過去を手放す。

仲人業だと言うと、楽しそうだとよく言われる。楽しいかどうかはともかく、少なくとも前職の大学事務よりは向いている気がする。今から7年ほど前、人生を賭けられるような仕事に出会いたいと強く願ったところ、仲人業に出会うことができた。ラッキーである。当時、前職場では同じように生き方や働き方に疑問を持つ同志たちがいて、変わるなら今だ、次のステージだと息巻いていた。
それがだ。それが今になって、かつての同志たちが前職場から声をかけられて、舞い戻っていると聞く。結婚、離婚、出産等、人生の紆余曲折を経た上での再就職・パート勤務だそうだ。恵まれた職場であることは間違いなく、前職で得たものは非常に多く、それ無しに今の自分はないことは重々承知の上だが、黒歴史が過ぎる私に事務職に戻るという選択肢はない。


まともになったのは40を過ぎてから


平成から令和へ、時代の価値観の変遷もあるだろうが、だいたい、40前の自分はまるで自分でないようなのである。まず、おおいに不真面目であった。学生の頃は不真面目とよく叱られ、そのたびにこんなに真面目にやってるのに!と憤慨したものだが、今思えば間違いなく、どこから見ても、行いはもちろん顔からして、不真面目の完全体であった。真面目に不真面目である。もちろん成人したのちの勤務態度も真面目とは言えない。昼休みとおやつの時間以外は存在を消していた。これは本気でまずいやつだ。書いたら本当にいけないやつである。
そしてさらには、欲しいものは後から後から湧き出て、行きたいレストランは山のようにあり、子供たちとは休みのたびに外出し、なぜあんなに欲望のままに生きていたのかまったく理解できない。幼い子供たちは可愛くて仕方がなかったが、思うようにいかないと感情のままに怒ることもよくあり、あまり良い母親とは言えなかった。子育てするには相当に未熟であった。


不思議なことに、自分がまともになったと感じるのは、40を過ぎ世の中を思うようになってからである。他者を思うようになってからである。自分と自分を取り巻く小さな世界しか目に入っていない時にはなかった感覚である。

植物への愛情も然り。
昔は買ってはよく枯らしていた


人を幸せにしてそこそこ稼げる


不真面目な自分が40になり、違うステージに行きたいぜ!ここではないどこかへ!と鼻息荒く過ごしていると、うまく仲人業にぶち当たった。今の加盟協会に出会えたのは、人生における大きな出会いベスト3の二位に入るベストな出会いである。ちなみに一位は子供たちで三位はオットである。


理事長の動画ブログは当時毎日アップされ、視聴するだけで自分ができる仲人になったような錯覚に陥る。特に私の心を鷲掴みにしたのは、理事長のこんな言葉である。


コツコツやればそこそこ稼げる
社会の役に立ちそこそこ稼げる
こんな幸せな仕事はない


そうだよ!そういうのを求めてたんだよ!思わず膝を打つ。実際はそこそこというより、ぼちぼちまあまあたまにはときには稼げることもあるようなないような、といった具合のような気もするが、社会の役に立って稼げるとは、なんて夢のある仕事だろうか。もちろん事務職も社会の役に立っているだろう。でも私は、もう少しお金を支払う人ともらう自分の間が近く、さらにその間をたゆたう空気にぬくもりが感じられるものがよかったのだ。
ちなみに、大いに稼ぎたいのはもちろんだが、高過ぎもなく安過ぎもない適正価格を貫くというのは、起業当初も光熱費高騰物価高の現在も変わっていない。


お金でも自由でもないもの


ながらく意思とは関係なく不真面目に生きてきた。私を知る人は、自由が欲しかったんだね?お金が欲しかったんだね?と言うが、意外に経済的時間的な自由を求めて仲人業に就いたわけではない。はっきり言えば経済的時間的な自由は、ほんのちょっぴりしかない。なのになぜ仲人なのか。40を過ぎてまともになったと書いたが、厳密に言うと、仲人業を志してはじめて、私はまともになった感がある。結婚したい人がちゃんと結婚できる相談所を作りたいと思ってから、自分を取り巻く小さな世界のそのずっと先に在るものの気配を感じ取ってから、やっと真人間になれた感があるのだ。


私のような特に何のスキルもない人間が、行くだけでお金をもらえるというのは、今考えたら申し分ない、恵まれた環境である。それはわかっている。でもなんというのか…幸せや、私が目指すゴールはとは、ちょっと方向がズレているんです。みなさんはそちらでしょうが、私の目指すところはこっちなんです。どちらが上でも下でもなく、当然善悪もない。あっちかそっちかの違い。そんな具合か。


とにかくカフェで仕事できるのは
間違いなくかなり幸せではある



さて私が前職に戻ることはない旨、仲人業への熱い思い、こうしてつらつらと書いたみたものの、心のどこかで悔しさも感じてはいる。前職場に戻ってくるかつての同志たちに、刮目せよ!もっと広い世界を見よ!と言いたい気持ちもあるにはあるが、それより見逃せない事実は、彼女たちは、非常に優秀ということである。元職場から熱烈なアプローチを受けたということである。不真面目とは最も縁遠いところにいる人種であり黒歴史があったとしてもなんぞ影響のない人生であるからして、私とは違うと思いながらも、はっきり言う。なんか、悔しい。そう、私はやっぱり、ちょっと悔しかったりするのだ。
それほど好きなわけじゃないけど、憧れの先輩の彼女になれなかったこと。まったくタイプじゃないけど、人気者の同僚からいっこも好かれなかったこと。絶対幸せになれそうにないから付き合うとか無理だけど、イケメンの友人が気になってストーカー化したこと。いや、私もあなたがたを全然求めてないし付き合わないけど、でも、そちらからのアプローチはいただきたいわ!みたいなね。ほんまに黒歴史が過ぎると書いてて気づいた。過去は手放すべきだ。私はそういう人間だ。
そりゃあさ、昼休みとおやつの時間だけイキイキしているような勤務態度だったとは言え、無論事務職に戻るつもりも毛頭ないけれども、私にも、ひとことくらい声かけたってくれてええんでない?そうしたら、あっ、私、法人成りしたんでーおかげさまで四期目でー残念ですーお声がけありがとうございますーとかドヤ顔ドヤ声できるんですけど?と甚だ私は遺憾である。覚えとけよこのヤロー、前職場。


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