お題:言葉を飲み込む
ふと、お題で書いてみようと思った。note。
そういうサービスでランダムお題を出してもらう。
デデン。お題。
「言葉を飲み込む」。
ふむ。そういう感じなんだ。
フィクション、というか創作を書くイメージだったけど、必ずしもそういう感じではないお題だ。
言葉を飲み込む………。
しょっちゅうやっていることだ。な。
言うべきことを言えないときには、
・言葉が出ない時
・言葉を飲み込む時
の2パターンがあるといえそうだ。
前者は、自分の想定をあまりにも外れた状態を目の当たりにしたり、言動を突きつけられたりして、驚きと混乱の中で、言うべき言葉が咄嗟に思いつかない時。あとから後悔する。「こう返せていれば」って。
後者は、やはり同じような状況で、怒りや悲しみや呆れといった感情の中で、言いたいことは頭に浮かんでいるのに、「衝動的ではないか?」「独善的ではないか?」「相手の神経を逆撫でしたり、傷つけたりするのでは?」などと思考を巡らせて、「言わない」選択を自ら選んだ時。
あとから後悔する。「言い返していれば」って。
つまり結局どっちでも後悔してる。
もちろん「飲み込んでよかった」という場合も、ある人にはあるんだろう。
が、振り返ってみても、自分の場合には、そっちのパターンは思い出されない。と、書き出してみて気付いた。というか、再認識そして直視させられた。
私、分かってたけど、めちゃくちゃ言葉を飲み込んでいる。無遠慮な相手に対して。
原因を考えるとどうしたって家族関係に行き着いてしまう。私自身の生来の特性もあるのでしょうが。逆上するタイプが身近にいると、予防的な振る舞いが身についてしまう。
ああ、低気圧もあいまって、また闇落ちしそう。
内省。考え過ぎ。回顧。
『人間失格』も『仮面の告白』も、すべからくすべての自伝的作品は、自己回復的な役割を果たしているのだろうと思う。そして彼らが彼ら自身のために綴った(であろう)それが今日、私の心の慰めにもなる。
今日はet seq.の『人間失格』ネイルポリッシュを塗っている。指の爪に。足は塗ってない。
『カラー:淀んだ川を思わせるシアーなチャコールブラウンに、ブルーの偏光パール』。
水中のイメージ画像とあいまって、申し訳ない、申し訳ないけど、ちょっとおもしろい。
自分の爪を見つめて元気出していきます。いや、慰められて生きます。
週末にピンポイントで受けてる企業の(!)筆記試験があるけど、たぶんこのまま行く。心の支えは多い方が良いから。
お題で書けた、というのか、これは。もっと「言葉を飲み込む」こと自体を論じるべきなのか?
「飲み込む」のは、なんであれ色んな可能性を考えちゃって保守的になってる時、人、ですね。
でも実際、言葉が「出ない」という表現があるくらい、自分の常識や想定を超えてくる事象というのは自分の外にありふれているのであって、「飲み込」んでしまうくらい他者の反応を警戒する方が、当然だと思うんですけどね。それをしないで済んでいる人は、いつかノーベル賞でも、じゃなくて、たぶん自分にも相手にも信頼があるんでしょうね。人を信じている。
それでは。
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