【アニメ感想】サイバーパンク:エッジランナーズ それが愛だと言われたら、何も言えない
オモコロの原宿さんが日記で一気見したと書いていたのをきっかけに知ったNetflix配信のアニメ『サイバーパンク:エッジランナーズ』を観たので、感想を綴りたい。
ゲームにはめちゃくちゃ疎いので私は知らなかったのだけど、ポーランドのゲーム会社製作の『サイバーパンク2077』というTRPGがあって、『エッジランナーズ』はスピンオフアニメのようなものらしい。ゲームとは時代設定も登場人物も異なるけれど、この世界にはこういう人生があった、こういう世界なんだよ、という作品。
OP映像くらいでもう「っぽい〜〜!」って感じなんだけど、アニメはTRIGGERが担当している。そもそもが海外ゲーム原作なわけだけど、ネトフリで全世界向けに配信ということで、なんかこう雰囲気から「イケている」感じがある。サイバーパンクの色彩はTRIGGERと相性が良さそうだ。まあ、パンストやプロメアがもう結構蛍光色だもんな(※観てない)。
アニメプロジェクトの最初にはまだ原作ゲーム自体が未完成で、本当に「アニメを作ろう」みたいなことしか決まっていなかったらしい。大筋から脚本、キャラクターまで、ゲーム会社サイドとTRIGGERがそれぞれアイディアを出しあいながら作っていったとのことで(ファミ通のインタビューを読んだ)、スピンオフだからこその物語だなという印象だった。
↓ここからネタバレ感想↓
デイビッドが背負うもの(彼を縛るもの)
この作品での主人公デイビッドは、母ひとり子ひとりの家庭で、無理して通ってるエリート学校に馴染めずにいる学生。デイビッドのお母さん(グロリア)は、息子にはエリート学校(この世界を牛耳る超巨大資本である「アラサカ」の運営する学校で、いわば官僚養成校みたいな扱いっぽかった)で学んで結実する素質や才能があると信じているから、ものすごく無理して働いて学費を稼いでいる。立派になってほしい、なれる、と。
その無理は無論デイビッドにも伝わっている。
ある日(その後の運命を大きく決定づける日でもある)、デイビッドは「自分は学校を辞めた方がいいんじゃないか」と口にする。
これ、歯切れの悪い言い方をしているけど要は「自分は学校をやめたい」なんだよな。親は自分の「せいで」苦労してるし、だけど学校は居心地が悪くて、何より自分自身の願いはそこにはない。
でもグロリアはそれを聞いて崩れ落ちそうに泣き出してしまう。「じゃあ私はなんのためにこんなに大変な思いを、あんたのためなのに」と。
あ、ダメなんだ。
自分の気持ちを優先したら、自分しか縋るものの無い母には、寄る辺がなくなってしまう。
自分が母の願いを叶えなければ、母の人生を、愛を否定してしまう。
そんな感じでデイビッドは「ごめん、言いすぎたよ」と前言撤回するのだけど、この感じ、結構身に覚えのある人もいるのではないか。私はあった。あったというか、今でも尾を引いて立派なアダルトチルドレンだが。
親という不可逆な関係性の存在に、まさに親自身の人生まで懸けられて、望みを託されている。
しかもそれは「あなたのため」という、本人にとっては真実以外の何者でもない題目のもとに行われる。
さらには、それを動機づけるものは「愛」なのだということも理解している。そこまで分かっていたら、「これは自分自身の願いではない」と気付いていたところで、容易に身動きはできない。
自分が何かを目指すのに必要なのは、踏み出す勇気や努力ばかりじゃない、「この人の期待を裏切り、この人が信じるこの人の使命を奪い、その絶望や悲しみを受け止める覚悟」なのだ。
もちろんそんなものを子どもが背負うのは不条理だ。
(たぶん分水嶺は子どもが意図と違う挙動を見せた時の親のリアクションで、子どもの前でドラスティックに感情を発露させなければ、子どもは自分だけの感情を持つことをきちんと身につけられるのだと思う。グロリアのリアクションは、デイビッドの口と心を塞ぐ類のそれだったと思った。)
だけどそんな不条理は現実にも溢れていて、そして、多くの人がそれを克服できないまま生きている。
もともと崖っぷち
不条理のアベンジャーズが襲いかかって、なんやかんやでデイビッドはすげー危ない(並みの人間が使ったらすぐ「サイバーサイコシス化」(=精神崩壊みたいな感じ)してしまう)軍用サイバーウェア(この世界では生身の部分を捨ててパーツ単位で機械化することが普通になっている)をインストールして、「サイバーパンク」となる。
↑噂には聞いていたが、サイバーモノって注釈だらけになるって本当なんだな。
言うなればこれは自殺未遂だ。
擦り減りながらでもアカデミーに通う唯一の動機だったグロリアが亡くなって(焼骨のくだり、これでもかと言わんばかりに突きつけられる一連の残酷な現実の〆として凄かった)、デイビッドの心のよすがは完全に失われた。あえて俗な言葉で表すならば「無敵の人」状態になったんだろう。もうどんどん破滅に向かっていく。
デイビッドはハタから見たら本当に「破滅志向の無謀な若者」なんだけど、その裏には
・自傷的な感情
・不条理な世界への暴力的な感情
・グロリアの「あなたには才能がある」という言葉や「立派になってほしい」という願いの呪縛
がぐちゃぐちゃに絡み合ってずっと存在してたのかな、と思う。
デイビッドは「自分は特別だ」と本当に思っていたのか、あるいはそう言い聞かせていたのか。おそらく後者だ。「そう(特別)でなきゃ割に合わない」というような、願いにも似た気持ちがあったように思えた。
どう生きるかじゃない、どう死ぬかだ
「サイバーパンクは、どう生きるかじゃない、どう死ぬかだ」
予告編でも謳われているこの文句は物語序盤に出てくる(だったはず)。サイバーパンクというのは大概向こう見ずのぶっ飛んだ奴らがなるらしい。彼らはどう死ぬか、つまりいかに派手に死ぬかで伝説になる。
というのが序盤でのこの台詞の趣旨だとおもうのだけど、終盤にはまた別のベクトルから畳み掛けてくる。
人の夢のために生きてる
「遺志を託す/託される」というような物語の核、これまた観ていないながらグレンラガン(形式的にはTRIGGERではないが)やキルラキル(観た)にも見られる要素で、TRIGGERの十八番なイメージは少なからずある。
守るべきものを(自分の内にも外にも)持たないデイビッドが他人の夢を生きようとするのは、さもありなんと思いながらも、観ていて痛かった。
デイビッドはとにかく背負い込む。
メインのことはもちろん、グロリアの死に関してだって、正味デイビッドには責任はないはずだ。けれどデイビッドは「母さんもメインも守れなかった」と言う。
もしかしたら自己肯定感の高さ的にエッジの向こう側にいる人は、この発言を、自分にはその力があると考える人間の傲慢さだと捉えるかもしれない。でも、デイビッドがこんな思考になるのは、自分を評価してくれる人に対して負い目を感じる人間だからではないか?
彼を評価し愛してくれた人たちが彼に託した遺志を、引き受けることで彼は孤独から、何でもない自分から、遠ざかる。と同時に、彼は縛られる。追い詰められる。
愛する=エゴをプレゼンすること
ルーシーの「月に行きたい」という夢の裏には、逃亡者であるゆえの絶えなき強迫観念あったのかもしれない。あのチームに所属こそしているものの、ルーシーはあの場所や仲間に執着があるようには感じられなかった。「私とあなたは違う」と言いながらも、デイビッドにどこか自分と似通った点を見つけたから、彼女はデイビッドに心を晒したのかなと思っている。
デイビッドという寄る辺を手に入れたルーシーにとって、月に行くことはもはや、以前のように大きな意味を持たない。自分のことでは怖れない、デイビッドを失うことが怖いと吐露するルーシー。
「デイビッドを失いたくない」がルーシーの願いだ。
どう生きてどう死んだか
しかし結局、物語は「ルーシーを救うためにデイビッドは死ぬ」という結末を迎えた。
「自分が死んでもルーシーを守りたい」というのは、他人の夢を背負ってきたデイビッドの、はじめての自分自身の願い。
「母さんもメインも守れなかったから、ルーシーは守りたい」とのことなので、依然自分の力の埒外まで背負う感性ありきなんだけど、彼自身の体験や感情を大切にして、彼がはじめて通そうと思った「我」だった。
ルーシーの「デイビッドを失いたくない」も、デイビッドの「ルーシーを守るために死ぬ」も、畢竟それぞれのエゴだ。観終わってしばらくはデイビッドのエゴにばかり意識が向いてしまって、「自分を縛り続けてきた『遺志を託す』ということを、自分がルーシーにもするのか…」と、その残酷さが気になっていた。
とはいえ生死がかかっている状況で「大切な人を生かしたい」という願いは切実で、そこにグラデーションは存在しないし、どうしようもないのだけど。残酷は残酷だ。デイビッドが彼自身の夢を抱くことはルーシーにとっても喜ばしいことだっただろうことも含めて。
あと、デイビッドは普通に「意味ある死(=誰か(愛する人)の心に爪痕を残す死)」で人生を終わらせたかっただろうとも思う。そういうやけっぱちな希死念慮はあったと思う、デイビッドの人生はキツいから。でもそれだって立派なデイビッドの内発的な願いで、納得できる死を選ぶことができたのは、彼にとっては救いのある結末だったのだろう。
サイバーサイコシスに片足、いや下半身と両腕突っ込みながらも、あくまで自我の中でデイビッドの人生は幕を引いた。エッジランナーとして生きて、アカデミー生からアウトロー傭兵になったり、搾取される側からする側になったりと様々な境界を越えた先で、「自我」を見つけて、そのために死ねた。
最後にルーシーがひとりででも月に向かったのは、デイビッドの遺志を汲んでのことだろう。「俺が君を月に連れて行く」そう約束した。山分けした例の依頼の報酬はルーシーへの餞で、あの時のデイビッドが彼女に贈れるたったひとつのものだった。その報酬で月面旅行に行くという形で2人の約束を実現させることが、デイビッドへの弔いだった。でもデイビッドと出会い寄る辺を手にした彼女にとって、もはや月はゴールではない。BDという仮想現実ではふたりだったからこそ、ひとりでそこにいるという現実は強く突きつけられる。
ふたりでは月に、現実の呪縛の向こうに行けない。
「ナイトシティにハッピーエンドはありえない」。
サイドストーリーだからこそと言うようなエンディングだ。
とはいえ先述のとおりデイビッドは本人にとって意味のある終わりを迎え、ルーシーもそれを理解しているので、最後の最後で彼女は哀しくも笑って、生と世界を感じている。ハッピーエンドじゃないけどハッピーエンド。感想を書くために最終回だけ観返していたら、電車の中だけどボタボタ泣いてしまった。
月は、美しさとか怪しさの象徴として扱われることが多い。Fly Me to the Moonや「月が綺麗ですね」のように、愛の婉曲表現として用いられることもよくある。月面には隕石の衝突によってできた無数の凸凹、クレーターがあるけれど、それでも上記のような月の評価が変わることはない。地面が溶けてドロドロになってできる窪み。一般的にはそれは「傷」と言われるものであるにもかかわらず、クレーターは月の欠点ではない。
サイバーパンク:エッジランナーズ、「お前を信じる俺を信じろ」(グレンラガン)的な、ある種分かりやすく「陽」な情緒関係と、そういう人間感情の複雑で歪な「陰」の側面、クレーターが一体となってひとつの「美しさ」を形成するのだと思える作品だった。
アツい感じの世界が割と苦手なのでそういう評判を聞くことが多かったグレンラガンを敬遠していた(かつ、キルラキルは観た結果苦手だった。キャラクターがキャラクターすぎて…)のだけれど、エッジランナーズを観てTRIGGERの他作品も知ろうかなという気になれた。色彩面や演出面そのものには抵抗がないということがわかったので。
その他言い残したこと
・サイバーサイコシス化する予兆で原風景の幻覚を見るというのはすごく良かった。
・サイバーサイコシス化しかけの時に子どものお母さんを殺しちゃうくだり、本当よく入れたなと思う。なくても成立はするのに、追い詰めのオードブルとして秀逸すぎ。
おわり