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物語の延長

アークナイツのイベントシナリオを読んでいた。メインストーリーを数章放置していたので、それを多少駆け足気味に読み進めて。『ニヤニヤ谷へ』も読んだ方が良さそうな雰囲気だったので一通りチェック。今日になってやっと『バベル』を読み終えた。文字を追うスピードが遅いとかではなく、読まなければと思いながら無為に時間を過ごしていたせいである。(おかげでイベントステージを急いでクリアしないといけない。)

端的な感想としては、納得の行く話だった。内容自体はゲームの来歴からして5年そこら寝かせていたことだろうから、当然と言えば当然だ。見知った様々なキーワード、エピソードを拾いながら、分かりきった結末まで駆け抜ける。要所のビジュアル、そして情緒の触れ方の綺麗なことよ。

既知の物事を後出し情報で新鮮味を加えて描き直すことは、作劇手段としてある意味で"ずるい"ものかもしれないが、それは一読者としては必ずしも重要でないことで、ここではうまく機能しているので良かったという感想に至っている。既に何度も語られたカズデルという故郷を、まだ衰えきっていない時代から捉え直す。『VIGILO』で語られた内戦の発端と、主人公の参入の経緯を明示する。(このゲームのシナリオ全体を俯瞰した時に)家族の死別をベースに語られる悲劇の描写が執拗すぎるきらいはあれど、全体として十分な濃度を持ったシナリオになっていたと思う。終盤において、無機質な内装で統一されたロドスが牙を向く場面は、特に印象的だった。("願い"の上では、その船は暖かさを伴った"家/Home"であることも悲しさを募らせる。)

多くのプレイヤーと同じく、私にとってもケルシーとテレジアは心に刻まれるようなキャラクターで、彼女らへの入れ込みようは説明が難しい。一方は知恵と武力を備えた従者で、一方は慈愛の理想主義者、古典的とすら言える定番の造型であって、どちらも舞台と文脈の上でこそ真の輝きを持つ。開発チームが執念深く政治と分断とSFを書き続けてきたが故に輪郭が明瞭に映る。

このゲームのシナリオについて考えると、何となしに"御伽噺"という言葉が浮かぶ。伝承に始まり、極めて空想的に世界全体を描き、思想を押し付けることを厭わない。そういう物語は世の中に沢山あるはずなのだが、享受者としての怠慢故か、触れる機会はあまり無い。大作を見つけ出し消化する気力が不足しているのはまず一因として挙げられて、醜く物語に縋る人間が現実のそこかしこで見られることも影響しているかもしれない。

そのような物語に共鳴を見出す時(そして俗なことに"美少女"を含むことは大きな因子であるようだ)、箱に入れて、心に留めておきたいと思う。例えば一冊の小説か、一本のノベルゲームのように。今の自分は、この上なく美少女ゲームを読みたいと思っている。同時に、その欲求を満たす作品が恐らくこの世に存在しないことも理解している。

有体に言えばself-containedなアークナイツが読みたいのだ。それはアダプテーションでどうにかなる話ではない。代替品を求める(つまりは商業的に真向から競合するデザインの商品の成立に期待する)というのも、見込みの薄い筋だろう。かといって本元に期待するとしても、無期限に存続するソーシャルゲームという形態が、物語の完結を遠のかせ続ける。世界の拡張を止めることができず、物語の根幹から遠いキャラクターとシナリオを投下し続けることを避けられない。テキストの増改築によって撒かれ続けた伏線は、少なからずが放置されたまま終わることだろう。

(私がインターネット上でソーシャルゲームという業態への恨み節を語ることは幾度となくあって、驚くべきことに、この文章もその一つである)

高い頻度で語られる恨み節というのは、一般的に愚痴と呼ばれるもので、往々にして解決方法に乏しいものだ。できることは、他人の物語が秀逸に昇華されることをただ祈るか、他人に頼らず、自分の為だけの物語を書き溜めることくらいだろう。

余談:
ケルシーのフィギュアを購入した。フルプライスのフィギュアを買うのは約10年ぶりの2回目になる。彼女の偶像のある部屋はとても居心地が良く、素晴らしい買い物をしたと思っている。



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