血パンダはどうやって演劇を作っているか その1.台本
前置きで書きましたが、いろいろと癪に障ることがあるので、ちょっと頭を冷やすために演劇について書き記してみようということで、友人からいただいた『ゼロからどういう流れで作ってるの?演劇って』というお題で、血パンダで演劇を作る場合の流れを書いていきます。
田舎の自主劇団のよくある形なのか違うのかも含めて、書いてみないと情報共有の一歩目が無いということでひとつ。
血パンダでは、私が上演作品の作と演出を担当しており、もっぱら台本を書いて、演じてもらうという流れになります。
そんなわけで、血パンダの演劇作りは、私の台本書きから始まります。
・台本が書きあがっている場合
・台本の一部ができている場合
・やってみたいお芝居の仕組みは決まっているけれど、台本がない場合
この台本パートから稽古開始に至るパターンは、この三つとなります。
台本を書く作業
大前提として、悲劇を書くと決めています。悲劇といってもギリシア悲劇の様な「憎い!殺してやる!」とかいう激情ではなくて、考えていることが通じないという様な現代の日常の人間関係にある様な些細なもつれです。
着地感の怪しい、もやっとするお話し(よく聞かれる評価としては、そんな具合らしいです)しか書きません。
どうしてと問われれば、「楽しい」とか「ほっとする」とか「みんなを応援する」とかいうものは、日本の津々浦々で頑張って書いている人が沢山居るので、お任せしておけば問題無かろうと考えています。
田舎で上演して、100人も見ない演劇の台本ですよ。もっとお客さんが呼べる様にとか、台本の段階で心がけるよりもむしろ、「血パンダを見た感想は、あまりにも自分の今の心情に踏み込みすぎるので、秘密にしておきたい」そう考えていただける様に努力しています。いや、お客さん増えたらいいし、正解とか全く無いので感想も聞きたいですけど。そこを目指すと血パンダをやっている意味も薄れるのでした。
ある日、日常を過ごしていて、「演劇を見たのか、実際そんな目にあったのか、夢を見たのかが曖昧で気色悪い」そんな風にお客さんの心に入り込んでいけることを目指してセリフを書くので、フィクションとはいえ、極力日常会話に聞こえる様なやりとりも織り交ぜてお話しを作っていきます。
そうなってくると、これは私自身が日常のどんな場面に悲劇性があると感じるのかということに関わるので、パターンは限られてきます。
・自分はちゃんと噛み合っているだろうかと考えるか全く考えない。
・考えていることが相手に上手く伝わらないと考えるか全く考えない。
・うまくいかないことに挑み続けるか、挑み続けている様子を見る。
・来し方を踏まえて今があると受け入れることに抵抗がある。
概ねそんな感じです。
台本を書くにあたっては、基本的に誰がどの役をやるかということはあまり決めずに書きます。血パンダメンバーの頭数は決まっているとはいえ、本当は誰がどの役をやるのかは、稽古をしてみてから決めたい。登場人物の性別は、極力調整できる余白を考えておきます。
ただ、どうしても性別が動かせない登場人物は存在するというか、むしろヒロインシステムでしかお話しが書けません。
これはおそらく私自身に何か原因があるんですが、女性を軸にしないと台本が書けないです。男性が軸で発想したお話しが書き上がることがあまり無いというのが正しいのか、とにかくそういう傾向にあります。
台本は、とにかく、お話しとして立ち上がって、なんらかの終わりまでの流れができるのかという問題があるだけです。なんの用事がなくても、ずっとなにかは書いているので、無駄に年季が入ってしまい、話しのタネはそこかしこに転がっているし、短いやりとりのスケッチなら、お題をいただければどこまも無責任に書けてしまいます。
実のところ、何らかの断片なら予めあるので、とにかくその時々の思いつきやら何やらで、まとまったお話しとして書き切れるのかということの方が問題になります。
ずっと考えてはいるものの、書ききれないお話しとか、おそらくこのままずっと演劇として立ち上がらないであろう断片なら、山ほどあるのでした。
・誰が何を考えて、何を口走るか。
・心の動きがあるとしたら、どんな動きか。
・登場人物の人間関係はどうなっているか。
この三つが決まればあとは書くだけです。書きながら模索も、最初のうちだけで、早々に思いついたことを書いていく作業に突入していきます。
起承転結や序破急の様なことは全く考えず、「事件」「出来事」というものがあるとするならば、それは演じられる始まりの前に既に起こっていて、演劇として終わった後も継続するとわかる様にします。
実はこの、お話しを書くにあたって、そろそろ起承転結とかではいろいろ不自由じゃないかという人が他にも居ないか、一派が無いかと仲間探しをしています。お話しのための要素が一段落して、ここからは次の話しになるので一旦終わりみたいなイメージなんですが、いかがなもんでしょうか。
稽古が始まる段階で「台本の一部ができている場合」は、何が語られるかは大まかに決めていても、実際に誰がどう口走るかを決めかねていたり、何パターンか思いついているけれど、決め手に欠けていて書けないという場合がほとんどです。
ある程度まで書いてしまうと、登場人物の増減が難しくなる場合はあるものの、とにかく淡々と台本は進んでいきます。
む。今回はこの辺にして、「やってみたい仕組みは決まっているけれど、台本がない場合」というのは、次回に回します。待て!次回。
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