自己紹介 タイトルに書いてある通りニートです。20歳の無職。生まれてきたこと自体をうっすら後悔しています。中学生の頃からぼんやりとした希死念慮を抱えて先のことを考えずに生きていたらこんな人間になってしまいました。今年(2024年)の4月から無職になり、焦って始めたコンビニのアルバイトを1週間で辞めて今に至ります。 さすがになにかやらなきゃマズイと思い、元々ものを書く人間になりたかったことを思い出したのでnoteに挑戦してみます。まずはゆるく長く書き続けることを目標にして
映画を1本見るだけでその日がなんとなく充実したように感じられる。何も為さない日々で自尊心を失わないためには達成感が必要で、映画はかなり有効な手段である。という訳でAmazonプライムで『ボーはおそれている』を見た。以前予告編のPVを見て気になっていたのだ。 結果から言うと私には理解できなかった。まず見始めてからこの映画が3時間あることに気づき、そこで若干の不安が生じていた。が、見始めた以上引き返せなかった。 主人公のボーは不安症なのか怖がりなのか常に暗い顔をし、なん
あの時「死にたい」と言ったけど、私は本当は死にたくなんかなかった。ただもう生きるのにも疲れてしまっていて、というか自分が生きるのに向いていないということに気づいてしまってから、生きることが嫌になってしまっていた。私はただ幸せになりたくて、でも幸せなんてものは明確に定義されていないから、自分で見つけなきゃならないのだ。けれどそれを見つけるための地図も方位磁針も私は持ち合わせていなかった。当てもなくさまよいながら、自分がどんどん目標から遠ざかっているような漠然とした恐怖だけが常
無職だから時間は腐るほどある。無為に過ごす日々、心は罪悪感で埋め尽くされていく。どうしても朝が苦手で昼まで寝ていることが多い私だが、珍しく朝早くに目が覚めた。リビングのテレビではEテレが入っていた。「いないいないばあ」や「ピタゴラスイッチ」を見て昔を思い出す。そのままテレビの前で体育座りをし、気づけばEテレに夢中になっていた。金曜日の朝9時は「新・ざわざわ森のがんこちゃん」が放送される時間。(聞きなれたオープニングを松平健が歌っていて驚いた。) がんこちゃんを見ると道徳
「死にたい」というと、死にたくなるほどのつらい出来事があったんだなと思われがちだが、思い返してみると私には別にそれほどの出来事はなかった。私の死にたい理由なんかいつも「明日学校があるから」とか「明日バイトがあるから」とか「体重が増えたから」とか「もっと寝てたいから」とか。まぁそれはちょっと大袈裟かもしれないけど、それくらい人に言えば「そんな事で」と言われるような事ばかり。それでも、私はいつも真剣に死にたいのだった。正確に言えば私の気持ちは「死にたい」よりは「生きるをやめたい
私は中島敦の『山月記』に登場する李徴が大好きです。 プライドが高く承認欲求が強いくせに、自己肯定感は低いという本当にどうしようもないところが好きです。そのどうしようもなさが最早愛おしいとさえ思えてくるのです。そしてどこか、李徴に自分と近いものを勝手に感じてしまっており、この小説の出来事がとても他人事とは思えないのです。何回も何回も読み返した私の、脳内では収まらない李徴への感情をここに吐き出してしまいたい。今回はそういう記事です。 本気でどうしようもない男、李徴 まず
私は本を読むのが好きです。いつから好きだったのかはさっぱり覚えていないが、小学生の時、休み時間によく教室で本を読んでいて先生に褒められたのが嬉しかったという記憶があるので、その頃にはもう読書が好きだったのだと思う。小説も実用書もコミックエッセイとかも大体なんでも読む。特に紙の本が好きなので図書館は楽園です。紙の厚みとサラサラした手触り、ページをめくる音と感触は、まさに「本を読んでいる」と実感できる。 私が読書好きになった理由はおそらく母にあります。私は小さい頃の記憶が曖
「ブサイクだから」という理由で学校に行けなかった日がある。 短大に通っていた頃、私は毎日メイクをしていて、すっぴんで学校に行くことはほぼ無かった。初めは単に自分に自信がつくからやっていたのだが、そのうち、すっぴんを人に晒すのが怖いと思い始めて、徒歩5分のコンビニへ行くにもフルメイクとマスクをしなければいけなくなった。 その日は前日に過食してしまったのもあって、全身が酷く浮腫んでいた。朝、洗面所に立って鏡を見た瞬間絶望した。なんとかいつも通りの顔に戻そうとマッサージをし
Yahoo知恵袋で「思い出せない」と検索すると、小説や漫画のタイトルが思い出せないという人の質問がたくさん出てきます。その人が探している本を、主にネットを使って特定するのが趣味という時期がありました。今も暇な時たまにやっています。 あまりメジャーな遊びじゃないけれどこれはかなり楽しい。単純にクイズみたいで面白いのです。限られた情報から推測し、調べ、特定する。まるで探偵みたいじゃないですか。お家の布団の中でスマホをポチポチしているだけで探偵気分を味わえる。お手軽探偵ごっこ
規則正しく並ぶ傷を「本当はそんなに苦しくないんでしょ」という声が抉る。本当に辛い人は縦に切るらしい、本当に辛かったらもっとぐちゃぐちゃに切る、本当に辛かったらもっと深く切る。 うるせぇ、黙れ。静かに、自分の耳にも聞こえないほど、小さな声で、呟く。乱暴な言葉を音のない空間が飲み込んでくれることに安心する。静寂と闇は自分の味方で、光が敵だといつしか思い込んでいるけど、だからいつまでも幸せになれないことも、本当は知っている。でも知らないふりをする。だって私はまだ、幸せになんか
スマホよりパソコンの方が俄然やる気が出る。文章を書くことにおいては確実にそうなのである。なんとなくパソコンで文章を書いている方が作家ぽさがあり、テンションが上がります。私は何事も形から入るタイプであり、そういう「ぽさ」があるとわかりやすく興奮する質なのだと最近になって自覚しました。しかし熱しやすい性質は冷めやすい性質と表裏一体なのだ。思い立ったらひょいと飛び込むが、すぐに飽きてやめてしまう。これをどうにかしたい。 形から入ることは別に悪ではないと思います。それでやる気が
頭の中の声がうるさすぎて耳を塞ぐけれど、聞こえるのは耳からではないので意味が無い。私は本当に何も考えていない時間というものが全然なくて何も考えたくない時はとにかく眠るしかない。高校生の頃はよく思考から寝逃げしていました。今もよくしている。 常にもうすでに1度は考えたことのあるようなことばかりぐるぐると考えていて、結局いつも答えが出ないのでまた別の日に同じことを考えるはめになったりする。日常はその繰り返しでできているようなものです。ハマっている音楽があるとリピート再生して
先日少ししんどくて、そんな時 mimiさんの『今はいいんだよ。』という曲を聞いていました。優しいメロディーはもちろん、特に歌詞に惹かれて何度も繰り返し聞いていると気づけばボロボロと泣いていた。特に好きな歌詞があるので今回はその話がしたい。今しんどい人にぜひ聞いて欲しいと思います。 「星の輝きがしんどいって」 綺麗なものを見るのがつらいときもある。しんどい時なんかは特に、キラキラと光るものを目の前にすると自分の醜さや汚さがその光を受けてクッキリと浮かび上がってしまうようで
暑い。夏がきた。わたしは1年の中で夏が1番嫌いです。なぜなら暑いから。暑いと頭が茹だってグラグラするし吐き気もする。扇風機を回すとなんだかつられて回ってるような気がしてめまいもしてくる。でもクーラーの風もなんとなく苦手。逃げ場がなくて追い詰められて、夏はとにかくずっと体調が悪いような気がする。いつからかわからないが夏が嫌いになった。憎んでいると言ってもいい。 毎年夏が来ませんようにと願っているが、当然叶ったことはない。今度短冊に書いて飾ってみようかなと思う。夏のイベント
天使が死んだ。 首を吊って死んだ。 天使には羽があった。 踏み台はいらなかった。 呼吸の音がきこえなかった。 笑い声がきこえなかった。 軽い足音がきこえなかった。 心臓に耳をあててみた。 なんにも音がしなかった。 首に跡がついていた。 なにかの印みたいだった。 蛇が巻きついたようだった。 まだ名前がついてない 綺麗な模様みたいだった。 まぶたは柔く閉じていた。 口は少しだけ開いていた。 死んだようには見えなかった。 今にもそのまぶたを開けて 青空を映したビー玉みたいな
いつの間にか人に評価される、認められることでしか自分の価値を感じられなくなっていて、だから人との関わりがほとんどない今の状態はかなりまずい。学生の時は勉強を頑張ればわかりやすく評価されたし、私にとってそれはかなり原動力だった。勉強は別に死ぬほど嫌いって程じゃなかった。それよりも、低い点数をとる方がよっぽど嫌で、とても怖かったから勉強していた。今になって考えると、別に高得点なんかとらなくたってよかった。だって私はいい大学を目指していた訳ではないし、高得点をとらなければ親に怒ら