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シニア期から、命を全うするまでの愛犬との生活は愛そのもの

うちの子はフレンチブルドックの男の子でブッチと言います。ブッチはシニアになるまでは風邪も引いたこともなく元気いっぱいで遊ぶ事が大好きな子でした。

10歳を過ぎた頃から発熱のある風邪を引いたり、
前庭疾患という病気にもなりましたが運良く回復してくれました。
しかし右半分の顔に麻痺が残り右目が自力で閉じなくなりましたが後は問題なく今までと変わらず元気に暮らしていました。

その頃から今まで以上に空調管理、寒い日の散歩は保温性の高い服を着てもらい散歩に行くようにしました。

少しずつ老化が進み、散歩コースにあった階段に登れなくなったり、途中で休憩したりするようになり………、ついに大好きだった散歩を拒否するようになりました。

そのような姿を見ているうちに私は毎日死の恐怖と戦っていました…。
しかし愛犬は何も変わることなく幸せそうに生きているように感じました。

最期の2年間は24時間介護をしていました。水下痢が頻繁にあり、トイレ介助を1日数10回以上行っておりました。
愛犬も辛かったと思います。
しかし生命力の高い頑張り屋さんなので私は愛犬に励ましてもらっていました。
今でも尊敬しています(⁠ ⁠◜⁠‿⁠◝⁠ ⁠)⁠♡

聴力、視力を失い、体も自力で起き上がる事ができなくなってからは、意思疎通はボディランゲージで行っていました。愛犬からの要望がある時は声で伝えてくれていました。触れ合っている時には安心してくれている合図も呼吸の仕方でわかりました。

先天性の心臓病のステージが上がってきて発作がでるようになって来た頃は毎日が不安でいっぱいでした。発作が出た時は毎回恐怖と心配で冷や汗をかいていました。正直とても大変でしたが、介護する事は苦ではありませんでした。愛があるからこそやり遂げられたと思います。

心臓病のステージが最大レベルになり死の兆候が現れてからは獣医さんにはもう見守るしか無いと言われました。そしてあと3日間くらいの命だろうと…。
しかし私は諦めきれませんでした。回復するという期待を捨てれませんでした。
ブッチの状態は、水に溺れた時の様な感覚だと獣医さんに言われました。とてもとても苦しんでいました。一睡もしてなかったと思います。
それなのに私は頑張って乗り越えてくれるように祈っていました。
死の兆候が出て5日目くらいだと思いますが、その日、私は死を覚悟するようになり、夕方にブッチに泣きながら、たくさんの楽しかった思い出を話したり感謝の言葉を伝えました。(私は、先程の文章を書き出した途端に涙がこぼれています。生きてる時にたくさん話せた最後の時間は貴重な宝物です。でもやっぱり思い出すと涙ってでるんですね…)
たくさんお話しした次の日の夜にブッチは旅立ちました。

私が死を覚悟するのを待ってくれていたんだと思っています。
あんなに苦しい状態なのに…
本当に優しくて強い子だと思います。

ブッチが命を全うし、埋葬した日から私の精神は破壊していました。
居ることが当たり前だったので、居ないことが現実とは思えませんでした。

土葬を選んだので毎日毎日お墓に会いに行きました。
その時間は悲しさが和らぎ側にいられるのが幸せでした。
ペットロス期間は後悔や悲しみとの戦いの日々でした。食欲も睡眠欲もなくただただ会いたい気持ちでいっぱいでした。少しずつ少しずつ現実を受け入れるようになり、人や音楽から力をもらいながら、立ち直り、以前よりも強い自分になれたと思います。

一緒に過ごした16年間が私の宝物です。今でも変わらず愛しています(⁠ ⁠◜⁠‿⁠◝⁠ ⁠)⁠♡








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