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コネコとシイナさんとお盆の話7:思い出の焼き鳥

MK(モンスターきゅうり)送迎に、ある日何本もの新入りきゅうりが加入しました。何故か妖精の粉がかかって、飛べるようになったというのです。どれも曲がりの少ない良いきゅうり。だけれど……。
「ちょっと塩味ですよね?」
「はい」
秘伝の液に一晩浸かっていたそうです。
「ぱりぱりですよ」

人気の高い胡瓜の馬は早々に予約が埋まってしまったので、今年はズッキーニで帰ることにした。黄色だと更に安かった。
「飛べないズッキーニはただの野菜だ」
よく分からないことを言いながらも、安定した飛行。イタリア出身なのか。
「駅前までお願いします」
まるで普通のタクシーみたい。

自分が大学に進学した頃に親は離婚したし、祖父母も死んで、早々にあの世で再会した。子供の頃暮らしたアパートはとっくに取り壊されて、親の新しい家なんて行ったこともない。
お盆だからこの世に帰るように、と言われた時は、帰る場所なんかない、と思った。家出した中学生かよ。
「そういう人、ほかにもたくさんいますからね。行きたいところがあればそこでもいいんですよ。行ったことがある場所に限りますけど」
あの世でも最近は公務員はクールビズだ。行ったことがある場所で、住んだことや泊まったことがあれば尚可、だと言う。
「だったら……」
好きな街があった。

大学生の頃に住んでいた街がある。かれこれ10年も前に、それこそカバンひとつでやってきて、駅と大学とアパートで二等辺三角形を結ぶような立地だった。築古だけどかろうじて風呂はついていた。多くはないけど友達もいて、生まれて初めてアルバイトもした。良く言えば思い出の街、だ。

ゆるやかにズッキーニは駅の裏手の路地に降ろしてくれる。
「帰りもこの辺りでいいですか?」
「はい、お願いします」
ズッキーニは瞬く間に空に戻っていってしまう。繁忙期なので一分一秒が惜しいのだ。そのまますぐそこのビジネスホテルに入る。おばけなのでチェックインなんかはない。
黙ったままエレベーターに乗る。最上階の上にもう一つボタンがあるので、押すとオレンジに光る。この時期、この街に帰ってくる自分のような身寄りのないお化けのための部屋が用意されているのだ。
どういう理屈かは分からないけれど、外からは見えないし多分物理的には存在しない部屋だ。
ここは大学受験の時に泊まったのと同じホテルなので、それだけでなんだか懐かしい気持ちになる。あの日、どきどきして受験した大学に受かって卒業し、就職して何年か働いて、死んだんだな。
そう考えるとしみじみ感慨深い。部屋は普通のシングルルームだ。窓からは我が母校もよく見える。

まだ日暮れまで時間があるので、せっかくなので街をうろうろしてみることにした。お化けなので腹は減らないが、この世にくるとなんとなく口に物を入れたくなる。学生時代よく食べたラーメン。デートで行ったインドカレー屋。初めてバイトした王将。恐怖の激安居酒屋。まだあるだろうか。
駅の裏手にあるバラックのような小さな建物が密集する路地に入ると、タレと脂の焦げる良いにおいがする。戦後すぐにできた闇市がこの一角の始まりだという。
入学したばかりの頃、なぜか教授に連れてきてもらった焼き鳥屋が健在だった。焼き手のお爺さんも。壁に貼られた煤けたメニュー。
さすがに消費税増税などもあり、価格は若干改定されているようだった。
入学したばかりの頃、離婚した親のどちらにも教科書代の無心ができなくて、初めて出席した講義でテキストがなくて、その話を聞いた教授が貧乏新入生を連れてきて奢ってくれたのだ。自分の他にも何人かいた気もする。

「おや、久しぶり」
懐かしのメニューを見つめて放心していたところに声をかけてきたのは当の教授だった。
「あ、せんせい、ご、ご無沙汰しています……?」
路地に風が吹くけれど、教授のスーツの裾は揺れない。
「うん、一昨年かな、退職したとたん駅で転んで死んでしまった。君もかい?」
「そんなような感じ……です」
「そうか。今日はもう一人来るから一緒にどうだい」
駅側の入り口から走ってやってくる人がいる。
「すみません、遅くなりましてっ!」
「今きたところだよ」
スラックスに革靴に半袖シャツというクールビズないでたち、汗だくだくで、見るからに生きている人だ。
「シイナ……?」
「ミクマ……死んだはずでは……?」
「それを言ったら私も死んでるからさ」
お化け二名、生者一名でやたら細長い焼き鳥屋に入る。この細長さと古さなのに二階があるのがこの店の怖いところだ。
「ご新規三名でーす」
急な階段がぎしぎし言うが、音がするのは生者が踏む時だけだ。
そして二階まで上がったはずなのに階段は同じ角度でまだその先に続いている。
「特別室だよ」と、先頭を進む教授が言う。
きっとホテルの最上階と同じ仕組みなのだな、とお化けの端くれとしてなんとなく理解した。
「シイナくんはいつものハイボールだろう? ミクマくんは?」
「同じやつで」
部屋は変形四畳半というのか、3畳の部屋の幅を無理やり四畳半に引き伸ばしたような天井の低い和室だ。つまり本来の二階とほぼ変わらない。
「ここの焼き鳥を食べたくてねえ。タレでいいかな? あと煮込みも頼もうか」
「お願いします」
そういえばあの時、こいつも教科書が無かったんだよな。
お通しの枝豆をつまみながら、先に出された薄いハイボールをすする。
「しまった、濃いめコールすべきだったな」
シイナがそう言う様子が学生の頃と変わらず、教授と二人で笑ってしまう。
次に煮込みが、おいおい焼き鳥も運ばれてきて、西陽が差し込んで、まるで学生の頃に戻ったみたいだ。

焼き鳥を頬張ったらふいに思い出した。あの時は教授の伝手で上級生から教科書を譲って貰ったんだっけ。入学して初めて出会った大人がこの人で、結局この教授のゼミで卒論まで書いて卒業できて、あれは僥倖というものだったのだろうな。この街に帰ってきて良かったな、としみじみ思った。
シイナは酔いが回ったのか、家に住み着いたコネコビトとかいう妖怪が胡瓜の馬を齧ってしまったなどという訳の分からないことを言っている。
卒業して社会人になっても酔い方は変わらないんだな。卓上の様子を見て、焼き鳥の追加のついでに薄いハイボールを二つ、追加で注文しておいた。

<コネコとシイナさんとお盆の話:完>

おもに日々の角ハイボール(濃い目)代の足しになります