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ビデオチャットの映像で演劇

7月1日、Youtubeに40分弱の映像『ちがうなにか』をアップロードした。
リモート演劇として何かできないかという模索だったが、結果的に演劇でも映画でもない何かの入り口がある様な気もするので、とりあえず記録。

新型コロナで集合稽古ができないので、ビデオチャットを使って稽古をすることにした。これが4月に入ってすぐのこと。
7月の公演に向けて台本を書き進めながら稽古しようと思っていたのだけれど、とりあえずそっちを中止して、ビデオチャットの会話で何かできないかという方向に切り替えた。

とりあえずツールの模索

ビデオチャットのツールは、とりあえず以下のものを試した。
Jitsi
Zoom
GoogleMeet
最終的に、これが適しているというツールは無く、全員が安定して接続できるということで、この時たまたま安定していたGoogleMeetで収録した。
適不適というのは主に音声の拾い方で、ビデオチャットのツールは会議用に大きな音声を拾い、そのマイクに音声が入り続ける限り優先して音声を拾い続け、他のマイクはシャットアウトする。会議などではその方が効率がいいだろうが、これでは会話のタイミング自体をツールに合わせて模索することになる。

ツール用の演技やタイミング

演出の方向性として先ず現代口語劇という前提があるので、実際のところ通常の会話のタイミングをリアルさを誇張する形で演じている。
個々の役者が経験してきた訓練や特性からのバラツキはあるものの、概ね無駄に声を張らない程度の事や、自分が演じる場で見聞きできる状況に対応して、即座に動くける様なタイミングを取ることはできた。
そうなってくると、問題は、実際に聞こえなかったらどうするのか。
何を伝えたいと考えてその言葉を吐くのか。そのための振る舞いやタイミングをどうするかということになる。
何を喋るかわかっていて反応を準備するというのは、通常の演劇でもありがちなことで、通常は厳しく規制している。
しかし今回は、適切な反応に見える範囲でコミュニケーションが途切れていない様に見せるということを優先し、自分が思考している事柄に関するキーワードがあったら、瞬間に何らかの反応をしておくこと、それが普段なら多少先回りになりそうでも、言葉を発する準備をすることを必須にした。

基本的な留意点が見えてくる

少しづつ、読み合わせをしながら、会話のテンポがツールの特性に見合う状態から少し逸脱していたとしても、つまり、通常のビデオチャットとしてはスムーズすぎたとしても、リアルさが感じられるラインを探り、以下の点を共有した。

・自分が言葉を発して、音声が拾われている様なら話しながら相手の反応を確認。
・単語の語頭の音をやや立てる様に意識する。
・相手を見ている以上、視線はモニターを見ていること。
・相手とビデオチャットでつながっているとわかっている自分のテリトリーでの振る舞いの軸はカメラではなく、送受信のデバイスであること。

どのチャットツールを利用するかを模索しながら、会話の流れ方を見ていて、上記四点を演技中の振る舞いの基礎に据えるということを演者に要求した。
そして、練習用の会話の段取りにも慣れたところで、以下のルールも決める。

・相手の注意を引くために言い出しの単語を繰り返すのはアリ。
・躊躇せず聞き返す。
・アクシデントで誰かの回線が乱れたりオフラインになってりしても、殊更反応しない。
・自分が落ちて復帰しても、軽く「落ちた」などと言う程度に留める。

複数の登場人物が居ても、話者は一人で、誰かが喋りだしたらそれを聞くしかないという状態は、ビデオチャットの通常の光景だが、傍目にはやや不自然。それならば、皆で断片的にそれぞれの思考を垂れ流している方が、情報量は多くなるが、自然には見える。
これは、実際に演劇としてオフラインで演じていた時も、気配の応酬としてずっと演者に推奨していることだが、平面上に複眼視的に映っているため、より明確に、気配への反応、マイクに拾われなくても、言葉を発している様子を見せる事自体を重要視することになった。
画面の何処かに集中できる様に、見る側を意識的に誘導するという方向性は、この時点で完全に捨てている。

分岐点

この時点で、演劇を記録した映像という位置づけのために、同録でカメラと音声の収録をし、そちらを編集するという選択も捨てた。
音声の伝わりやすさや、意図するところは十分に強調できる可能性はあるが、それでは映画になってしまうと判断した。
その結果、映画とも演劇の記録とも言い切れないものが出来上がることになる。
同時に、各々の環境をそのまま利用する方向で、画像の乱れ、音声の乱れ、回線の乱れもそのまま利用する方向で、リハーサルを繰り返した。
設定としては、演者は演者のまま架空の人物となり、全員がビデオチャットで接続する間柄というものを考え、そういうチャットで起こりうる日常の光景と、そこで起こりうる日常的な事件ということに決めて台本を展開することにする。
とりあえず、「実は……」といったどんでん返しの展開や、ホラー、ミステリーの方には振らないということを決める。
映像的な意味で、視点、クローズアップに関する不自由さをどの様に利点として使える様に考えるかは今後の課題。

仕上げの方向性

とりあえず、画面の中で並列で表示されるため、強制的に額縁式にはなるものの、複眼視を強いるため、映画などにも没入感を求める様な観客のことは、全くケアしないことに決める。
ここで最大限、誰が誰にどう反応しているかの情報については一切整理せず、各々の演者が通常よりもやや大げさに反応と思考を続けることにして、それが切れ目なくできているかどうかをひとつの到達点にすることに決めて、数テイクを重ねた。異常に美味しい展開の神回はあったが、比較的台本通りに安定しているものを採用しアップロード。


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