致死量の道徳を浴びる:「ざわざわ森のがんこちゃん」

 無職だから時間は腐るほどある。無為に過ごす日々、心は罪悪感で埋め尽くされていく。どうしても朝が苦手で昼まで寝ていることが多い私だが、珍しく朝早くに目が覚めた。リビングのテレビではEテレが入っていた。「いないいないばあ」や「ピタゴラスイッチ」を見て昔を思い出す。そのままテレビの前で体育座りをし、気づけばEテレに夢中になっていた。金曜日の朝9時は「新・ざわざわ森のがんこちゃん」が放送される時間。(聞きなれたオープニングを松平健が歌っていて驚いた。)

 がんこちゃんを見ると道徳の授業を思い出す。私は道徳の授業が嫌いだった。「正解はない」と言いつつも用意された望まれる答えも、それと違ったことを言ってしまった時の先生の微妙な表情も、簡単に崩れ落ちてしまうような綺麗事を「道徳」として植え付けられることも、全て嫌だった。道徳の時間が終わる頃にはいつも、私の心に言葉にし難いモヤモヤが残るのだった。

 その日のがんこちゃんのサブタイトルは「ラッパーのはやりうた」。あらすじは次の通り。

授業中、がんこはうまく発表することができず、言葉につまる。そんながんこに、カッパのラッパーが、どんなときにも使えるという便利な言葉を教えてあげるが…

https://www.nhk.or.jp/school/doutoku/ganko/onair/

 便利な言葉「イイカンピー」を教えてもらったがんこちゃんは、早速学校で使ってみる。するとみんなに大流行り。がんこちゃんは何を聞かれても「イイカンピー」で答えるようになる。ツムちゃんが作ったクッキーの感想を聞かれても……

「どうかしら?」とツムちゃんにきかれ、「うん。イイカンピー!」。「かたさは?」。「え? イイカンピー!」。「あじは? かおりは?」。「ぜーんぶまとめてイイカンピー!」

https://www2.nhk.or.jp/school/watch/outline/?das_id=D0005130189_00000

 ツムちゃんは浮かない顔で「もういいわ……」と帰ってしまう。ツムちゃんを追いかけたがんこちゃんは校長先生とハジメどりさんを見かける。2人は美しい夕焼け空を見上げていた。はじめは「イイカンピー」と言っていたがんこちゃん、校長先生に「雲が何色に見えるか」と問われる。白だと思っていた雲も、よく見るとピンクや紫、さまざまな色に見えることに気づく。

「あっ、でもまんなかへんがキラキラしてるね。よーく見ると、すっごくいろんないろ!」とがんこちゃん。「それで、なんとかぴったりのことばを見つけたくて、さっきから二人でかんがえてるんですねぇ」と校長先生。

https://www2.nhk.or.jp/school/watch/outline/?das_id=D0005130189_00000

 「ぴったりのことば」というのを聞いてハッとしたがんこちゃんは、ツムちゃんに精一杯の自分なりの言葉でクッキーの感想を伝える。がんこちゃんとツムちゃんは仲良し。そうして物語は終わる。

 感動、そして衝撃。

 私自身も「やばい」や「エモい」など、広い意味を持つ便利な言葉ばかりに流されてしまいがち。このままではまずいとは日々思っており、それぞれの事柄にピッタリな言葉を見つけることの重要性についてはよく考えていた。それを、がんこちゃんがこんなにも分かりやすく伝えてくれるとは。時代に合わせたストーリーがまさに現代人である私の心に突き刺さる。がんこちゃん、「道徳」すぎます。

 思えば道徳の授業に対して反抗的な心を持っていた私はむしろ「典型的なこども」だったのかもしれない。大人になってから改めて教育番組を見ると新しい発見がある。こどもの頃には見抜けなかった本質が、わかるようになるのです。もうひとつ、その日にやっていた「もやモ屋」という番組もかなり「道徳」だったので合わせて感動した。また別の記事にするかも。あまりにいっぺんに「道徳」を浴びてしまったので午前中だけでかなり脳が刺激されてそのあと少し放心状態だった。いい刺激を受けられるので毎週金曜日はがんこちゃんを見よう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?