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どこへいった恋心

ここ最近、人を好きになるという感覚がわからなくなっている。

「推しがいるじゃん」

それはそう。
でも推しが好きという感情は、自分にとっての心の栄養というだけであって、純粋な恋愛感情とは違う気がする。

ふとした時に、かつて誰かを好きで好きで仕方のなかった私は、どこに行ってしまったのかと途方に暮れる日が多くなった。

「そろそろいい年なんだし、彼氏の1人や2人くらい作ったら?」

「出会いの場に行けば、すぐ出来るよ」

「1人なんて寂しいねー」

周りの人のおそらく悪意のない?この声を聞くたび、そんなことに耳を傾ける必要はないと思っていても、漠然とした不安と焦燥に駆られてしまい、寂しいと思う気持ちが拭えない。

恋愛感情の欠落は、出来損ないの烙印を押されてしまうのか?

種の保存として、生物的な観点からしてみれば、女性というのは子孫を残すために子供を産んで文明を発展させてきた。

もちろんそれだけではないのは知ってるけど。

何十年、何百年、何千年と続いてきた人類の繁栄は、女性が絶えず子供を産んできてくれたという事実がある。

そして、昔は親から決められた相手と結婚して子供を産むというのが当たり前だったけれど、現代は自由恋愛の時代。

子供を産むことの始まりとして、恋愛をすることがまず初めの条件だと皆が潜在的に思っているのだとしたら、その恋愛すらもせず、1人でぷらぷらしている私は、普通の人として見てもらうことは出来ないのだろうか。

女性のキャリア進出、多様性の時代と言われている裏で、自分は充分生きたいように生きてるはずなのに、まだ根強い「結婚が女性のゴール」という概念にブルブル震えて怯えている自分を救えるのは一体誰ーー?

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