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失われる氷見の習俗について

 氷見市出身の歴史研究家、小説家の能坂利雄先生が残した草稿やメモの類が、氷見市教育文化センターの倉庫に眠っているという話を聞いたのは、平成の終わり頃だったと記憶している。
 先生が亡くなったのが平成の初頭の頃から四半世紀、手付かずのまま保管されており、内容についても本格的な調査はおろか、開封されたことのない箱もあるとのこと。
 「氷見春秋」周辺には先生と関係の深い人々も居るだろうし、とうの昔に洗いざらい確認しているものと考えていたが、いかなる事情か、そうはなっていなかった様だ。

 一時期の紙の質の関係か、一部に劣化が確認されるため放置しておくこともできず、かといって保全やデジタル化の予算も立たないという話しを聞き、なにはともあれ、スキャナーにかける作業を安請け合いした。氷見高校歴史部はとうに消滅していたが、有志の生徒たちを募り、スキャン作業をしながら整理を進めることになった。

 草稿に満たないメモの類には、奔放な想像力を働かせた様子の窺い知れるものもあり、竹内文書と氷見の関係、喚起泉達録についての覚書なども断片的ながら歴史研究を超えて、フィクションの準備ととれるものもあった。
 その中でも目を引いたのは「ブリスマス」についてのおびただしい量のメモだった。
 ブリスマスは昭和40年代には廃れてしまった氷見の奇祭で、私も、実際に目にしたことは無いが、中学生の頃、青年団の集まりなどにいくと、稀に話題になることもあり、過酷な通過儀礼ということは承知していた。
 ただ、驚いたことに、手伝いを買って出てくれた生徒ですら、誰一人「ブリスマス」について知らず、聞いたこともないと口を揃えて言うのだ。
 世代が変わって習俗が失われていく現場を目にしながら、能坂先生が遺した大量の断片の整理と、消えていく氷見の歴史について、間に合うものならば調査を行わなければならないと、思い知らされることになった。

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