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すべての偶然に、意味があるとしたら。

神様のイタズラなのか、嫌がらせなのか、それとも。
これは警告であり、メッセージであり、そして感覚の変化と成長を痛感させてくれたことでもある。そんな気がした昨日で。

こんなことってあるんだなあ、よりにもよって。
世界は狭いようで、起きそうでも起きなかったこれまで。

なんだかんだ、小中高の地元の同級生を除き
別れた人と二度と出会った試しはないのだし、
あの会社の人たちとだって、それきり二度と、遭遇なんてすることはなくて。

いつもどこかしらで、誰かがいるんじゃないか、

そんな怖さを抱えながらも、実際にはそんなことってそうそう起きるもんじゃないから安心していた部分もあったけれど。

きっかけと転機から丸1年が経過して、
どんどん思い出すことも減っていた、そんな矢先の出来事だった

ディズニーシーのソアリンに並んでいて
ふと視線を向けたその先に、バッチリ目が合ったそいつ

あまりの動揺と恐怖と衝撃、過去のすべてが走馬灯のように蘇ったあの瞬間、
思わず、うわっと日傘で顔を隠した
それ切りソアリンに乗れるまでの残り50分は、気が気でなく
ただの耐久レースなのか、ともはやおかしくさえなりながら
数組後ろ、列が曲がるたんびに視線に入りそうになるのを永遠に日傘で覆い隠し
二度と視界に入れなかった。

目が合った時のそいつは、相も変わらずニヤ?ニコ?
驚きとか気まずさとか、あの場面で普通の感覚の人間だったら出るであろうリアクションとは違った
やっほーと言わんばかりの、よっ、と言わんばかりの
どうしてどうなったらそんなテンションになるのか、さっぱり訳が分からなかった

相も変わらず軽薄で、浅はかで、人を舐めていて、小馬鹿にしていて、面白がっているかのような
1mmだって、申し訳なさも後悔も反省も心配も気遣いも恥ずかしさとかも、きっとないのだろう

まる1年ぶりに見たそいつは、とても客観的に、冷静な目で見ることが出来た。

たぶんあの会社にいなければ、絶対的に関わらなかったであろう人種で
そこらで見かけたらウザイなーとシンプルに嫌悪感を覚えるタイプの
チャラチャラしていて、the不動産の嫌なギラつきがあって、
自分カッコイイと思ってる感じのムカつく男だった

何より軽薄。

髪型も服装も、ディズニーのサングラスすらも、
隣に連れてたちゃらんぽらんな感じのギラギラな女も。

もうすべてが、そうですよね、という。

私がこんにちは〜お久しぶりですなんて話しかけたら、きっと喜んで話したんだろう
なんともありえない。

舐めんなよと言いたい
まあ舐められる行動を取り続けていたのは当時の私なのだから、仕方の無いことなのだけど
私はもう、そんな馬鹿な人間ではないのだから。

こんにちはとか、会釈するとか、そういうレベルの問題ではなくて
ひたすら鳥肌と拒否感、
二度と関わってやんねーよという壁。以上



そいつはいつだって、私の人生を掻き回したし
いつだって大きなキッカケとなる、腐れ縁だとすら感じるような
そんなキーパーソンだった。

そもそもの感性を狂わせるきっかけの一夜、すべてのはじまりだった2022年6月、
それ自体がその人であって。

2023年1月、当時の彼氏と別れて自暴自棄になっていた時だって。

2023年6月、色々なことが起きたスタートだって、そもそもはそいつきっかけだった。

恐ろしい程に。
もう本当に、簡易的に述べると
そいつとの関わりがあったから、
前の前の彼氏と別れて、前の彼氏と付き合うことになったし

そいつとの関わりがあったから、
会社を辞めることになった

とまで言える程に。

もちろん、選択も決断も行動も、自分自身の問題だし意思ではあったし、
他にも複数要因は絡み合っているけれど

そこに至るきっかけは振り返れば全て本当に、その人にあって。

そんなやつに限って、ピンポイントで
いやそんなやつだからか

会いそうで会わない狭そうで広いこの暮らし、この世の中で
あんな風に再会、遭遇したこと

それもまる1年経って、様々なことを消化して、受け入れて、成長して、変化して、もうあまり思い出すこともなくなっていた今、というタイミングで。

それはきっと、私にとっては確実に、なにかのメッセージだと。

日々がこんなにも普通に戻ってきたとしても。
まる2年前からの私がしてきたこと、
まる1年前の私が感じたあの感情、その後の暗闇の様な日々と絶望、

時間が経って薄れたとしたって、絶対に、忘れてはいけないということ。

軽率に人と繋がること、軽率な行動言動をとること、
それによってもたらされる悲劇や自分や他人の痛み、人生までも変わってしまうということ

首の皮一枚、という表現がピッタリだったあの時

私はやっぱり、忘れてはいけない。

壁なんていくらでも作るし、線なんていくらでも引く

あの決意とその後の心がけ、今の私のふるまいと判断力。

今、私は頑張って言い聞かせなくとも、冷静に
地に足着いた判断と行動ができて、

おかしいことをおかしいと思える、まともな感性を持ち合わせている、そんな自信があること。

自分の感覚が間違っていない、真っ当だとまっすぐに信じてあげられること。

そんなことが、どんなにすごくて、嬉しくて、心強いか。

1年前から少し前までの、自分が心底大嫌いで、自信を持てなくて、信じることも出来なかったあの頃を思ったら
なんとも健康で、元気でいられる今に

心の底から、安心と感謝が込み上げて。
そんな自分になれたこと、戻れたこと?

それはもう確実に、実家で過ごした毎日と
家族の存在、
寄り添い続けてくれた大事な友達の存在、
そんなおかげで。
やっぱりそんなことも、忘れてはいけないね。

そう思えるきっかけをくれたそやつに、今度はもはや、笑いながら
ありがとう、とまで思える

すべての偶然に、意味があるとしたら、
スピリチュアルだと、思われてもよくて

私はそんな偶然がくれたメッセージを、まっすぐ受け止めて、思いを馳せることのできる人でありたいと思う。

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