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10代から身につけたいギリギリな自分を助ける方法

井上祐紀氏著作、「10代から身につけたいギリギリな自分を助ける方法」を読了したので、感想を綴っていこうと思う。

精神科医である井上先生の著作を読むのは、これが2作目。
1作目と同様、上司が貸してくれて、1作目と同様めちゃくちゃ面白いし、勉強になった。

以前読んだ先生の著作の感想↓

どちらも読みやすかったのだけど、前回の著作は題名にもある通り「休み」に特化した内容であったのに対し、今回の著作は「自己防衛」に関しての内容となっている。

「私は守られるべき存在だ」と断言し、「自分を助けるためにできること」「友達の悩み」「恋愛の悩み」「家族の悩み」「自分自身の悩み」と5つの章に分かれて問題の解決法を提案してくれている。

青春の陰に隠れる辛い気持ち

前回読んだ“自分を休ませる方法“の時も思ったのは、「休みたい」「人に会うのが嫌だ」と思っている中高生が激増しているということ。

未知数のエネルギーと、可能性に溢れている、あまりにも短い青春の時。
キラキラと眩しいくらいの時期、自分の辛い気持ちと上手く折り合いをつけることができず、どんどん自分の殻に閉じこもってしまうのは、少々勿体無い気がする。

だからと言って無理して世間と関われとか、学校に行った方がいいなんてことは言わないし、休むことに私はむしろ大賛成。
だけどせっかく休むなら、その休んでる期間を最大限に活用出来るようにしてほしいし、多分、ただ休んでるだけだったら(ストレートに言ってしまうと)あまり意味がない。
寧ろ、辛さがどんどん深まるだけ。
それで余計に復帰が難しくなる。
何もできずに、どんどん真っ黒な世界の中で溺れていき、やがて最悪の選択肢へと自分を進めていく。

せめて明日の朝起きようと、少しでも希望をもてるように。

出来ることなら、「嫌な気持ち」「辛い気持ち」に向き合って、その気持ちをどうしたら小さく薄めることが出来るのかを自分で考え、実践してほしい。

そのペースは本当にゆっくりでいい。
マイペースにマイペースに。
0.1歩でもいいから、前に出てきて欲しい。

本書にはそのやり方の例が沢山載っている。

また、そのサポートを大人がしてあげる必要性が大いにある。

著者である井上先生に意見を伺ったところ「子供にばかり助けを求めるべきではない」と仰っていて、本書内にもある「安全な相談者」として大人が子供に認知してもらう必要性がある。

青春は綺麗な部分だけではない。
暗くて、ジメジメしてて、逃れたくても流れられない陰があることを皆んなが理解しておくべきだ。

「もともとの自分」

本書を通して井上先生が言いたいことって、自分を「もともとの自分」に戻して欲しい、ということだと私は感じた。

もともとの自分というのは、よい部分もいまひとつな自分もある状態の自分ということ。

ついつい周りに気に入られようとして(それはそれで必要な気持ちでもある)自分を取り繕ってしまうけど、それで自分が苦しくなってしまうくらいなら、ちょっとずつでいいからもともとの自分」を曝け出した方がいい。

そうして「もともとの自分」を好いてくれる人が必ず現れるはず。

「嘘だ〜」と思う貴方。
大丈夫。
私が保証する。

素のままの貴方の方が、ずっと魅力的。

大人たちの期待には応えなくていい

大人たちが子供に望むことってなんだろう?

「がまん強く頑張り屋さんで文句を言わず、真面目にコツコツやって欲しい」と大人に都合がいい子供像を押し付けてしまいがちな大人が多い気がする。
というか、「我慢=美徳」みたいな風潮が、いまだに日本では根強く残っていると思う。

ただ、これはかなり健康に悪い

だから本来大人がやるべきことは、子供に期待することではなく、ことあるごとに身の回りにいる子どもたちに大人の期待に応えようとすは健康に悪いと呟きまくることだと、井上先生に直接お話を伺った際話してくれていた。

子供達は、大人の期待に応えなくていい。
まず自分が自分らしくいれるように全力で生きてほしい。

最後に

あなたたちはみな「守られるべき存在」だから。「がまんするべき存在」なんかではないからです。

「10代から身につけたいギリギリな自分を助ける方法」本文中より引用

生きづらさを感じやすくなった現代社会で、本書は「もっと楽に生きていいんだよ」と優しく寄り添ってくれる本だった。

もちろん本書に書いてることだけが正解じゃないし、実践するのが難しいと思うこともあるだろう。

でも、助ける方法を知ってると知らないでは生きづらさの度合いがまるで違う。

自分の心を守ってあげられるのは、結局のところ自分しかいない。

1人で戦うことに疲れてきた貴方に、是非。

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