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四条宮下野と後冷泉天皇との和歌



前回、後三条天皇に触れましたが、その先代がこの後冷泉天皇です。
風流をとても愛した天皇であったそうです。
後一条天皇、後朱雀天皇と継嗣に恵まれず、なかなか後継者問題が大変なのですが、今回は置いておきます。

この後冷泉天皇の皇后で、頼通の娘(四条宮)寛子に仕えたのが、歌人四条宮下野。

下野は宴に遅れて参上したので、即興で歌を詠みます。「月の光」とは天皇の威光を表します。
遅刻してきたパーティで余興を披露する感じなんでしょうかね。盛り上がったでしょうね。

ここで返歌は、天皇付の歌が上手な女官などが詠むころが多いのですが、御自ら詠もうとされています。さすが。

その時何度か、詠まれた歌を口ずさむんですね。
これは、『紫式部日記』で紫式部に返歌する藤原道長もやっていました。
村上天皇が天暦の歌合で、平兼盛の歌(※)に興を覚えて、口ずさんだために、兼盛が勝ったという説話もあります。
※忍ぶれど色にいでにけりわが恋は物や思ふと人のとふまで

でも、返歌ができない時は、歌を繰り返して、秀歌を讃えるのですね。
これもまた、藤原実資の日記の中で、藤原道長のがあの有名な望月の歌を詠んだ際、あまりによい歌で返歌するのは畏れ多いと言い、道長の歌を繰り返したところ、皆それに倣ったといいます。

話を戻して、四条宮下野集、寛子のサロンの華やかさを描き、まるで歌集版枕草子。下野は本当に歌が好きで、それが端々滲み出て、かわいい。しかも、この場には私の好きな貴族たちの子や孫やいる。
その中で、とてもおもしろい冒頭歌だと思い、漫画にしてみたいと思ったのでした。


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