見出し画像

アールヌーヴォーのガラス~ガレとドームの自然讃歌~展

九州国立博物館で開催中の「アールヌーヴォーのガラス~ガレとドームの自然讃歌~展」に行ってきた。

ガラスの誕生から工芸品への昇華を辿っていく

この美術展は、上司から「絶対行ったほうがいいよ!」と激推しされ、さらに同僚の方から「チケットが余ってるから行かないか?」と言われ「最近美術展行けてなかったし、行ってみるかー」的な軽いノリで行ってみた。

とはいえ、美術品は絵画は好きだけど工芸品には疎いほうだしなーと自分がこの展覧会を楽しめるかどうか、一抹の不安がある私。

そんな少しばかりオドオドしている私を、眩いばかりの輝きを放つガラスたちが静かに待ち受けていた。

いつの時代も光り輝くガラス

ガラスと聞くと、日常にありふれてあるものと想像するけれど、実物は割れやすいし、ちょっとした衝撃でもヒビが入ってしまい、皆そんなことがないよう丁寧に丁寧にガラスを扱っている。

まるでお姫様のように。

その扱いはいつの時代もそうだったようで、古代ローマの時代から、現在に至るまで、ガラスはいくら自分が生活に身近な存在になろうとも、自分自身を粗雑に扱うことを許しはしなかった。

これ写真では半減してしまってるけど、相当光り輝き、その色の数は数えきれないほど。
宝石のようにキラキラと眩しい光を放つ。
この辺から見慣れた薄さと透明度を誇るようになる。

時代と共にどんどん洗練された姿形になっていくガラスは、まるで1人の少女が大人の女性に成長していくようで見てて美しかった。

薩摩切子の可憐さ

先ほども言ったように、私は工芸品に疎く、有名なガラスといえばバカラくらいしか知らないくらいだった。

だからこの薩摩切子という工芸品も当然知らなかったわけだけど、この可憐で凛とした姿にしばらく目を奪われてしまった。

この佇まいの良さと、可愛げのある赤い装飾。
か、可愛すぎるッ……!!

日本人らしく几帳面に装飾された模様、目を惹きながらも奥ゆかしい赤の着色、まんまるい形。

──めちゃくちゃ良い。

海外から入ってきた新しい文化と、工芸品を素直に受け入れ、かつ日本独自のものにアレンジし、後世に日本の伝統として受け継がせていく当時の日本人の器用さと、センスの良さ。
これには感激せざるを得ない。

ガレのカリスマ性とドーム兄弟の憧れ

この展覧会のメインとも言ってもいいガレとドーム兄弟の作品。

エミール・ガレ/「菊にカマキリ文月光鉢」
本展示会のメインビジュアルにもなっている。
ドーム兄弟/睡蓮のつぼみ
このフォルムの可愛らしさ、きゃわ。

ガレの象徴主義的表現の多様性に驚く。
この時のパリはちょうどジャポニズムの影響で、日本的な表現をしている作品が、絵画や装飾品にも多い。

日本的な模様と形が特徴的な作品。

ガレの作品にも、蟷螂や蜻蛉、蝶など日本の昆虫がモチーフになっているものがある。

ガレの作品はこちらの感情を揺さぶってくるような、表現力の強さをみてて感じる。
写真を撮り忘れてしまったのだけど、百合の花二輪を瓶の表裏に描くことで生と死の表現をした作品はガレの人並外れた技術力と、繊細な表現力に感服した。

遠い異国の地に想いを馳せながら、工芸品の枠を超えて繊細で美しい世界をガラスで表現するガレの孤独なカリスマ性を感じ、ドーム兄弟が憧れる気持ちが少しわかったような気がした。

そしてそのドーム兄弟だけど、こちらの作品は色合いも形も可愛らしくて、親しみやすさを感じる。

これ日常で使えたら相当テンション上がる

強いカリスマ性を放つガレに憧れ、自分たちも同じステージに立つぞ!と、立ち上がった2人の兄弟。

そんな憧れの存在と同じ日に金賞を受賞し、肩を並べたドーム兄弟。

そんなドーム兄弟の存在に刺激を受け、創作により熱意を燃やすガレ。

ライバルであり、ナンシー派の仲間として切磋琢磨していたガレとドーム兄弟、彼らの関係は、月並みの言い方しか出来ないけどめちゃくちゃエモいと思う。

最後に


ガラスの美しさを味わえると共に、アールヌーボーな美術様式が主流となっていたベルエポックの時代に活躍した2組のアーティストの傑作を堪能できる本展覧会。

工芸品としても、美術品としても最高品の作品を心ゆくまで堪能できるこの展覧会は、6月14日まで九州国立博物館で開催されている。

ガラスの可憐さとガレとドームの絆を味わいたい貴方に、是非。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?