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二つの伊吹山(小倉百人一首51)

かくとだに・・・

かくとだにえやはいぶきのさしもぐさ
さしもしらじなもゆるおもひを

小倉百人一首五十一番の有名な歌です。

「いぶき」は「言う」と「伊吹山」の掛詞。

「いぶきのさしもぐさ」は「さしも」を導く序詞。

稚拙ながらに口語訳すると


このようにとすら、どうして伝えることができるでしょうか。

あなたはちっとも知らないでしょうね。

伊吹山で採れるさしも草のもぐさのように、私のあなたへの想いは静かに燃えているのに。


このような歌で告白されたら、さぞときめくことでしょうね。

響きも美しく、情熱にあふれる歌です。


実方集の詞書きには、「人にはじめてきこえける」とあります。

「聞こゆ」は手紙を差し上げたという謙譲語。

おそらく高貴な女性に、秘めていた想いを初めて打ち明けた歌であるとわかります。

だからこそ気軽に言えない想い。うーん、切ない。

二つの伊吹山

さて、この歌に出てくる「伊吹」とはどこなのでしょう?

滋賀県と岐阜県の境にある伊吹山をよく取り上げられるのですが、栃木の伊吹山説もなかなか惹かれるところがありまして。

関西の伊吹山なら、京都から近いですから、当時の女性たちの中にも実際に眺めたことがある方もいたことでしょう。

倭建命(やまとたけるのみこと)の白鳥伝説でも有名な地です。

私は直に見たことはありませんが、時に雲に覆われて峰が見えないこともあり、神話にも登場する霊峰はとても厳かに感じます。


これが栃木の伊吹山なら、見たことがある人はわずかでしょう。しかし、東国にある歌枕はたくさん歌に詠まれています。

未知の土地の歌枕はどこか異国のようなロマンがあるのでしょうか。

同じく小倉百人一首に歌を採られている能因法師は、歌について研究しています。『坤元儀(こんげんぎ)』という歌枕をまとめたものには、伝えるところ下野国の伊吹山と書かれているそうです。

彼は実方と同じ時代を生きた人物です。

と言っても、実方と会っていても、彼はこどもですが。まだ歌がみずみずしく残っている時期ですし、論拠が気になるところです。

また、前回、小一条流が東国に何か権益を持っているのではないかと書きました。

実は実方集には、身内に想いをよせる女性がいたことを示す歌がいくつかあります。

先の段に書いた通り、この歌は身分のある女性に贈ったと思われます。

歌を贈った相手が彼女であれば、小一条流に縁のある東国にある伊吹山は、何か特別な意味があったのではないでしょうか。

枕草子の伊吹山

最後に、この歌は清少納言の『枕草子』の中にある歌と似ているので、彼女と恋愛関係にあったという理由の一つになっています。

おもひだにかからぬ山のさせもぐさ誰か伊吹の里は告げしぞ

ちっとも思いもかけませんでした。さしも草が生える伊吹山の里ではありませんが、誰がそのようなことを知らせるのですか。

ある人に「地方に下るのか」と訊かれた折の歌のようです。

関西の伊吹山では、ちょっと近すぎますね。これも下野の伊吹山でしょう。

別の機会に書きますが、実方との関係は『枕草子』では読み取りづらいです。それなのに、宮仕えをやめて、実方のあとを追って東国に行くと噂されたことをほのめかしたりするでしょうか。


【参考】

岩波書店『新日本古典文学大系 平安私家集』

三笠書房 板野博行『眠れないほどおもしろい百人一首』

彩流社 相原誠次「みちのく伝承ー実方中将と清少納言の恋ー』

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