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【ドラマ感想】『エルピス』 祈りは伝播し巡る

表紙画像は全然タイトルと関係なく、最近飲んだウィスキー。味はそこまで好みじゃない(辛みがこみあげる感じ、えぐみが少しあるのが喜ばしくなかった)けど、ちょっと甘いような、おしゃれなような、華やかな匂いは好きだった。

さて、先週末『エルピス』を観た。昨秋のドラマ。
映像作品が苦手な俺氏(多分視覚的な認知能力が低くて疲弊してしまうせい)、観終わるのにどれくらいかかるかと思っていたけど、正味1日で観終わっちゃった。サブスクで流しはじめたら、観れてしまうもんなんやね。知見を得た。
なぜか人物別の感想になっている。恵那、岸本、村井、斎藤について考えている。

・恵那
もとい長澤まさみがかっけすぎる。スタイルの魔神なのであらためて身長を調べてみたけど、自分と身長4センチしか違わないらしい。何?
恵那の情緒不安定さにイラッとしてしまうことが時にあった。一気見したからというのもあると思う。もっとも、時には何もかもがどうでもよくなったり、時には感極まって燃えたり、時には日和ったり守りに入ったり、そしてまた燃えたり、これくらいアップダウンするのこそ本当に現実に生きる一個人の姿なんだろう。それを理解しているから殊更に恵那自身に違和感はないのだけど、岸本よりも背負っているものが一般的だったからか、あまり思い入れも持てなかった。

・岸本拓朗
もとい眞栄田郷敦氏を認識。かっこよ!!いや、美し!!!目よ。時に怖い。恵那がちょくちょく「目力……」というリアクションをしてたけど、あれは演技させてみたら目力が凄かったから事後的に入れられた台詞なのでは?とか邪推するほど、下三白眼が冴え渡っている。
恵那と岸本はダブル主人公というか、ひとりの人間をふたりに分けて描いた姿らしいのだけれど、岸本の方がカタルシスが豊富に用意されている。と思う。彼は心の奥底にしまっていた後ろめたくて仄暗い過去を村井に明かしたのを皮切りに変化していくのだけれど、言語化して、口に出して、人に伝えたことでようやく彼は、そのように振る舞う選択肢を得たということなのかな。幼少期のグロテスクな経験、その水先案内人だった母親と2人の、守られてきた生活の中では、開けてはいけない扉だったから。

あ!じゃあこれもパンドラの箱ということなのか。向き合ったら最後、人生の向きがまるで変わってしまう(エリート的な人生と決別し、地を這い危険に身を差し出し、真実を追う)。それが良いのか悪いのか。幸不幸、最後に感じるのはどちらなのか。
お母さんの気持ちも分かるじゃんか。正義に生きた夫はどうやらその因縁で亡くなっていて、だからこそきっと、正義に生きることの意味(があるのかどうかも含めて)についても人並み以上に考えていたこともあったかもしれない(そして息子には「そんな風に生きなくて良い、生きてほしくない」と考えるのに至ったのだろう)。なんの後ろ盾もないシングルマザーとして子供をエリート学校に通わせきるためには、「社会的に正しいこと」には背を向けなければいけない、主張してはいけない、それが幼い頃に父親を亡くした不憫なひとり息子を守る、「後ろ盾のない母親として正しいこと」だったのだろうから。でもそういうのまでいちいち言語化されないところがこのドラマのリアルなところなんだろうな。岸本はクビになって実家に戻るわけだけど、この辺もフィクション的に考えるならば、所謂「和解」の描写を入れることもできただろう。でも現実には必ずしもそんな分かりやすい記号やイベントはなくて、結局なあなあだったり、何も解決してないけど問題や違和感に蓋をしているだけだったりする。岸本とお母さんもそんな感じだった。そんな風に、直感的に深掘りを求めたくなるけれど掘り下げられなかったような点がいくつもあるのだけれど、そういうのは恵那の心のブレ同様に「物語すぎなさ」の表現とか、余白表現なのかなぁと納得している。

岸本の考察ばかり文字数が増えてしまう。カタルシスが多い。
彼は、過去のわだかまりを今まで抱え続けてきている時点でもう、所謂エリート道、明王生の王道を外れるポテンシャルがかなりあったのだろう。こういうのは結局、斎藤や名越、滝川がああいう人種であるように、生来の気質の問題だ。作品の中でもキャラクターがそんなことを言うシーンが度々ある(村井や大門亨)。
しかし友達、たくちゃんだっけ、良いやつだな。同種の友達がいること、強者社会を絵に描いたような世界こと明王の同期であることを踏まえると、たいへんに稀有でありがたいことだ。

・村井
こと岡部たかしさん。良~~~。めっちゃ良いキャラ。なんなら恵那よりカタルシスあったのでは?
序盤のセクハラパワハラおやじっぷり、分かりやすい「嫌な奴感」は本当に不愉快になるので何こいつ?と真に受けて思っていた。恵那岸本サイドに加担しはじめたあたりでもなお何だこいつ??と眉を顰めていた。そんな、急に嫌な奴が良い人になるみたいなさあ、お手軽か?これでコロリと「良い人!」ってなるか?とか思ったりしていた。岸本を誘導して自白させるあたりから好き。明王で出たイジメ自殺者が岸本の同級生だろう、と指摘するのだけれど、取材対象や身近な人間に対してちゃんと対峙しているからこそ、こういうことに気付くのだろうと思う。取材対象はあくまで仕事で向き合うもの、職場の後輩はただの職場の下の人間、と感性を殺して生きていたらきっと気付かない。人間を三次元で見ている感じがする。回が進むごとに、この人が物語序盤にあれだけひねくれていた理由が明らかになり、恵那と岸本を信じるに至って彼らに託していく過程が描かれ、最終的にはむしろ恵那が尻を叩かれるほどに熱さを取り戻す。「問題はさ、俺の中に、もうあの情熱が消えちまってることなんだよ。」と落ち込んでいた村井が。この物語のコンセプトを象徴するキーマンだったと思う。

・斎藤
もとい鈴木亮平、超適役だったなぁ。高身長で引き締まったスタイルで、出で立ちから自信が満ち溢れる。塩顔でサラリーマンにいそう(いそうだけど実際にいたら周囲がざわつく男前)な感じも良い眞栄田郷敦くんは美しすぎてぶっちゃけドラマと分かっててもサラリーマン組織の背景から浮いているなと思いながら観ていた。
岸本が生来強者になれない気質であったように、斎藤も「そういう」気質なのだ。政治の才能…人を惹きつけ、おそらくフィクサーもこなし、自分に都合が良く物事が運ぶように操る恵那は長けているんだろう。もっとも作中では正味、そういう描写はほぼなかったような気もするけど。とにかく頭がよく動き、立ち回りが上手い人なのだろうという印象はあったけど、恵那と元鞘になったり別れたりといったことも別に裏があってやっていたことではないようだし(6話で恵那に別れを切り出した時、それも含めて壮大な心理操作めいた作戦かと思って身構えちゃった)。
だから、最終話の恵那を説得する演説シーンで言っていた「俺がしかるべき地位に就いたら絶対に変える(※要旨)」みたいな所信表明も、少なくとも現段階では本音だと考えて良いのだろう。もちろん今後政治家としての道を歩んでいく中で、恵那や岸本がそうであったように、挫折したり独り善がりになったりすることがあって、本当にしかるべき地位に就く頃には崇高な志は欠片も残っていないかもしれない。ただそれはドラマの後の未来のこと、まだ決まっていない「余白」だ。そのパンドラの箱はまだ開いていない。

最終話の岸本のモノローグ、どう生きるべきかの次元で悩む彼に恵那は「夢を見ることにしようよ」と言う。目を背けたくなる現実や困難、失望の中でも、そんな風に期待を抱いて過ごしていく。有り体に言えば希望に縋って生きていく。それはもはや「祈り」と言い換えられるかもしれない。

「祈り」が伝播し、循環する人間賛歌。『エルピス』、そんな風に感じた。

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