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大相撲力士について記憶をあいまいにたどってみる~智乃花~

熊本出身で妻子持ちの高校教師であった成松先生が、大相撲の世界に飛び込みました。
当時は若貴を中心にした大相撲ブームで人気力士がたくさんいる中にまた一人個性的な(背景を持った)力士が増えました。
キャラが溢れた時代でした。
たしか、やくみつるの4コマ漫画で、まだ無給の幕下時代の成松に「嫁と子供に持ってってやりな」的な感じでちゃんこの残りをかき集めてあげる、というのがありました(詳細は本当にあいまいな記憶の片隅に…)。
もともと、アマチュアの実力者だったのでトントン拍子に出世して三役まで上がりました。
小さい身体で多彩な技を繰り出す技巧派として、技のデパートこと舞の海とも競演し相撲界を盛り上げました。
キャラが溢れすぎた時代でした。
なぜか貴闘力が対抗意識むき出しだったのが印象的で当時は「叩き上げの力士として、年上の付け出し力士の早い出世が気に入らないんだな」と思っていましたが、いまになってネット情報を見てみると、なんやかんやあったんだなー、ということがわかりました。
四股名も晩年に「智ノ花」から「智乃花」へ変えたそうです。
それはそれとして、引退後も部屋付きの親方として相撲協会に残り後進の指導にあたっています。
私はずっと、引退後はまた教師に戻るんだろうな、どこの学校からも引く手あまただよな、となんとなく思っていましたので、少し意外でした。
けれど、最後まで大好きな相撲を仕事にできて、あのとき「転職」を決断してよかったですよね。
奥さんとお子さんは、困らない生活を送れたでしょうし。
*画像は「智ノ花」でAIが生成したものです。花ちゃんでしょうか。

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