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7つの習慣と嫌われる勇気から自責と他責の使い分けを考える。

自責と他責ということばをよく聞く。

自分のせいにする、自分の責任として捉えるのが自責。
他人のせいにする、他人の責任として捉えるのが他責。

他責でいきましょう!と豪語するものはあまりない気がするが、自責は結構推されたりするイメージだ。

他責ばかりの人を、無責任だなぁ、と少しネガティブに捉えることが多いけれど、私は行き過ぎた自責も良くないと思う。

ある海外の偉い人が、
「行き過ぎた他責は人格障害で、行き過ぎた自責はノイローゼ」
とかなんとか言ってたらしい。
人づてに聞いたからよくわからないけれど、要するに行き過ぎは良くなくて、バランスが大事だということである。

世の中には、自責を表す言葉として、
「超自責思考」
「雨が降っても自分のせい」
などが存在したりもする。

かくいう私も2年前くらいは、自責思考主義だった。
行き過ぎてはダメときづいたのは、1年前だ。

なんせ2年前、大学3年生で参加した企業インターンシップで、ある企業の「バリュー」に
「雨が降っても自分のせい」
ということばがあったのに感動を覚えたくらいだ。

「そこまで自分ごととして考えるなんて、カッコいい!!!」
本気でそう思っていた。

でも今こう思う。

「いや雨降ったのあんたのせいじゃないよ!!!考えすぎ!!!」(笑)

(超自責思考の人ごめんなさい。その考えを持つこと自体を否定する気はありません)

雨降ったのすら自分のせいだと感じ、落ち込んだり、どうしたらよかったのか考えたり、反省したり、、、
それって時間もったいなくない?とすら思ってしまう。
雨はどう頑張っても止められないし、雨を降らせることも止めることも自分にはできないことをわきまえつつ、自分にできることに集中するほうが賢明だと思う。

雨をコントロールすることはできないのでそこは諦め(他責)、その中で自分ができることを頑張る(自責)。

自責と他責を切り分けて考えるのが大事なんだ思う。

自責と他責をうまく使い分けるのに、ベストセラーの
「7つの習慣」の関心の輪と影響の輪、
「嫌われる勇気」の課題の分離という考え方が大変役に立つと思っている。

関心の輪と影響の輪の考え方は、自分の周り、自ら影響を与えられる範囲を影響の輪、もっとその先の、関心は持てても影響は及ぼせない範囲を関心の輪という。

政治に当てはめると、一般市民にとって影響の輪は誰に投票するか、関心の輪は総理大臣を決めることなどになる。

ここで述べられているのでは、関心の輪のことばかり考えていても変えられないから、自分の影響の輪に集中して行動していくということだ。
そして、行動経験を積み重ねることで、自身の影響の輪の範囲をひろげていこうぞ、と。

雨が降るかは関心の輪、じゃあその中でどうする?が影響の輪なので、関心の輪のことを考え過ぎず、自分にできることに集中すべきということだ。

次に、嫌われる勇気の課題の分離である。

課題の分離とは、自分自身の課題と他人の課題を分離して考えるという考え方である。

アドラー心理学では、課題の分離ができていないから人間関係のいざこざが起きると考えられている。

例えば、親子関係。子どもの不登校は子どもの課題であるのに、親がそれに深く介入し、無理やり解決しようとしたりするから、より問題は複雑化していく。

最終的に、学校に行くかどうか決めるのは、親ではなく子どもでしかない。

課題の分離によって、依存したり必要以上に他者のせいにしないことが大事なのである。

私は以上のようなベストセラー本からの学びや自分自身の体験から、
「自責と他責は使い分けが大切」という考えに至った。

自分にできることに集中し、他人やコントロールできないことに必要以上に気を揉まないこと。

冒頭で、他責を「他人のせいにする」考え方と書いたが、必ずしもそういうわけではない気もする。

自分の他に責任があることだから、それをコントロールしようとしない、無闇に責めたり、結果に対して一喜一憂しない。それが健全な他責であるのかもしれない。


本は、より健やかに生きる上でのエッセンスがたくさんある。

いろんな考え方、ことばに触れて、少しずつ自分のなかの哲学を形成し、自分なりの生きやすい人生を模索し続けたいと思う。

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