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青藍記

1


 土曜の夜であった。幽天に沈む冬麗、屹立せる二本の細い丸柱、その天頂に光る箱に睨まれ、一尾の蜥蜴が居た。足甲を軋ませる透明な紐、頭部に掛かる重みに首をたわませ、満足げに揺れて居る。はなはだしい動きと綿綿たる継続を戒める警句を視界の端にとらえ、敢えて自我を埒外に置き手中の黒短杖を引き絞る。咎めるような数秒を瞬くとBeatSaberであった。

 師走も玄冬のことである。濃縹の装甲に覆われる紺青の筋細胞は活動を滞って久しく伸縮せることすら半ば放棄しているようであった。猥雑の様を呈する一覧に難儀しつつ漸く手ごろな譜面と思しきを繰出し、二三度、光点を左傍に彷徨わせた後、開始を意味する矩形に落ち着ける。数瞬の空白に肝をぽつぽつ寒からしめるも、馴染んだ立ち台が漸く現れたことを見て取りついと羽衣の剣先を遊ばせる。

 光束の槍であった。尋常の蜥蜴に数倍するその繰り手にすら届く長尺に、本来は柄で然るべき節も、中心のごく短い握りこみを除き、並べて燦爛たる光刃が煌煌と伸びて居た。重さを感じさせない両の先で弧をなぞると伸びた輝蛇が互いの尾を喰らい円を結ぶ。開いた虚空から飛来する四白眼に光刃を潜らせればしゃらりと抜け、後には正方形であった光塵が散った。営々と幾百かを散らせしめた体繊維は青青と熱を帯びている。

 首をわずかに右上へ傾げると翡翠の線が視界に入った。見ると、譜面の要望が届けられていた。殊更気を張ることもなくそれを切り伏せるべく光点を操作する。場が整うまでに譜面情報に目を通す。Camelliaの手に成るそれは一息肺を満たす毎に七の箱が飛来し、一息肺を絞る毎にさらに同量の箱が飛来するようであった。横には夥しい数の天を貫かんとする鏃が見え、それ以上の数の挑戦者が血と筋と健常な手首とを捧げながらも、意に非望を遂げられなかったのであろう情景が截然と脳裏に焼かれた。それらを感じながらも、しかし尚も幾何もの重みを感じ得なかった。整ったとみるや、手元を手繰り、寸分も躊躇することなく安息を絶った。

 初めに感じたのは嗅ぎ慣れた電子の匂いであった。切り伏せんとする者を押し潰す甚だしい物量を予見させるその微妙な音の陰翳は、蜥蜴にとっては常に身近に在るものであった。膝を掬い上げるかのような、春水の濁流を思わせる連弾。剣先を光陰の如く翻し、音に先んじ捌いていく。至芸による回転の速度と精妙さは既にこの域にまで達していた。四半分ほどが斬られることなく背景へと飛び去って行った。桂馬の如く跳ね回る平面ではない立面の配置が人の反応速度を超えて展開される。遊びを極限まで抑え、関節の捻りのみによって対処する。まるで将棋の様だと思考する余裕を残しながら稲光の軌跡を刻んでゆく。半分ほどが原形を保ったまま脇をすり抜けた。一際耳朶を震わすチェケの音と共に、それまでの行程が児戯に等しいと付せられるかの如く、悉くが加速した。常人であれば無限にも思える加減速に耐え兼ね、腕を意志の宿らぬ泥と化すであろうが、度重なる修練、自省、挑戦を閲したところ、飛沫渦巻く荒滝を昇る老鯉の如く、静かに、そして力強く奔流する青緑を漕いでいった。過半が一片たりとも欠けることなく、何事もなかったかのように後背の闇へと溶けていった。

 言葉を持たぬ、ただ純粋な音としての美しい声が曲中に見られる段になり、中心で舞う青は神に入っていた。最早狙いをつけるまでもなく正中へと斬り入れられる光刃は、見る者がいればその髄に詠嘆の念を惚焉として湧起こさせたであろう。蘊奥を極めんと歩んだ只一尾の蜥蜴は、正に至道、その終端へと至ったのである。
ーーーーー他愛もない
しかしてその青はさしたる喜色を見せることもなく、ただ呟くのみであった。当人にって未だ冀望する極地へは至っておらず、従ってその途上で歓を噴出せしめることなどあるまじきことであった。終わったとみるや、都合六割ほどを正しく処理できていないことを告げる結果と、総合の評価を表すEの文字に瞥をくれることもなく、次なる曲、さらなる修練に臨むためNuclear Starの残骸を後にするのだった。

                 -アドベントカレンダー2022へ続く-


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