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冷泉院と為尊親王の死


最近読んだ『栄花物語』の中で印象に残った場面です。

かくて弾正宮うせさせ給ひぬといふこと、冷泉院ほの聞こしめして、「よにうせじ。よう求めばありなんものを」とぞ宣はせける。
あはれなる親の御有様になん。

栄花物語

奇行の天皇


冷泉天皇は、容貌は父村上天皇より美しかったとも言われていますが、奇行が目立ち、体も弱いため、2年と少しで退位させられました。

病気で寝ているのに、大声で歌ったり、足から血が出ているのに一日中鞠を蹴っていたり、それらがまるで物の怪に憑かれているようだったというのです。

冷泉天皇の后妃


冷泉院には四人の后妃がいました。

宗子内親王、尊子内親王や花山院らを産んだ、藤原伊尹の娘懷子。
三条天皇や、為尊親王、敦道親王らを産んだ、藤原兼家の娘超子。
二人とも、皇子たちが成人する前に亡くなります。

藤原師輔の娘怤子、朱雀院の忘れ形見昌子内親王、二人は子を授かれませんでした。

けれども、昌子内親王は、冷泉院の皇子達に大事にされていたようです。
花山院は猫をもらって献上してます。
為尊親王は、昌子内親王のもとを出入りしているうちに、内親王につかえていた和泉式部と出会います。残念ながら、彼は、流行病が蔓延する都を出歩き、和泉式部のもとに通ったために、病になって、亡くなったと伝えられています。

昌子内親王が、太皇太后として、父院の妻(義理の母)として大事にされていたのは、家族としても、とてもよい関係だったからではないかと、思ってしまいます。

(余談ですが、昌子内親王がなくなったことで、后の枠が空いたので、彰子の立后の話を進めることができるようになったとか)

漫画では、創作ですが、昌子内親王が飼っていて唐猫の子を、内親王の形見としてもらい受けたことにしています。

父子の歌

冷泉院と宮達の話もまだあるのですが、一度に書き切れないので、『大鏡』など読んでいただけると。

その中から一つだけ。

冷泉院に笋(たかんな)献(たてまつ)らせたまへる折は、
世の中に経(ふ)るかひもなき竹の子は我が経(へ)む年を献るなり
御返し、
年経ぬる竹の齢を返してもこの世を永く為さむとぞ思ふ
「忝く仰せられたり」と御集に侍るこそ、あはれにさぶらへ。

大鏡

冷泉院に竹の子を奉らせたまえる折には
世の中に年を重ねるかいもない竹の子である私は、これから重ねるであろう年(寿命)を捧げます。
御返し
これから重ねる竹の齢を返しても(私の寿命を返してでも)子にこの世を末永く生かしたいと思う
「もったいないことをおっしゃられる」と御集にお入れになっておられるのは、なんと素晴らしいことにございます。(『大鏡』より)


これだけでも、父と子の深い情愛を感じずにはいられません。
まるで、この言葉の通りかのように、花山院は冷泉院より先に亡くなります。
子ども達にたくさん恵まれた冷泉院でしたが、亡くなる日に残っていたのは、三条天皇だけでした。(と言っても、孫も大勢いますが)


【参考】
松村博司『栄花物語全注釈』角川書店 1978年四版
倉本一宏『平安朝皇位継承の闇』角川選書 平成26年


右から敦道親王、為尊親王、居貞親王(三条天皇)、冷泉院





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