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女として生きるのはむずかしすぎる

女として生きるのはむずかしすぎる。
わたしは、女はいつも不公平だと思って生きてきた。女だというだけでいろんな不幸を押し付けられる。こういうことを言うと、男性軽視だと言う人もいるかもしれない。もちろん、そんな人ばかりじゃないことは知っている。
それでも、自分が女性だというだけで、生きる世界が少しだけ狭くなる。


初めて男性が怖いと思ったのは、小学生の時だった。幼い頃から続けていた習い事では、毎回男性の先生が女子生徒のターゲットを決めて精神的に追い詰めるような、先生から生徒に向けたいじめのようなものが習慣化されていた。そのターゲットになった生徒は数ヶ月して辞めていき、別のターゲットに移動するという流れが出来上がっていた。
ある日、わたしがターゲットになっていることを悟った。小学生の精神では抱えきれないような言葉や態度を向けられ、毎日苦しくて苦しくてそれでも両親や家族の期待を裏切りたくなくて通い続けるしかなかった。揚げ足をとるように細かなことを指摘して注意されたことを改善できていないと腹を立てる。先生は、ある日ストレッチで使用するボールの入った箱をひっくり返し、「拾って」と言った。わたしは訳もわからず部屋中に散らばったボールを拾い集め、箱に戻した。すると最後の一つを箱に戻し終えた瞬間、先生はもう一度その箱を乱暴にひっくり返してボールを部屋中にばらまいた。瞬間数十個の小さなボールが部屋のあちこちに転がっていく。「お前がしてるのはこういうことなんだよ」と言われた。わたしは困惑の表情を浮かべることしかできなかった。先輩や友人に見られながら拾ってはばら撒かれて拾ってはばら撒かれての流れを繰り返してその日は終わった。

また、ある時は「死ね」と何度も言われたこともあった。たしかレッスンが終わった後帰り支度をしていたら言われた。練習をせずにすぐに帰って本当に上手くなる覚悟はあるのかと。22時頃まで残って練習するのが当たり前になっていった。

わたしがその中でいちばん悔しかったのは、自分と共に親のことを馬鹿にされた時だった。
通常、怒られた翌日は反省文をノートに書いて、
親からサインをもらってきたものを先生に見せるという謎のルールがあった。そのルールに従ってノートを見せていた時、先生が言った。「親がこんな字を書くわけがない。これは自分で書いた字だろう」と怒鳴られた。その字は正真正銘親が書いた字だった。そう訴えても信じてもらえず、わたしは謝るしかなかった。大勢の生徒がいる前で怒鳴られる恐怖、思いがけぬところで失敗するかもしれない、機嫌を損ねるかもしれないという不安、その頃には習い事はただの地獄でしかなかった。わたしより年上の先輩や友人は心配こそしてくれても、自身が標的になる恐怖もあり、わたしが怒鳴られている間は嵐が過ぎ去るのを待つ小動物のように、静かに息を潜めて、わたしの無様な姿を横目で見ていた。両親がわたしのためをと思って高額の月謝を払ってくれていたこともあり、誰にも相談できずにいたけれど、ある時ついに限界がきたわたしは帰宅途中で過呼吸になる程号泣し、その習い事をやめた。解放されて精神は幾分か楽にはなっても、その頃から男性に対して恐怖心を抱くようになった。

その後わたしは中学校、高校と進学して、そこでより男性に対する恐怖心や嫌悪を自覚するようになった。
中学生になってから痴漢をされる機会が増えた。
誰に相談したらいいのかわからなかった。
家族に相談したら、「そんな人を引きつける気を持ってるのが悪い」と言われる。友人に相談したら、モテ自慢と思われる。かわいいからね、と片付けられる。

大学に進学してからは、街で知らない人に盗撮されたこともあった。後ろをついて来られることもあった。新卒で会社に入ってから執拗にご飯に誘われるようになった。上司が権力を理由に体を密着させてくるようになった。
訴えたところでその相手はこの世界からいなくならない。声をあげても、それは圧力によってかき消されてしまう。誰も共感してくれない。誰も助けてくれない。いつか逆恨みされるかもしれない。
完全な安全は保証されない。

階段を登っている途中、コートに違和感を感じて後ろを振り返ると知らない男性がコートの裾を引っ張っていた。本屋で新刊を眺めていたら移動してもずっと着いてくる知らない男性がいた。スーパーで買い物の付き添いをしていたら、知らない男性が体に触れてきた。横断歩道を渡っていたら向かいから歩いてきた男性に体を触られた。信用していた上司に人気のない場所に呼び出されて抱きつかれた。買い物をしていてふと視線をそらしたら、スマホを向けられていた。この気持ち悪さがわかる?こういう人たちは確かに女を男より下だと思っていて、それが心底気持ち悪い。

背後にはずっと拭えない恐怖がある。
男の人がエスカレーターで後ろに乗った時でさえ、恐怖を感じる。防犯ブザーを握らないと電車に乗れなくなった。盗聴器をペンケースに忍ばせるようになった。近所を散歩する時は携帯片手に110番を押してすぐに電話できるように画面をつけたままにするようになった。いつも街を歩く時は背後を振り向く癖がついた。自由な生活は遠くなった。こんなのおかしいって思うけど、安心できるなにかがないと、不安でたまらなくなる。


先日体調を崩したわたしは薬局へ行った。咳も出るし熱もあるし早く薬を買って帰ろうと購入後店を出た瞬間、店の前に怪しい男の人がいるのが見えた。わたしはこっちを向かないでと願いながら素知らぬ顔で帰路につこうとした。
その瞬間、その男の人がわたしの背後についてきて、よくわからない独り言(殺人がどうとか言ってた)を大きな声で叫んできた。また、わたしか、と落胆のような思いで俯きながら早足で歩いた。どうしていつも貧乏くじを引かされるのはわたしなのだろう。こわくて、どうしたらいいかわからなくて、でも必死に考えた。
足を早めても声は途切れずついてくる。罵声のような訳のわからない言葉を吐きながらついてくる。すれ違う人々は「うわ、やば」と言ってわたしの周囲を避けるように過ぎ去っていく。コンビニやスーパーはあるけど店内に入れば袋の中も同然なわけで、路地を曲がった瞬間考える間もなくわたしは必死に走った。走った。
なんとか撒いて後ろを振り返ってまた走った。
立ち止まると喉がからからで咳が止まらなくて世界のぜんぶがどうでもよく思えた。
泣きながら友人に電話して何度も後ろを振り向きながら帰った。その晩わたしはこの文章を書いた。もちろん、例外の男性が多くいることは知っている。やさしい男性がいることも。でもわたしは、そのやさしさを100%信じられないくらい、裏切られた経験が多すぎる。

ある日別の同性の友人に相談したことがあった。街を歩くのがこわいこと。一部のおかしな男性のせいで男性がこわいこと。生きづらさを感じていること。それでもわたしが欲しかった言葉は貰えなかった。わたしが期待しすぎたみたい。
「わたしなんて、街中でそんなことされたことないよ。そんなことされるほど魅力的ってことだよ」
わたしは泣いてしまいたくなった。
叫んで投げつけて壊してしまいたくなった。
心の奥底にある黒くて重いなにかを。
わかるよ、こんなこと自慢に聞こえるって。でもちがう。これは、犯罪だ。わたしは苦しくて、辛くて、必死に手を伸ばした先でやわらかな言葉を期待していたんだ。
わたしはそんな言葉欲しくなかった。
ずっと自分の好きな自分でいたかった。
その自由を侵害する頭のおかしな一部の存在を貶して欲しかった。それなのにどうして。それだけなのに。

自分の性別が憎く思えることがある。
「女性のくせに」
「女は泣けば許されていいよな」
「女の子なんだから、」
こんな言葉に何度傷ついてきただろう。
女性じゃなければもっと生きやすかったのに、と何度も思った。女性という性別をわたしはうまく使いこなせず、投げ捨てたいとすら思うこともある。もしかしたら男性でも似たような生きづらさを感じているひともいるかもしれないね。
わたしの今の髪型も服装の好みもわたしが後天的に身につけた自分を守るための術としての好みなのかもしれない、と時々思う。自由に生きたい。自分のすきな格好をして、すきな髪型をして、自分のすきな自分で、街を歩きたい。
そんな簡単な夢さえも叶えられないように感じる。
痴漢されないための立ち方とか、ストーカーされないための服装とか、加害者が悪いのに、制約を課せられるのはこちらのほうだ。本題はうやむやにかき消されていく。
わたしは今日もたくさんの鎧を身につけて、武器を握りしめて、街を歩いている。

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