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人生の閾値まであとどれくらい

ずっとゆるかやにしにたいと思っている。
そのしにたい、のピークがゆらぎとなってわたしを襲う。

会社で思いっきり上司に怒られた。それは“注意”だったかもしれないけれど、わたしには“怒られる”だった。わたしのやろうとしていることが違うと気づいていたならもっと早く言ってくれればいいのに。そうやって、気づかなかったあなたが悪いって手を離されて人前で怒られて、頭を下げて泣くのを堪えて何やってんだろう、と思う。わたしが意見すると、何言ってんの、と言いたげに上司が深くため息をつく。

今の仕事に不満があるわけじゃない。今の仕事は好きだよ。前職の地獄のような日々に比べたら幸せだよな、と思う。でも、このままでいいのか不安になる瞬間がある。なにを聞いてなにを自分で進めていいのかわからない。確認してほしいと言われて逐一確認してもらっていたら、それくらい自分で考えてやって、それって今確認しなきゃいけないわけ?と言われる。自分で考えてやって失敗したら確認しないからじゃんと言われる。上司の機嫌を伺いながらこれは聞くべきかこれは聞かないべきか、をあれこれ考えて確認して、結局怒られるの繰り返し。

泣いてしまいそうになるからへらへら笑う。あ、やばいな。と思って表情に力を入れる。ここで涙をこぼすわけにはいかない。最近の若者はすぐに泣くとか、弱いとか、思われたくない。
理不尽なことで怒られたくらいで折れちゃいけないってわかっているのに、こころはどんどん暗い方に暗い方に流れていく。
こんなに苦しんでこんなに惨めで、努力してももがいても欲しいものが何一つ手に入らない世界で生きてる意味ってあるのかな。しにたい、は生きたいと思って生きている人や亡くなっていく人たちに失礼だと思って、しにたいを消えたいに変換する。しにたいは自分の意思だけど、消えたいは偶然訪れた抗えない現実感があっていいし、苦しまずにいなくなれそうでいいな。

人生で消えたい、と思う瞬間なんて数え切れないほどある。なんなら四六時中思っている。波はあれどうっすらと絶望がわたしを覆っている。波が激しくなると胸がぎゅうっと苦しくなる。「「「どうして」」」が大きく大きく膨らんで胸を圧迫する。なにか、ひとつくらい、手に入ればいいのに。お金も地位も名誉も愛情も強さも美しさもユーモアもなにもかも手に入らない。なにかひとつくらいあればよかったのに。

上司から怒られた後ミーティングはお開きになって、自席に戻った。席に座った途端、涙がこぼれ落ちる。声を出さないように唇を噛んで涙を素早く拭う。理不尽さが悔しくてたまらない。どうすれば強くなれるのかわからない。なにもかも理不尽ばかりでいやになる。でもこの世界はそういう世界だ。生まれた時に配られた手札で戦うしかない。わたしに配られた手札は弱くて勝負になんかならない。この手札でなにかに勝てたためしなんてない。

しばらくしてミーティングに同席していた多部署の先輩がわたしのデスクにきて声をかけてきた。「大丈夫?」わたしは笑って「何がですか?大丈夫ですよ?」と笑った。だってそう言うしかないから。先輩は「なんだいつも通りじゃん、じゃあね」と去っていった。中途半端な優しさがいちばん邪魔だと、最低なことを思ってしまう。声をかけて優しくした気になってさぞかし気持ちいいだろうなと思う。なにひとつ見抜けないくせに自分にはなんでも見えていると思いこんでいるところが傲慢で自分勝手で自己中心的でわたしはすこし苦手なんだ。でも、こころの中でそんなふうに最低なことを呟いているわたしの方が何倍も最低かもしれない。

帰り道、どこかに行きたくて、でもどこにも行けなくて、もどかしくてたまらなくて歩道橋に上った。夜の街は静かで暗くて街灯と信号がきらきらしていて、その世界に飛び込んでみたくなる。でもわたしはその先に飛び出せない。だから、わたしは今日も生きていく。生きていく選択肢しかないから。

人間はなにかひとつでしぬわけじゃない。たくさん、たくさん、たくさん、降り積もって重なって抱えきれなくなって、最後のひとひらが決定的な瞬間になるだけだ。わたしの人生の閾値はあとどれくらいだろう。とかしょうがないことを考える。
生まれ変われるなんて信じるのはひどく傲慢だと思うけれど、わたしはもう来世に期待している。そうすることでしか希望を持てない。生まれ変わったら何になれるかな、わたしはゆっくりと一歩一歩踏みしめて歩道橋の階段を降りた。すぐそこにあったはずの満月は、もう雲で隠れて見えなくなっていた。

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