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『サル化する世界』まえがきを読んで考えたりんごのこと

「でも、今のままじゃりんごで食べていけないよね?」

12月に入り、今シーズンの収穫が無事に終了しました。きっと、周りのりんご農家さんに言ったら呆れられるくらい時間をかけてしまいました。皆さんよりも2週間から1ヶ月くらい遅れたのではないかと。でも、台風などの被害も受けず、無事に収穫を終えることができたことを考えると、それだけで大成功だったのではないかなぁ。自分で自分を褒めたいと思います。

冒頭のセリフは、収穫前にとあるりんご農家さんからかけられた言葉です。どうやらりんご農家になるということは、りんごだけで食べていくもので、そのりんごは生で食べるのに良いと言われている真っ赤で大きな、傷のないりんごでないといけない。そういうりんごをたくさん作ってなんぼであると。他の場面でもいろいろお話したことのある人でしたが、それも総合すると彼はそんなことを言いたいのだと、私は理解しました。

これは、内田樹氏の『サル化する世界』のまえがきに書かれている『「専門領域から一歩も踏み出さない」知的抑制』と共通する点があるように感じました。りんご農家は生で食べるのに良いとされる綺麗なりんごを作る技術を持つ専門家であることが推奨され、それから外れて、身の丈を超えた生き方をする人間は批判と処罰の対象になる、と。


「りんご農家としてやっていきたいのであれば、一番大事なのは"技術"です。」

これも、いろんな立場の人から口すっぱく言われました。このセリフも『サル化する世界』の言葉をお借りすると、「定型に収まって、それ以上変化しなくなること」を成熟だと捉えている風潮によるものだと感じます。個人的には、東日本大震災の経験から、なにが起こるのかを予想するのが困難な世の中で、何かひとつのものに落ち着いたり、「これでいい」としてしまうことに対して心許なさを覚えてしまいます。


そんな感じで、『サル化する世界』はりんご産業にも当てはまることが多そうで興味深いので、読み進めていこうと思います。

まえがきを読んでいて上記2つの言葉を思い浮かべたのですが、まえがきの最後の方で「自分の身ほどなんて知らなくていい」「自分らしさをあわてて確定することはない」という内田氏の提案によって背中を押されました。

というのも、今、「旅するりんご農家」というチームを組んでりんごの"販売"における試行錯誤をしているのですが、このチームの大事なところは「自分にとってのりんご農家像を探究する」という、"探究する"ところに目的を置いているところです。決して"見つける"ことではなく、そのプロセスを大事にしたいという思いを込めています。自分でも、「これはふわふわしすぎだろうか。うーん。」と少し悩んでいたのですが、このまま進んでみます。

りんごの世界に片足をズブズブと入れつつあるので、普段はついつい色んなことを主観的に考えがちです。もう少しこんな風に、たまには事実を事実として受け入れる時間を持ちたいなと感じました。


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