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新規就農者にいちばん必要なものは”技術”ではないかもしれない

私はりんご畑を管理し始めて3年目のペーペー生産者です。背が低く、筋肉もなく、免許はオートマ限定。自己紹介をする時は「農家です。」とは言わないようにしています。自分以外の誰かがそう認識したり言ったりするのはかまいませんが、正直ムズムズしている自分がいます。

「農業は、技術がないとやっていけないよ。」100万回聞いた台詞です。いろんなところで口すっぱく言われます。しかし、”技術”って言われても、どうもしっくりこない自分がいました。そもそも技術って何なのでしょうか。

とりあえずこういう時は、辞書にあたります。”技術”と調べると以下のようなことが書いてありました。

1 物事を取り扱ったり処理したりする際の方法や手段。また、それを行うわざ。「―を磨く」「高度な表現―」
2 科学の研究成果を生かして人間生活に役立たせる方法。「先端―の導入」「産業界における―革命」

出典:goo国語辞書

なるほど。ということは、りんごに当てはめると「りんごを栽培する際の方法」と言ってもいいのかもしれません。方法と手段の違いは、手段の集合体が方法であるようなので、ここでは方法で統一しました。最初の印象として、”技術”というのはもっと「職人気質」な側面を含むと思っていたのですが、シンプルに上記のように捉え直した方がいいかもしれません。

そう捉え直すと、確かに新規就農者にとって上記の意味での”技術”は必要なことだとは思うのですが、一番かと言われると違和感を感じてしまいます。その違和感を、自分の経験に照らし合わせて整理してみたいと思います。

りんご畑の運営を始めてから3年目の夏。1、2年目では感じることの出来なかった達成感を、ある作業を通じて味わうことがありました。
その作業は、単なるりんごの木の枝の整理です。スプレーヤーや乗用草刈機をストレスなく乗り回すために、30aほどのスペースの枝をばさばさ切りました。本来剪定の時に行うものであるのですが、未熟ゆえできなかった作業を夏に行ったのです。数日で枝の整理は終了しました。

今までは、日々大きくなるりんごにお尻を叩かれながら、対症療法的に作業に当たっていました。しかし、今回は「りんごを健康的に育てる」ために、「農機をストレスなく使用する」ことが必要であると判断し、「剪定」「伐採」といった方法をとり、やり遂げることができました。このようなことを能動的におこなえたのは初めてでした。それができるようになった大きな要因は、正直「経験」だと感じました。丸2年、何もわからない状態の中、時間をかけまくって試行錯誤しました。それにより、りんごの木を見る目が養われ、枝の切り方もが上手になり、チェーンソーも使いこなせるようになったことでやり遂げることができたのです。そして、このような「経験」を積むことができたのは、「継続」できたからであり、この「継続」ができなかったら、今回のような達成感を味わうことはできなかったと思います。

上記のエピソードから感じたことは、私にとって「技術」は必要ではありましたが、もっと重要だったのは「継続」できる環境だったということです。戦略を立ててりんご栽培を行えるまで、”継続できる”条件を整えることが必要だと思います。

そして”継続できる”条件の中でも一番重要だったことは、何かがあった時にすぐに助けを求めることができる”師匠”のような存在です。困ったことがあったらすぐ誰かに聞ける状態にあることは、継続していくにあたりとても重要です。直接的に問題を解決できないとしても、「あの人に聞いてみたら?」など、次の一手につなげてもらえます。自分一人だとその一手までがあまりにも遠く、結果、精神的に、物理的に色々と圧迫されていってしまいます。

「親元就農以外の農家にとっての就農のハードルは何か」というのを知りたくて始めたりんご畑の運営でしたが、これは、現状ひねり出せるひとつの解であると感じます。

りんご畑を始める直前に、素敵な師匠に出会うことができたのは、自分にとって大変ありがたいことだったなと改めて思いました。そして、その師匠がまず「怪我をしないこと」を最重要事項として掲げてくれたこともとても大事でした。これも、”継続”していくための重要な要素です。

もしかしたら、”継続”に重きを置くというのは、なにも新規就農者にとってだけの話ではないかもしれません。フェーズによって、継続のための動きというのは、何かしら必要になってくる可能性がありそうです。
そのあたりについては、今後見えてくるのかもしれないし、見えないかもわかりませんが、注視していきたいと思います。

そして、同時に”辞めやすさ”も同じくらい大事だという仮説もあるのですが、この話は別の機会にしたいと思います。

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