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仏教について調べているけど

 インドから日本に伝わったという仏教について、もう少し明確なアイデアを得たいと思って、本を読んでみたり、メールで問い合わせたりしてるのだけど、どうにもこうにも、沼地を歩いているような、というかすでに泥にはまって歩けてないだろう、というような、行き詰まり感にとらわれている。

 日本はずっと仏教国だと思っていて、今いるインドは仏教の発祥国なので、当初はなんかもっとつながりを感じるかと想像していたのに、つながりもどうやら薄いし、南インドに仏教の影は――少なくとも自分の周囲や、行ってみた場所では――見あたらない。

 好奇心がらみのトリビア的なところだけど、自分が関わっているので少しは勘が働くのは、空海のサンスクリット学習について。ネットをざっと見てみてみると、空海は唐に入って、二ヶ月でサンスクリットを習得した、という記述がけっこうならんでいる。速攻で、いくつかの疑問が浮かぶ。何の言語であれ、習得二ヶ月は伝説化のレベル。そのうえ、サンスクリットと日本語はかなり違う。学ぶ媒体にしても、日本語ではないでしょう? 続いて、唐にサンスクリットがほんとうに伝わっていたのか、どうやって? これもまだ腑に落ちてない。 

 海外諸国へのインド化について、東南アジアは一時期その影響下にあった、とされていても、中国にインド化が及んだ、という説明にはまだ出会っていない(ネット上では)。インド化と仏教の伝播は等しくないのかもしれないが、そして仏教は伝わったのだろうが、インド化されたと考えられていない、ということは、仏教の伝わり方とか、そこらへんにも何かがあるんじゃないか、と想像しちゃう。とにかく遠いのだ、インドから唐は。

 もし唐にしっかりとサンスクリットが伝えられていて、空海がスーパー天才でしっかりと習得していたとしても、それなら、なんで日本にその痕跡がないの? という疑問は残る。残っているのは梵字だけ? 文法も、語源学も、音韻学も、音声学も、教科書が実存しているのかどうか、実存していないとしても、そういう分野がある、という話もなさげ。

 違和感は、日本人との会話にもある。サンスクリットを習ってるというと、それは神の言葉だとか、神秘的な力があるとか、ふわふわモードで語りだす人たちがいる。勉強もしないでよく語れるよな、と思うけど、勉強するものだとは思っていないのかも。文字のパワースポットみたいに思っているのかもしれない。

 サンスクリットですでにこの行き詰まり。仏教は自分がやっていないので、どこから入っていいのやら。問い合わせても返事はいただけず。

 要は、日本でそうである、と思われてきたことと、インドで遭遇したことの距離感が半端なさすぎて、居心地が悪いのである。できることなら、一つの構図におさめたい、腑に落としたいと思ってるけど、簡潔に教えてくれたり、調べられるところが見つからニャい。仏教は日本の精神文化に多大な影響を与えていると思うので、それで、気になっている。


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