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大河ドラマ『光る君へ』(29)「母として」の感想

最後は正妻


 まひろと藤原宣孝、やっと夫婦らしくなってきたと思ったのに、宣孝は山城国で亡くなってしまいました。

 葬送は北の方が取り仕切ったと、使いの者から伝えられます。
 そう言えば、まひろは妾だったのを思い出します。
 
 まひろの元に訪れた宣孝は、土産を持って「帰ったぞ」と言ってくれたけど、北の方と住む本邸があるんですよね。


 豪放で快活であった殿様のお姿を心にお残しいただきたい。

 事切れた姿を見せたくないというのが、北の方の配慮らしいのですが、愛した人なら、どんな姿であろうと、会いたいと思うであろうに。そして、そこは妻ならわかるであろうに、すっかり片付いてから、報せるなんて。

 ひょっとしたら、宣孝の他の妾たちにも同じように報せたのでしょうか?

 まひろのところによく宣孝が通うことを北の方はよく思っていなかった可能性もあるのだろうか。と意地悪く思ってしまいます。
 死穢を広めないためとも、とれますけれど。

 そんなこと考えたまま、Xのタイムラインを見ていたら、肝心の宣孝に仕える者からも連絡がなかったことに気付かされました。

 ドラマの演出と言えば、それまでですが。

舞とあなどるなかれ

 今回、藤原伊周の嫡男松君が登場しました。
 枕草子に描かれる幼児の頃も観たかった。
 
 どうやら伊周は松君を厳しく教育していたようです。(参内できないので、時間を持て余していたでしょうしね)

 この厳しさが、将来に影響しないといいのですが。

 舞はお家再興のため
 舞で?!

 と思ってしまいますが、その理由が次のシーンでわかります。

 鷹司殿源倫子の長男田鶴君と高松殿源明子の長男巌君が、詮子の四十歳の祝賀のため、舞を披露します。

その前に、試楽で田鶴君が褒められていたのですが(『権記』)、本番では巌君の舞は、参列者の涙を誘い、興に入った一条天皇は、巌君の舞の指南役に官位を授けました。(『小右記』)

 舞や歌が優れていると、昇進できることがあるのです。


 ドラマでの例を取れば、まひろの父藤原為時の漢詩を道長が読んだことがきっかけで、人事が改められ、為時は、越前国司に任ぜられます。

 説話には、歌で罪を許されたり、雨乞いの歌で本当に雨が降ったり、そんな話もあります。

 芸事は才を披露する機会でもあり、また、神に捧げる儀式でもあり、神事は政でもあります。

詮子の最期

 道長をかわいがってくれた詮子が亡くなってしまいました。これで、道長の兄弟は異母兄の道綱だけに。道綱は道長にとって欠かせない存在として、ともに朝廷にあり続けます(行き届かないところも多い道綱ですが)

 しかし、なぜ詮子が薬を拒んだのかよくわからないまま亡くなってしまいました。

 罪滅ぼし?

 定子の遺児敦康親王は彰子、媄子内親王は詮子が養育したはず。

 安和の変で不憫な境遇にあった源高明の娘明子、内親王の面倒を見、敦康親王の後ろ盾の弱さを心配し、藤原伊周の復位を提案した詮子。
 一条天皇とは最後まで不和であったという説もあります。

 しかし、息子でもある帝に後ろめたさはあっても、孫たちを思い、最期はもっと安らかにあって欲しかったとも思ってしまいました。

 脱線しますが詮子は、永井路子先生の『この世をば』と冲方丁先生の『胡蝶の夢』の描き方の違いがとてもおもしろいと思っています。

 

 さて、次回は私が好きな和泉式部が登場するらしいので、とても楽しみです!


追記

前回の漫画のXでの反応に驚いてしまいました。
ありがとうございます。みなさん猫が好きなのでしょうか。


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