Podcastと神奈川近代文学館と『君生き』と
おはようございます。暑。
Podcastの第3回を更新しました↓
太宰と三島の第3回。最終回。
次回から宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の感想になります。一昨日録った。まったくの未編集。
話しはじめたら衝撃の事実が判明し、想定外の展開だったので、編集どうしようってなってます。それにつけても太宰や三島の話にはなりました。彼らの背中を追う旅は終わらない…
というわけで先週の土曜日は神奈川近代文学館に行ってきました。
常設展示が「太宰治、三島由紀夫から現代まで」なのでね……。
(神奈川近代文学館のホームページのリンクを貼ろうとしたけど、どう足掻いてもエラーになってしまう)
この常設展の前に企画展のスペースがあるのだけれど、企画展「本の芸術家•武井武雄展」の充実度合いがすごくて、3時間くらいの滞在時間のうち、2時間くらいは企画展だったかもしれない。
「本の芸術家」というキャッチコピーにあまりに嘘偽りない。「本」の概念、「本」という媒体の限界を追求してる。どうしてもそのファナティックさに意識が向くけど、物語の中身も、なかなかどうして飛んでいて、政治的で、アイロニカルで、魅力的という。
ファンクラブというか、後援会みたいな組織の結成も良いね。戦前戦中戦後とめまぐるしい時代が動く中で、ファナティックに「本」を作り続けるために適応し、けれど時代に迎合はしない見事な生き様です。「我慢会」入りたくなっちゃう。
その夜。レイトショーであれを観ました。
『君たちはどう生きるか』。
以下、鑑賞後の私のまっすぐな短冊サイズの感想を載せます。ちょいネタバレ。
冒頭の火の粉の描写が美しかった。
序盤の不穏な空気感が良かった。
中盤のキャラ設定と「群れ」や「ぐにゃり」と歪むような描写のシーンはジブリ然としていた。構造は『トトロ』や『千と千尋〜』を連想した。中身は、ずっと「銀河鉄道の夜」を連想していた。
そういう大雑把で表面的な感想は出る。それなら言える。それしか言えない。何が必然で、どれとどれに因果があって、何が無秩序なのか、捕捉できていない。思想と思って観ていたけど、もっと個人的な説教なのか、あるいは結局それらは地続きなのか??
★★★⭐︎⭐︎
以上です。
とにかくずっと展開してた。全編を通すと「置いてかれてる」感覚が印象強く残るのだけど、終盤は置いてかれてるなりに収束に向かうから、セリフや描写でもって、割と理解(わか)れてる気がするんです。中盤までが分からない。分からない、というのは、解釈のとっかかりを見つけられてないという意味ですね。例えばこれはこういう状況の比喩で、このキャラクターは何がどうだということを現すもので、とか、そういう話。
私が主語をデカくしすぎなのだろうか。どうしても「世界」「社会」「(政治)思想」みたいな次元の話として捉えようとしてしまうのだけど、オモコロニュースさんの最速感想(ちょうど鑑賞直後にアップされてた)いわく(あれはポップなメディアゆえというのもあるだろう)、おおむね「宮崎駿とジブリスタジオ」の話であるという。そうか〜そんなミクロ(?)な捉え方もあるのだな。
いや、あり得るとも思う。観た翌日がのはらさんとの「銀河鉄道の夜」読書感想録音だったのだけど、会話が進めば進むほど、「結局のところこれは具体的個人に対する失恋の話なのでは…?」という思いが強くなっていった。
でもな〜。
特に、特にで言うと、「嘘つき」とか「悪意の証」とかいうフレーズ。このあたりが社会・倫理的な、つまりデッカい意味での「思想」を孕んでいないとはやっぱり思えないから、私はそこに立ち返って解釈していきたいな。
吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』に着想を得ているわけだし(もはや「原作」という表現は適切な気がしない)。未読だったので鑑賞後に読んだよね。さっき読み終えた。思っていた以上に「原作」というより「着想」であり「DNA」だった。
頭の隅で『君生き』のことを掘り下げながら、『ハンチバック』読んでいこう。今月の課題図書。
それでは。
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