがいいんじゃない?理事長のやり方に不満なら、まず家族で話し合って」

 このように周囲と愛娘を黙らせた友人のおかげで、他所から来た生徒たちはその後、完全には無くならずとも扱いはマシになった。そして愛娘を唆していた街の生徒たちは手のひらを返し、囲い込んで仲間に引き入れようと、友人に近づいたものの距離が縮まるほど自信を失くし、付かず離れずに留めた。

 だが災厄を及ぼす手がつけられない愛娘を止めたのが、他の追随を許さないほど圧倒する実力を持つ友人であることを認めつつも、出自が他所であることが街の人間には面子を潰された、と受け取られたようだ。



 友人が街の生徒たちに認知された以降、興味も恐れもしない友人を意識してか、愛娘は関わらないよう避けていた。
 一方、街出身の生徒はおろか上流層すら認められ、荒唐無稽な愛娘に敵わないと判断させた友人のことは教職員や学校の経営陣にも伝わり、大人による威厳を示すため友人をコントロールしようと、一部の教職員や理事長などからアプローチを受けたことは想像に難くない。もちろん子供相手に敬意など払わない横柄な大人たちは、それ相応に友人から、きっちりやり返されたのは言うまでもなかった。

 この友人の圧倒的な存在感で、今までの悪しき風潮を抑えられていたからこそ学校に来なくなった途端、目の届かぬ先で悪意を増幅した愛娘が再び、大っぴらに学校で幅を利かせだしたのだ。


 となると、ここで愛娘に対する一つの疑惑が浮かぶ。後夜祭の処罰は一方的に気に食わず、避けた友人をターゲットに据えたからではないか?ということだ。確かにあの愛娘なら平気でやりかねないが、それに至るまでの計画を練る知恵があるかは別だ。

 それに学校からいなくなるというタイミングで、友人をわざわざ陥れるやり方をしたことが気になる。放っておいてもいなくなる相手に、そんなことをする必要があっただろうか?
 このやり方だと長年、友人が街から去りたいことを知っていなければ、ダメージになるとは気づかない。しかも、ほとんどの生徒は濡れ衣にも気づかず、停学になり留学を白紙にされたとしか思っていない。

 そして誰もが彼女には敵わないとまで思っていたのが、今では誰も友人のことを案じたりしないのだ。欲にまみれる人間の集合体が築き上げる、ひとつの理想が崩れ、流行りが廃れたかのように興味を失う。ここではどんな賞賛も信用に値せず何一つ確かなものはない。だが、それを知らない学校や生徒は、もう次のロールモデルの座を狙う者で溢れているだろう。



 学校にて天下を手中に収めた理事長父娘が、これまでは強大な権力を保持し、校内で圧倒的弱者の立場にある何人もの生徒や教職員たちを、いとも簡単に事実を捻じ曲げて不幸に追いやり、闇に葬ってきた。

 

 だがあくまでもそれは学校内においてで、かつて街で絶大な影響力を及ぼし、人々からの信頼を一身に得たカリスマ創立者とは違う。街随一の名門校の運営を引き継いだ当初ならまだしも、後ろ盾に創立者や一族の威光が薄れた今の理事長にそこまでの権威はない。
 創立者のもとで部下だった時代の運営を、ただ踏襲しているに過ぎず、自身で苦し紛れに打ち出した施策ですら所詮、付け焼き刃に過ぎない。自らが招き入れた才能の芽を出自が疑わしいなどと難癖をつけ、片っ端から摘んでいく娘の存在がある限りは。


 理事長が愛娘のこれまでに起こした数々の悪行のもみ消しを行なうのも、街への影響を恐れてのことだが、もみ消したところで愛娘の悪行が収まるわけではなく、正確な情報を知る上流階級から忌避されるのも当然だ。安全が確立されないと判っているところへ、大事な我が子を送り出したりしない。特に複数の選択を自由に選べる立場なら、なおさらだった。


 一番に求める上流階級層の支持を確保し、生徒たちを増やしたいなら、もっと前から然るべき対策は取れていた。それは責を担う人間が最も必要な選択を避け続けたことに起因している。既に学校運営において緩やかに衰退する今、ここで後夜祭において起こった事実と、責を負わされた友人が無実であり正しく処罰されるべきは誰かという正確な調査結果を公表すれば、外圧により正された学校運営により、もしかしたら友人への処分を取り消せるかもしれない。それ以外に友人が無事に街から出られる方法は思いつかなかった。


 少なくとも街や、この学校に対して一矢を報いたいわたしの中で、後夜祭についての真相を追求する理由がこうして生まれた。

 


 勝機があるわけではない。ただ、それが街に残るわたしにできる安直な思惑から存在をかき消されていく友人への、せめてもの手向けだ。本当はそんなことを理由に、単に気に食わない学校や現実に何かしら対抗したいだけかもしれない、それが鬱憤の気晴らしや退屈さから、学校で弱者を狙いすましている愛娘と何ら変わらないとしても。

 ただわたしも愛娘から狙われるターゲット層に身を置く以上、黙ってやり過ごすつもりは毛頭ない。もともと好きでこの街にいるわけではない、友人のように学校から追い出されたら、同じようにわたしも街から出られる、そんな考えもよぎった。

 事を荒立てるタイプではなく存外な扱いを受けても、周囲や環境への過度な変化による反応を恐れ、わたしは今まで耐える選択をしていた。それは街で暮らすためにやり過ごす、校内での他所からの生徒とまったく同じだ。だが遠慮する必要がなくなれば、何がどうなったって構わない。


 わたしは友人が街を出るという目的のために、ずっと行動してきたのを知っている。わたしも潜むだけの日々から脱し、動き出すべき時が来た、何より自分よりも大事な人はもう、どこにもいなくなったのだから。


 それからというもの、わたしは欠席した日の監視カメラの映像を正当ではない方法で入手し、逐一確認する作業に没頭した。幽霊のように存在感のないわたしはこういう時、とても優位に動ける。数少ないわたしの特技は、あまり誉められるものではないが、場合によっては便利になる方法を友人と過ごした少ない時間で教わった。彼女はわたしの持つ特技の活かし方を、強みになるまで徹底して鍛えてくれたからだ。


 そして突き止めた監視カメラの映像により後夜祭に起こった一部始終を見て、なぜ学校側がロクに調査もせずに早期の事態収拾を図り、生徒たちも一丸となって友人に責任を擦りつけたかを知ることになった。




 あの日、監視カメラの映像には強固な警備で守られた講堂内で行われた後夜祭にて、大人の目を欺く、れっきとした違法行為に準じている生徒たちの姿があった。そこでは法令で定められた違法となる未成年の飲酒、喫煙、違法薬物の使用をする不適切な醜態がバッチリ収められていた。

 もちろん、これらを主導したのはいうまでもなく愛娘を含む街の上流層の生徒たちで、おそらく長年続いた学校のしきたりを悪用した形だ。いくら身に余る清廉潔白なイメージの裏で、息抜きが必要だとしても正しい方法ではない。大半の生徒たちが手慣れてる様子から、これが初めてではないことは明白だった。

 それに名ばかりとはいえ仮にも名門校の生徒たちが厳重警備を敷く学校の校舎内で、堂々と違法行為を行う現場に居合わせたバイク集団は侵入者であると同時に、それらを目撃した証人でもある。となると学校が侵入されても通報せず、伏せるのは侵入したバイク集団の存在が発覚すれば、芋づる式に校舎内での後夜祭の醜態が明らかにされるからだろう。

 そして学校側は生徒による校舎内での不適切な法令違反行為を伏せ、内々に済ませたのは生徒を意のままに操るネタにしたのだ。あの日、侵入した集団が去った後、急遽行われた全校集会にて生徒たちは理事長から、恫喝まがいのかなりキツイお灸を据えられていた。以後、生徒たちの揃った右ならえに振る舞う行為は、事を収めるために吊し上げにした、友人への態度によって証明されている。

 

 


 もしかしたら侵入したバイク集団が友人の名を呼んだのを、校舎内での不適切行為を目撃した証人にし、告発するために引き入れた仲間だと利用し、擦り付ける理由にして友人を排除させるのが目的だったのかもしれない。そうすれば街の出身者の生徒や恥をかかされた大人たちが、他所からの生徒である友人に打ち負かされたプライドを取り返し、胸の内がスカッとする会心の一撃になる。その目的を含むなら、学校で誰もが友人を粗末に扱うのにも納得がいく。

 逆にそうでないなら、わざわざ友人の名をあの場で出す意味は不明だ。どちらにしろ侵入者の言動により友人は繋がりがあると理由付けされ、処分された。酒や薬物などで酩酊状態になった生徒たちが溢れかえる講堂で、外部から侵入した連中を見ても正気には戻れず、証人となるものは誰一人いない。たとえ、あの侵入したバイク集団がグルであっても、バレることはなかった。

 そして友人を探している最中、酩酊した生徒に絡まれた一台のバイクが転倒したことで、講堂は生徒による不安と恐怖から一斉に集団パニックが起きた。バイク集団も慌てていた様子から転倒は思わぬハプニングで偶然引き起こされたうえ、予想以上の騒ぎになり、バイク集団は講堂から撤退し、校舎を発煙筒まみれにして逃走した。


 侵入したバイク集団も友人を名指しして一体、何をするつもりだったのだろう、あの発言からするとバイク集団と友人は見知った間柄ではないように思える。まるで他から友人の存在を知り、ろくに誰かわからないまま尋ねたようだ。もし、あの場にいた生徒の誰かがふざけて名乗り出ても、あっさり信じた可能性だってあったかもしれない。

  わたしはここで、一つの可能性に気づく。街では一部の界隈で、学校の強固な警備を打ち破ってイタズラに侵入を試みようと企む存在があった。賭け事にしたなら、報酬に釣られて挑むものがいても不思議ではないし、その賭け事の対象に友人は利用されたのではないか。ならば侵入者たちが友人を探していたのにも納得がいき、あれだけの生徒がいる講堂で見つけられず苦戦したのも頷ける。

 さらに学校の強固な警備体制が機能せず、計算されたかのように警備の隙を突かれていた。それは厳重警備の要である校門の開閉に保健室から呼ばれた救護車の存在が、バイク集団の侵入と逃走のアシストを担っていたからだ。

 そして、呼ばれた救護車で運ばれた人物こそが友人だった。彼女はあの日だけ学校に来ており、ある意味では後夜祭の一件に関わっていた。それこそがわたしが驚愕した一番の事実だった。

 だが彼女は侵入騒ぎになった講堂には一切近寄らず、校内を彷徨いつつ人けを避け、バイク集団の侵入する少し前に保健室に入っている。さらに逃走した直後、救護車で搬送され学校を後にしてから姿を消した。もし学校への侵入を友人が知っていたら身を隠し、彼らから逃れていた可能性も出てきた。

 その友人が姿を消し、処分が下ったことで学校側が正しいように思われてしまった。



 侵入と逃走の要となった校門の開閉は電動式で人への巻き込み事故を防ぐため、門の開閉に少し時間がかかる仕組みであることも、より侵入しやすくさせていた。学校の校門が何らかの理由で開きさえすれば、後のことは暴走したバイク集団には容易かったのだ。

 わずか十分足らずの間に起こったバイク集団による侵入で、同時に今まで秘された伝統として裏で継承されていた生徒たちの悪巧みが露呈した。これが、あの後夜祭で起こったことの全てだ。

 正直に言おう、学校側だって、とうの昔に知っていた。だからこれも学校全体で知らぬふりを通し、隠蔽してきた悪しき風習なのだ。

 友人が保健室に入り、救護車で運ばれるのとバイク集団が構内に侵入し、講堂で友人を探して転倒して、逃走するまでが交差する同時進行のように行われた。
 これを関連づけ早期解決と銘打って友人を処分し、同時に冒した醜態の弱みを握った生徒たちへ学校に逆らえばこうなるという"悪しき一例"としての効果を生み、学校に寄付させ、管理のしやすい生徒たちを作りあげた。こんなふうに大人たちから身勝手に、友人を利用されたかと思うと、情けなくて悔しい憤りが募っていく。
 

 学校側の処分が本人に、どう通達されたのかはわからない。今となっては家すらも明け渡して所在不明だ。校内の掲示板に貼られている友人への処分が、一週間以上経っても公には発表されないのに留学は一身上の都合として、すぐ取りやめにされていた。

 これで友人が大手を振って街から出るチャンスを失ってしまった。一体、彼女はどこにいるのだろう、わたしの知らぬ裏側で自分にかかる嫌疑を晴らすために動いているのか? 
 非公式な調査により、あの日、友人が街の外れにある療養施設に搬送されたことまではわかっている。そこはわたしと友人が初めて出会った場所で、厳重に警備された秘匿性の高い、学校によく似たシステムで守られる施設だ。つまり、ここから先は施設に問い合わせても答えは得られない。

 いったい、誰がこんなことを企んだのか。わたしは、この学校に関わる全ての人間に復讐してやりたいと思ってしまった。



 その中には、もちろん不甲斐ない体たらくなわたし自身をも含んでいる。苛立って、勢い余るわたしは、あの日に友人と最後に会った保健師を訪ねようと、夏季休暇前のテスト期間の自習を利用して教室を抜け出し、保健室へと向かった。

 もしかしたら保健師は、友人の無実を証明する心強い味方かもしれない。ふっと湧く、ほんの僅かな希望にすがるわたしは、少し浮き足立っていた。そしてよく知らないままの無知さが、我が身に危険を招くことになる。





 向かった午後の保健室は無人で、保健師は私用で席を外しているらしく不在だった。ここから見える景色は、まるで一国の王が領土を見下ろすような、ほぼ全ての校舎の様子を一望することができる位置にある。勢い余って乗り込んだわたしが、その景色に思わず見惚れてしまうほど。

 開けられた窓からは心地よい初夏の風が流れ込み、空気を新鮮に循環していく。ワントーンで統一された、どんな汚れも許さないかのような白さはどんな色彩も白くかき消し、頑なに汚れを許さないかのようだ。直射日光を避けて配置される少し翳ったベッドは静謐に美しく整い、開けられたカーテンは未使用な清潔さを示す。わたしは奥まったベッドのカーテンを閉め、横たえながら保健師が来るのを待った。


「ったく!どいつもこいつも口ばっか、何ひとつしないくせに、直で手ぇ下してんのは誰だと思ってんの」

 待ち疲れてウトウトした、心地よい眠りを妨げる騒音と共に入ってきたのは保健師ではなく、派手に物音を立てて入ってきた愛娘だった。しばらく独りごちて愚痴を言いながら、当たり前のようにタバコをふかし、窓を開けていても煙とヤニ臭さが室内に広がる。どうやら人前では虚勢を張って横柄に振る舞いつつも、いろいろと心中では思うことがあるようだ。

 ヤケクソがてらに何かを蹴っ飛ばしながら、引き出しを片っ端から開けては中のものを漁り、中身をぶちまけ床にばら撒いていく。カーテンを挟んだ向こう側では、いかにも不機嫌そうに、自らを認めず軽んじる学校全体を憤っている。

「あった。紛らわしいとこに隠してんじゃねえよ、こんなの使ってナンボなんだからよ〜」

 お目当てのものを見つけたのと同時に、奥にあるベッドのカーテンが閉められてるのが見えたのか、他にも人がいることに気づいたようだ。すると不機嫌に拍車がかかり、八つ当たりとばかりにスイッチを入れてキレだす。カーテンの向こう側から怒気を含んだ文句を次々と吐き出し、思わぬ姿を知られた恥ずかしさもあってかカーテン越しに何度かベッドを蹴って威嚇した。


「勝手に入ってんじゃねーよ!ここはアタシの場所なんだよ!生意気に寝てねーで、とっとと出てけクソが‼︎」


 イキリ散らした愛娘は次第に狂ったように言動がおかしくなっていく。室内にはタバコの臭いとは別の、癖のある独特な匂いが上書きするように漂う。愛娘は癇癪を起こすと、一点集中で据えたターゲットを執拗に貶める、それ以外に自分にできることが何一つ見つけられないかのように。この瞬間、わたしは愛娘によってターゲットに照準を定められたのだ。

 愛娘は、ここ最近の薬物使用により、その度合いが顕著にひどくなっている。今までは街の出身者と余所からの生徒を棲み分けていたのが、薬物の影響下では加減も程度も相手も見定められない。こうなると本来の愛娘が求める親との繋がりは、ますます絶たれ、より孤独へ追いやっていく。そういう意味ではわたしと等しく、愛娘も周囲から孤立する一人なのだ。

 処刑への段階を踏むように、ジリジリと遠回しに暴力的な威嚇がベッド周りで行われ、カーテンの向こう側からの威嚇に、わたしは身を固くしながら沈黙を保つしかなかった。それに愛娘がわたしを見たところで、誰かなど分からない。

 やがてベッド周りを蹴りながら、周回して何度かカーテンを揺さぶった後、わたしの背後からカーテン越しに突然、鋭い針が突き刺された。服の上から体内へ打たれた薬物が、全身をじんわりと巡っていくのがわかった。


 そして、急にわたしの中で全ての感覚がひっくり返す具合の悪さが襲う。自分の体を何一つコントロールできないまま、体内での抵抗を表すかのようにベッド上でひたすらのたうち回った。全身の細胞で強制的に興奮を促し、自制させない作用を及ぼすようだ。
 これが学校内で愛娘の行う隠蔽された悪行の一つで、生徒への無作為な薬物を投与するイタズラであり、これで何人もの生徒を急性薬物中毒にさせ、学校や街から追放していた。ターゲットにされた生徒は背後から不意に襲われるため、これには為す術がなく圧倒的不利だった。


 苛つかせる愛娘の下卑た笑い声が遠くに聞こえる。無意識にのたうち回る動きを、わたしは抑えることができない。拒否反応を起こしたみたいに暴れ、脳内から天地をひっくり返す旋回に襲われる。薬物が及ぼす効能に逆らおうとすると何度も吐瀉し、具合の悪いさなか無理矢理体ごと、ひたすら激しい回転に耐えるという拷問に近い気分を味わう。そのうち硬直した身体は激しく痙攣していき体力を奪われ、この辺りからは殆どわからなくなっていく。


 いつしか光の届かない暗闇へと真っ逆さまに突き落とされ、強制的な眠りにつくまでの記憶だけが朧げに残った。




 目を覚ますと、蛍光灯のついたクリーム色の天井がぼんやりと映る。それから高潔そうにうっすら漂う消毒液が鼻を掠めた。体から発せられる体内での攻防を繰り広げた戦いの果てに、酸っぱい匂いが所々で香りだつ疲労困憊のまま、更に不快な気分に陥っていた。
 やがて室内を人が動き回る音が聞こえ、ここが学校の保健室だと気づく。何かを話しながらカーテンを開けた保健師が、どうやら今まで介抱していたようだ。


 わたしは動きづらい状態ながら、こんな目に遭わせた愛娘のことを尋ねようとすると、保健師は簡潔に答えた。


「わたしの他に誰もいないわ。今、搬送する救護車を呼んだばかりよ」

 

 半年前、前任者の産休の代理で雇われ、スクールカウンセラーを兼ねるこの保健師に変わると、普段は閑散とした保健室が生徒に大人気の溜まり場になり、常に人が集ってしまい利用しづらくなった。目の前にいる彼女が学校から見える絶景を独り占めする現在の保健室の主であり、わたしが会いにきた相手なのだ。

 保健師はキレイ好きなのか、いつも微かに消毒液の匂いを漂わせており、個人的に眉をひそめてしまう。保健室を病的なほどの白色に統一させ、通常、校舎内には清掃員が常駐するのに自分で清掃し、他人を介在させない異質さを持ち合わせていた。 
 保健師はわたしへの処置を行うたびに、毎回手指に消毒スプレーをやたら多用して、染み付いた匂いの理由を理解した。ただ、過度の潔癖症だからなのか、除菌したくなる汚物のように思うのかが気になった。

「あの・ココで、わタし…うしロ、から・トツゼ…」

 わたしは保健師に色々尋ねたかったが口が回らず、目線すら合わせない保健師も短いセンテンスで会話を遮り、こちらに踏み込む余地を与えない。


「いいから、おとなしく寝てて」


 わたしは引き下がらずに時刻を尋ね、保健師は簡潔に夜の七時とだけ答える。つけた腕時計と同じことから、わたしの体調に関連する以外には対応したくないらしい。起き上がろうとすると途端に頭がふらつき、強い吐き気を催して嗚咽する。 そのたびに保健師が慌てて駆け寄り、やや強めに警告する。


「じっとしてないと苦しむの。ここまでに大分、時間かかったんだから、動かないで」


 学校での愛娘による、薬物を注入する悪戯の対処に追われる手慣れた対応に、保健師はおおよその事情を承知済みなのだと察した。ここを根城だと主張していた愛娘も、他の生徒同様に保健師を気に入るなら、保健師も愛娘の悪行の隠蔽に加担する一人かもしれない。スクールカウンセラーとして生徒たちから相談を受け、大体の事情も把握しているだろう。

 あの愛娘に気に入られるなら、この保健師も街の出身なのだ。愛娘にとって出自が同ラインの人間以外は、全て追放するターゲットとしか認識しない、それは生徒だけではなく教職員にまで及んでいた。


 でなければ愛娘が根城だと主張することも喫煙場所にもしない、休憩を兼ねる喫煙なら、安全で居心地の良い場所を求める。我が身に消毒液の匂いがまとうほどの保健師が、室内にヤニ臭さなどを染み付ける愛娘を許すとは、二人の間には主従関係があるのだろう。


 保健師は好まない愛娘へのヤニ臭さをたしなめないなら、立場は下なのだ。保健室に入ったとき、タバコの匂いなどが全くなく、保健室の窓が全て閉じられた今も、空気清浄機が静音で稼働しているせいか、あの時、嗅ぎ取った別の臭いも全て消え去っている。
 きっと愛娘が来るたびに毎回、この対処をして清潔さを保つのだろう。保健師はわたしが何らかのアクションを起こさない限り、カーテンの向こう側におり、自ら寄ってこない。まるでわたしの目的を察しているかのようだった。


 窮地に陥ったわたしは、これからどうなるのかを保健師へ尋ねてみる。保健師はカーテンの向こうから、他人事のように情のこもらぬ返答をした。


「しばらくは静養して、戻れるのは休暇明けでしょう」


 敵か味方かもわからない保健師の見立てに、わたしは少なからずショックを受けた。それでは夏季休暇中に大人たちは全てを風化させてしまう、おそらく無実の友人を犠牲にしたままで。わたしはうずくまりながら、意を決してカーテンを開け、保健師へ問いただした。


「ワた、先生にアいに来た・んす。後ヤ祭・ノ…、保健シつ何ガあ・タのヵ教えテほし…、救護車で運バれ・…った生トの」


 だが運悪く、救護車の係員が到着し、保健師から何も答えを得ないまま搬送されてしまった。それから学校へは戻れること無く、いたすらに日々は過ぎていった。学校がいつもより少し早い、夏季休暇を迎えると街では一斉に、これまで隠蔽されていた学校の不祥事が、矢継ぎ早に報じられていった。



 あれから予想通り、友人のことは表沙汰になることも、処分を取り消されることもないまま収束を迎えた。我が世の春と驕り、好き勝手に振る舞っていた愛娘は終業式にて、父親の理事長ともども年貢の納め時を迎えた。その顛末はこれまで沈黙を保った人々による総意でのようだった。




 一方、わたしは打たれた薬物による療養のため施設に滞在し、街外れにある療養施設での生活を余儀なくされた。終業式に起こった出来事により、わたしは愛娘による被害者として保護されている。その施設には何人も同じ境遇の人々がおり、これまでは街からの追放を余儀なくされていたが、学校での隠蔽された事実が明らかになったことで大半は胸を撫で下ろしていた。

 施設では薬物除去のカリキュラムが行われつつ、同時進行で居住審問も行われていたが、事件の被害者と認められ考慮されるようだ。日々は過ぎ、決着がついた学校の顛末に関心を寄せる者がなくなった頃、思わぬ人物がわたしを訪れた。

 暦はもう夏半ばになり、外の景色は暑さが増している。月日はもう月末に差し掛かっていた。


「久しぶり、近くに来たから寄ってみたの。元気そうね」


 いつもの無機質な部屋の中で行われる、いつものカリキュラムかと思っていたら、そこにはわたしへの面会で訪れたという保健師がいた。彼女はいつもとは違ういでたちで雇用期間が終了し、もう学校関係者ではないと微笑んでいた。

 だが元保健師となった彼女は、まだ変わらず微かな消毒液の匂いを漂わせている。そしてこのタイミングでの登場を訝しがるわたしに含み笑いをし、気を引く。


「あの時、あなたに尋ねられたことに答えてあげなきゃと思って。まぁ興味が無いなら別にいいんだけど」


 関心なさそうにしながら煽る元保健師は、白々しくわたしに学校の状況をどれくらい知っているかを尋ね、報道された内容を知りたがった。そんなのは街の中でいくらでも知りようがあるだろうと、わたしは鼻白んで答えた。


 ざっと説明するとその後、学校で行われた終業式で、ある失態が公となったことが引き金となり、次々に隠蔽した悪事が露呈した。責任者である理事長自身の件も明らかになったことで逮捕され、経営陣は一掃された。学校の実権はこれまでの責任を背負う形で創立者一族が引き受け、全ての元凶には、これまでの所業に沿う天罰が下された。まるで知らない間に取り決められた約束事のように、一部の人間を除いた以外には全て丸く収められた。


「そうだ、後夜祭でいなくなった知り合いの子のこと、知りたがってたわね?」


 タイミングを逸した話題での元保健師の提案にわたしはため息をついて黙っていた。世間で罰せられているのは後夜祭ではなく、ほぼ同じ再現がされた終業式での出来事だった。後夜祭は終業式で行われた予行練習だとスルーされ、友人のことも全く触れられずに事件の前に起こった、小さな諍いにしか思われていない。


「…表向きは全て片がつきましたよね、おそらくは権力を持つ大人たちの思惑通りに。あなたもそのひとりでしょう?」


 少し投げやりなわたしに対し、表情を崩さない元保健師はあからさまに腕時計を注視する仕草をする。


「それが本当に知りたいこと?滞在できる時間はあと三十分よ、内容はよく吟味して。ああ、思い余って我が身を滅ぼすマネは、よしてね」


 期限と警告を告げた元保健師と、向き合うわたしの間には警戒により空気中に電気を帯びた火花でも発生しそうな、緊張を孕む雰囲気が覆った。


「いつも消毒液が香水代わりなのは、潔癖症だからですか?それとも所持する特異な匂いをごまかすため?」

 話の本筋を逸らし方向性を変えた質問に、しばらく間を置いたのち"…何、それ?"と元保健師は冷ややかに、警戒を露わにした。今は事情を知る一人として、もう保健師という立場にない彼女は、わたしへ気遣いなどしない。あくまで圧倒的有利な立場で自分を大事にし、無駄で愚かに思える程度の低いやり取りは好まないのだ。

 元保健師のスクールカウンセラーとしての役割は、いろんな生徒や教職員の間で人脈を築きながら情報を収拾でき、今回の件にさぞ有利に働いたはずだ。目的のために辛抱し、あの愛娘さえ手玉に取ったかもしれない。どちらにしろ、分析や攻略のための情報収集にはうってつけだった。

 もう、互いに遠慮は無用なのだ。元保健師の働きかける方向に誘導されるところだった、心理戦においては本職である元保健師を相手にすること自体、わたしには圧倒的に不利だ。元保健師としては、多少のネタバレをしつつ単刀直入に本筋の話だけして勝ち誇りたいのだろう。街特有の病である、誇らしげな自己顕示欲がむくむくと湧いているのだ。誰にも知られなければ秘密になるが、誰かが知らなければ成果にならない。

「後夜祭の日に友人を搬送したように、あの日、もっと早くに救護車を呼べたはず。あんな遅い時間まで、保健室でなぜ介抱する必要が?終業式にわたしを関わらせないよう遠ざけたんですか?」


 無機質なワントーンの色彩の部屋に、一定の距離を保ったまま無言で沈黙を保つ、元保健師は再び目の奥に、不穏な笑みと興味を取り戻した。ようやく、求めていた本題に入ったことを喜ぶように。



「その前に、あなたは知り合いの子とどういう関係?私の知る限り、あの子に特定の友達は居なかったようだけど」


 元保健師は、質問したわたしへ少しばかり皮肉を含んだ質問返しをする。尋ねられたことは保留し、先にわたしを分析し、見極めようとした。

 わたしたちの関係は表に一切知られていないから、ここまで友人にこだわる理由を訝しがられても仕方ない。だが大体のことはとっくに承知済みだとしたら、あえて尋ねるのはやはり白々しい。


「彼女の沢山いる知り合いのひとりです。以前、助けられたので一方的に責められる現状に納得できなかった、別に不思議じゃないでしょう」


 耐えるように黙って聞いていた元保健師は、"なんだか一方的に粘着する熱心なファンみたいね"と皮肉って続ける。


「あの子は、周囲が勝手に背負わせる理想像に苦しめられていた。失敗することを許されない、偏狭な息苦しさからね。周囲に恵まれない天才ほど悲劇的なものはないもの」


 濡れ衣により理想からかけ離れた友人に手のひらを返した周囲と、友人を思うが故に行動したわたしが何ら変わりないとでも言いたげな、元保健師は友人をダシに、それら愚か者の代表と一括りにしてわたしを責めた。


「それは実に賢さの光る、鋭い分析ですね。その明晰さは、さぞ愛娘も気に入られてたんでしょう」


 やや、大げさに持ち上げたわたしの一言に即行でやめて、と遮った元保健師は顔をそむけ、愛娘への嫌悪を露わにした。


「…お気に入りどころか、利用することしか考えてないわ。あの親も娘もね、だから怒りを買って、やっと天罰が下った。遅すぎるくらいよ」


 友人を表向きでは称賛していた生徒たちと同じように、元保健師も愛娘に対して味方どころか、腹に収めていたものが多々あったのだろう。あの保健室を我が物顔で使われたことが相当、腹立たしかったのかもしれない。そして、元保健師の最後の言葉には同意できた。


「そうです、もっと早く対処すれば、あんな目に遭うこともなかった。だからわたしは何があったのかを公表しようと動いていました。でも結果はこの通り、何もかもが遅かった」


 元保健師がすぐさま反論に出たのは、わたしから責められているように思うからだろうか、確かに半分は違っているが半分は当たっている。


「狭いコミュニティにおける、パワーバランスが全てなの。どんな状況においても、皆が報われるわけじゃない。そんな現実、とうにあなたも知ってると思うけど」


 全てを把握しているらしい元保健師は自信たっぷりに断言する。その美談の中には風見鶏のように流れを見極め、優位な方に手のひらを翻した者は少なからずいるのだ。
 己の保身のためなら主義をいくらでも変更し、確たる信念など始めから持たない。全ては街の中で生き残り、少しでも優位な立場に立つ。それだけのために。


「正攻法なやり方はご立派だけど、確実性と効率に欠けるの。学校で調べているのも気づいてたけど、誰かはわからなかった。あなたにあの子のことを尋ねられて、ようやくわかったの。丁度よかったわ」


 ちょうど良かった?と、苛立つわたしはすぐさま復唱した。当然のように悪意のない平然たる顔つきで元保健師は説明を続ける。 


「だって治療のためとはいえ、街から抜け出せたでしょ。状況は違えど、あの子と同じやり方で運ばれて、全く同じ境遇を過ごせたんだから。ある意味ヒントを与えてたわ」

 さらに元保健師は、侵入するバイク集団のために救護車を呼ぶことが目的で、疑いがかかる友人は乗せただけだと、悪びれずに笑う。

「でもこれは事情を知ってるからこそ、できる芸当なの。あなたのは愛娘が引き起こしたアクシデントだし、搬送されるまであの状態に戻すのに結構、苦労したのよ?」

 勝ちを確信してか自慢げに元保健師は言った。自身の暗躍ぶりをもっと評価しろといわんばかりで、この人も愛娘と何も変わらなかった。街の人間が持つ知性や品性は関係ない、しかし元保健師は白けたわたしを察したのか、すぐ浮ついた気分を収めた。


「不確定要素のあなたを避けることは、計画の本筋を邪魔されないため。成功にはあなたが不要だし、ここは街と切り離されてるから。以前、働いていたことがあるから、勝手は知ってるの」

 ということは、おそらく元保健師は正規ルートでの面会で訪れてはいない。

 この件の首謀者は、他の誰でもない彼女なのだ。友人のために嗅ぎ回るわたしをここへ運び入れ、学校から遠ざけて終業式で後夜祭での出来事を再現させた。始めから友人が後夜祭の一件での濡れ衣を着せられたのは計画どおりで、あくまで本人は同意の上で姿をくらまし、静観を貫いたということらしい。その協力する見返りが留学を破棄された代わりの、街から脱出する療養施設への搬送だったのだ。


 わたしは今、タイムリミットが訪れることを何より恐れている。ここには私物もなく、時計は置かれていない。正確な時刻を知るのは時計を持つ元保健師だけだ。つまりわたしに話す内容を、どこまで明らかにするかの匙加減は元保健師だけが握っている。


「目的は理事長と愛娘をターゲットにした学校からの排除ですね。でも、もっと他にやりようあったでしょう?協力が得られていたなら…」


 ほんの僅かの怒りと、真実を知りたい好奇心から尋ねた。もう終わったことだとしても。


「…何かを企んだとき、近くにいた一で十を知るほど頭の切れる子を脅威だと思うのは当然じゃない?下手に関わってイレギュラーな事態になるのは困る。事実、なりかけた。もちろん計画の擦り合わせは、充分に行なった自負はあるわよ」


 整然と話す元保健師は、あくまで友人を陥れたのではなく事前に了承を得た上で、イレギュラーな事態になりかけたことを、わたしの方を見て釘を刺すかのように告げる。


「疑われても関知するなと?そもそも、なんであんな扱いを?留学を取り消す必要なんて、なかったでしょう」

 わたしが憤る一番の理由は、あれほど街から出られると喜んでいた友人の留学が、後夜祭の後で取り消されたことにある。しかし元保険師は、語気を強めて反論に徹した。

「言っておくけど、留学の件はもっと前からの話で私には預かり知らぬことよ。知り合いならあの子の事わかるでしょ?今まで学校の事情を何も知らないと思う?とっくに全貌を掴んで、もっと過激な解決策も考えてた。それこそ学校全体へ悪影響を及ぼすくらいのね、あなた達だって無事じゃすまない可能性だってあったの」



 友人は愛娘や学校について、元保健師とは情報交換をしていたようだ。ただ、わたしが知る友人はもっとドライで正義感が強いタイプではないように思っていたから、意外だった。学校に残るわたしや他所からの在校生のために、このやり方に同意したというが、確かに友人が主体となって関わっていたら理事長や愛娘はおろか、より多くの学校の関係者に容赦しなかったかもしれない。


 おそらく友人よりも元保健師の方が、この件の主導権を握っていたのだ。そして友人は街から出ることを優先し、関わらずに済む名義だけの参加に首を縦に振ったのだろう。建前上とはいえ自らを貶めることになったとしても。
 しかし、この件が動く前から留学が破棄されていたとは、どういうことだろうか?そもそも留学が予定通りなら、友人は協力しなかったかもしれないのだ。


「あなたが計画を練り、実行するために裏で暗躍したんですね。けど校内で共通する敵という人脈だけで、ここまで早期解決は成り立たない。もっと大きな権力や後ろ盾の大人がいますね?」

「ええ、それを繋いだのは、あなたのよく知る生徒のおかげよ」

 ようやく求めるレベルでの質問が出たことに元保健師は満足げに微笑む。強力な後ろ盾は計画に必要な資金力や人材を出せるだけの権力があり、学校の実権を再び取り戻したい目的を持つ、利害が一致した最も相応しい相手だ。そしてその両者を取り持ち、計画におけるゴーサインを引き出したことが友人にとって一番の功績なのかもしれない。


 だが、この結果に友人は納得しているのか?そして今は一体どこにいるのだろう、元保健師の話を鵜呑みにすれば街からはもう出たことになる。たしかにこれ以上、彼女には街に縛り付けられる様なことがあってほしくない。


「あの子の身を案じてるのも、知り合いってだけじゃないんでしょう。あなたについて忠告されたの、手を出すなって」


 元保健師からの一言に、わたしは思わず顔を上げる。それを肯定する、実に分かり易いリアクションに元保健師は黙って頷き、興味はないのか、それ以上は深く踏みこまない。

「彼女の留学が取り消された理由は、ご存じなんですか?」

 元保健師は理解しきれないわたしに、やれやれと言いたげな表情で、ため息混じりに明かす。

「あの子にとってはどうでもいいの、名誉だのロールモデルだのって。強いて言うなら"普通の人"になって、忘れられたいのね」

 わたしと元保健師との間で、話が食い違っていることに気づいていたが、その解釈は互いに異なっていた。

「留学の取り消しの理由は知らないけど、名誉回復なんて要らないみたい。知り合いを自慢に思うあなたには、さぞご不満だろうけど」

 元保健師が言う、友人のその目的なら、わたしがここに運ばれた、ずっと前から既に叶えられている。何らかの理由があって事前に留学が取り消されていたなら、学校にとっても利用価値はなくなっていた。それならこれ以上は友人のためにならないかもしれない。もし友人の留学の取り消しが計画に協力させるための、意図的なものでなければ。

「…既に終わったことなら、理事長や愛娘だけを排除した理由は、学校を汚染する張本人だけじゃないてすよね。話を聞いてると、お二人について昔から知ってるようですし」


 悔しさを噛み締めながら、話に踏み込もうとするわたしに元保健師は"悪の根本を断てば充分でしょう"とだけ濁してかわした。

 学校の利権を取り戻した創立者一族に学校運営を委ね、悪行に関わる最低限の不要な人員を排除すれば校内を変革でき、教職員や生徒たちも今よりはずっと正しい方向に導ける。そのうえで仲間内のなかで唯一、最小限にした犠牲に最も相応しいのが、街を出て忘れられたい目的を持つという友人だった。配置された人員への無駄が全くない、素晴らしい計画だ。


「後夜祭は学校で行われる悪行を"外部から目撃する侵入者"に知られることで、関わりあると匂わせて理事長に処分をさせた友人を囮にし、終わったと見せかけた"終業式こそが本番"だった。標的となる理事長父娘に不満を抱く、大半の教職員や生徒たちが何一つ知らないのは、処分される人員を極力減らすためですね」

「大多数の人に知られていることは、そもそも秘密とは言わないのよ」

 元保健師は冷静に、限られた人間のみが共有する表立つ必要のない事実、それが秘密であるべきだと論じた。

「まさか後夜祭と同じことが終業式で起こるとは、思ってないでしょうからね。呼びかけた相手が愛娘の彼氏なら、尚のこと」

「あのバイク集団は愛娘の知り合いなんですか?」



 計画の本番となる終業式では後夜祭と同じく、また外部から暴走バイク集団が侵入し、同じ状況下で今度は愛娘の名が呼ばれた。そして講堂に集う全教職員や全校生徒、これまで数々の悪行をもみ消した理事長の眼前で指名された愛娘は堂々と現れ、機嫌よく名乗り出た。

『今度は名前、間違えなかったのね。お迎えありがと〜』

 そして愛娘は一斉に自らに注がれる視線を一身に浴びつつ、勢いよくバイクに跨ると周囲を敵視したように鋭い眼差しで理事長を見据えると、"そういうことだから、あたし帰るわ"と自慢げに台詞を吐いて走り去っていった。

 この時の愛娘には、大した意図などなく生徒たちへの見栄を張ったマウントだけだったろうが、このマウントを兼ねたパフォーマンスにより侵入したバイク集団と仲間であることを皆に証明した形になり、後夜祭での友人は冤罪なのが明らかになった。しかしプライドを重んじる街の人間は一度、誤って振り上げた拳は翻さず、そのまま黙して風化することを選ぶのも予め計算していたらしい。

 なぜなら己の無知さを認め、恥をかくばかりか真実を見抜けず踊らされていたことを意味し、それを認める器を持つものは皆無だからだ。

 その後、愛娘を乗せたバイク集団は通報を受けた、交通機関からの追尾を逃れようと速度超過のデッドヒートを繰り広げ、最終的には予測された通りに転倒事故を起こす。唯一、格好つけてヘルメットを装着しない愛娘だけが即死した。

「もともと浮気性な男だから、他の女の名を呼ばせるのは苦じゃなかった。それで最も嫌がってるあの子を選んだの。薬物にハマったのも男の影響、賭けごと好きのバイクレースの気付薬。…身の丈に合わない背伸びしたのよ」

 この終業式での様子は、侵入したバイク集団のボディカメラから生配信されたことで、街にもすぐ全容が知れ渡った。そして後夜祭のことや、これまで学校で隠蔽された愛娘の悪行が芋づる式に明らかになったのだ。結果、理事長は逮捕され、経営陣などの学校のトップは軒並み退任したが、長年に渡る後夜祭での悪行などの全ては、愛娘ひとりに責を負わせた。

「学校への侵入は賭けレースにしたんですね?わざと友人の名前を出し、疑わせて処罰させ、同時に愛娘を色恋の嫉妬で惑わし、終業式の誘いにのらせ、父娘を追い出す決定打にするために」


 全容の答え合わせに、やや興奮するわたしは元保健師から冷血無比のように思わないでね、と苦言を呈された。

「愛娘みたいに、利用するだけしてポイ捨てなんかしない。私は協力してくれた相手の願いは必ず叶えてる、ギブ&テイクは徹底してるの」


 確かに友人は忘れ去られるように悪評を広められ、取り消された留学の代わりに街を抜け出し、それに一役買った愛娘を使い、理事長に責任を負わせ退陣に追いやる。学校の実権を取り戻したがっていた創立者一族には、あえて学校の名誉に傷をつけ経営陣を一掃し、学校を取り戻す算段をつけた。

 だが、友人が本当に街から出たのかを知らないし、愛娘の悪行が露呈しても理事長が切り捨てれば逮捕とはならず、経営陣を解任にまで追い込めなかったかもしれない。創立者一族に至っては学校の実権を取り戻したが、これまで築き上げられた名誉はとっくに汚されている。

 なら全てを裏で主導した元保健師は一体、何を得たのだろう?

 侵入したバイク集団の一員でレーサーだという愛娘の彼氏は、賭けごと好きと言っていた。学校への侵入を賭けレースにし、誰も突破したことないスリルと報酬を用意した。元保健師はおそらく愛娘とも何かやり取りしたはずだから、ヤニ臭さを残す保健室での喫煙など問題外だ。

「じゃあ愛娘には一体、何を?あなたは最初からずっと、理事長と愛娘だけを狙っていた。陥れるためにもっと前から近づいていたはず。信頼を得たあなたは自責を逃れる理事長から愛娘のお目付役として代理で雇われた、その要となる愛娘には、いろいろ手を焼いていたんでしょう?」

「ええ、やたら張り合ってくる彼女のお世話で精一杯だったわ」

「だからこそ、間を取り持つ人間が一人いれば違った。愛娘を振り回し、あなたのいうことを絶対的に聞く相手なら」

 一瞬だけ、眼差しを鋭くした元保健師に、わたしは療養する施設から体に打たれた薬物についての説明した。この薬物は街では出回らず、学校の生徒だけに検出されているもので、薬物の配合にバリエーションがあるため簡単に除去しにくいという。

 だがわたしの場合は事前の処置が優秀で、薬物による影響は殆ど体に残らないようになっていた、と聞かされた。だが搬送されたのが夜間だったことから、手続きなどは翌日からになると知らされ、時間稼ぎのためだと気づかされた。

「それを聞いた時、あなたの優秀さを改めて思い知ったんです。あなたは実に的確で手慣れていて、"薬物による体へのダメージが殆ど無い"うえに"よほど薬物に精通するか、調合した本人でない限りはあり得ない処置だ"と施設の担当者から言われました」

「あら、ずいぶん饒舌ね。よく出来ました、と褒めるべき?」

 嘘くさい驚嘆の声をあげる元保健師は、わたしの話を拍手で称えたが全く嬉しくなかった。余裕しゃくしゃくの元保健師は、肩の荷が下りて気楽なのか饒舌に補足した。

「あの娘には色々と苦労したの。でも男を経由すればスムーズになった。あの二人、惚れた相手に弱い、似た者同士だから扱いやすかったわ。ハイスピードでの逃走で後ろに乗せたのは報酬が上がるのと、うまくいけば別れ話で揉めてたんじゃないかしら」

 元保健師は標的である理事長と愛娘を陥れるため、愛娘の引き起こす悪行に裏で加担し、校内へ侵入させる賭けレースを主宰していた。侵入を成功させる詳細な情報も提供したのだろう。もしかしたら周囲に理事長と愛娘が悪くみられるよう、時間をかけて双方を裏から誘導した可能性も出てきた。元保健師は理事長と愛娘を"悪の根本を絶てば充分"だと言っていたが、彼らを隠れ蓑にしていただけではないのか。本来の諸悪の根源は、元保健師だったかもしれない。

 「愛娘が亡くなって、ホッとしました?仮に愛娘に喋られても、薬物依存ですから信憑性には欠けたかもしれませんが。ところで裏で牛耳ったあなたには、どんな報酬を得たんです?後ろ盾の権力者から不問にされること以外に」

 たっぷり間を取ったのち元保健師は、"さっき言った忠告は覚えてる?若気の至りだけじゃ済まないことだってあるのよ"と、牽制するに留めた。

 「どうせ口は封じられています、この件に関しては。知ったところで言えない秘密が増えるだけ、それとも裏で父娘を操り、実は学校を腐敗させていた張本人だと知られたら、何かマズいことでも?」

 元保健師に比べたら、大した煽りにもならないわたしの挑発に、脳内で巧みな計算を働かし、しばし元保健師は熟慮する。

「…そうね、確かに秘密は守ってこそ価値がある。あなたは光栄に思うといい、仮にあの子に憧れてるなら幾らかは近づけてる。同じようにはなれなくてもね」

 元保健師はざらりと嫌な質感を残すコメントを発し、わざと話を逸らした。それから再度、腕時計の存在でリミットを告げる。

「あの子も、目的のために私と同じことをしてた。留学をとり消されたのはそれが原因。実はあなたも関わってることは知ってた?」

 次の瞬間、施設内の警報ベルがけたたましく鳴り響く。非常事態となった療養施設には軽い混乱が見られ、ところどころで困惑した動揺が広がる。わたしが意識を他に取られた隙に部屋から元保健師の姿は消え去り、不在となった場所の残り香には二度と会うことはない、今生の別れの余韻だけが残った。

 もうターゲットに据えた理事長父娘への因縁が何かを、正確に知ることはなさそうだ。唯一、可能性があるのは理事長からの供述だが、都合の悪いことにとことん向き合わない理事長の気質から、全容を知っていたわけもなく元保健師にまで辿り着くのは困難だろう。そして取り戻した学校を不名誉に仕立て上げたのは、立案した計画をプレゼンされ、必要経費を捻出した相手であろうこを、知らぬ創立者一族も同様だ。この件への不問に処すのは、元保健師への保険なのだ。
 
 こうして元保健師の計画通り、全ては終わりを迎えたことになる、かもしれない。

 わたしは無駄に首を突っ込み、元保健師の計画を掻き回すのを恐れて排除された。代わりに、街から出るという希望を叶えられた。しかしこのままでは、居住審問が通れば再び街へ戻されてしまう。

「ったく昨日、何を点検したのよ〜、部屋、全部回って確認して!誰かいますか?外に避難してくださーい」

 様子を見に来た施設の従業員たちは収容される人々を急いで、安全な場所に誘導するために駆け回っている。突然のパニックに対応しているが冷静ではいられないようだ、わたしは咄嗟に部屋の死角になる場所へ姿を隠してやり過ごし、人がいなくなるまで息を潜めた。

 今、施設内で自由に立ち回れる隙が生まれ、街から外れた場所にある施設から脱出する最大のチャンスを迎えている。しかしわたしは元保健師に何を与えただろう?彼女が立案した計画の全容を暴いたわけでもなく、逆に邪魔しかけたからこそ排除に追いやられ、多少の秘密を共有したくらいだ。
 
 ならばこれは口止め料だろうか、街から出たいわたしが去れば、元保健師の秘密の一端を知るものはいなくなる。急遽、願ってもないチャンスにわたしは、頭に入れていた施設の外へ抜けるルートへ全速力で駆け抜けながら、そんなことを考えていた。

 たとえわたしがいなくなっても街ではいつも通り、定められたシステムの枠組みの中で新しいロールモデルに"持ち上げられた誰か"が、人々から賞賛されるだろう。もちろん水面下では常にその座を狙い、引き摺り落とす手立てにまみれて過ごすのが常識だと受け入れられる人々の中で。



 もはやその世界から脱する今のわたしにはどうでもいい。わたしの場合は合わない環境を変えることが手っ取り早かったが、今まではそれすら叶わなかった。
 今日まで他人から興味を持たれ、関わるたびに怯える日々を過ごした。なぜなら今までずっと、わたしと関わりを持った相手が必ず何かしらの制裁をされてしまうからだ。だからわたしは潜むように、なるべく周囲と関わりを持つことを避けて暮らし、友人が姿を消した時も、また誰かから制裁されたのではと、一抹の不安を抱えていた。友人の安否がわからない以上、可能性は失くなっていない。

 街に来る前から"それ"はあり、この街に来ても変わらない"何か"からの過度な監視というべき干渉はかけられていた。だがわたしには誰が、何の理由でかも分かっていない。まるで学校で街の生徒たちが友人に、他の生徒たちとの関わりを許されなかったのと同じように。

 これからも何が起こるかはわからない。しかし安全の代わりに全てを管理されてしまうより、予測のつかない日々をわたしは選ぶ。未だ確かな消息を掴めない友人も、きっと同じ判断をし、街から抜け出したことを願う。

 施設を囲う外壁を抜け、薬物除去カリキュラムでのトレーニングで鍛えられた走りで、さらにまだ見ぬ知らぬ先へスピードを上げていく。後ろに控える街の眩い光景に背を向け、非常事態を知らせるベルが鳴り終わるまでに施設から、とれだけ遠く離れられるかが勝負どころだ。


 そうして友人のいない街から、わたしもいなくなった。


                           了

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