「本は、これから」 池澤夏樹編 岩波新書 2010年


「本は、これから」

"それはともかく、ここに集められた文章全体の傾向を要約すれば、「それでも本は残るだろう」ということになる。あるいはそこに「残ってほしい」や、「残すべきだ」や、「残すべく努力しよう」が付け加わると考えても良いかもしれない。
 みんな本を愛している。"

本書「序 本の重さについて(池澤夏樹)」から

 appleのipad第1世代モデルが日本でも発売され「デジタル書籍元年」といわれた2010年、「本は、これから」は出版された。来るべき「デジタル書籍時代」に向けて、本はどうあるべきか、本との付き合いかたがどうなっていくのか、などについて編者の池澤夏樹氏も含めて37人が意見を寄せている。
 その多くは冒頭の引用文のとおり紙の本に対する肯定的な文章である一方、新デバイスであるipadやkindle、電子書籍自体に対しては「まだ信用ならない」という雰囲気が伝わってくる。

 例えば↓の文章。

"検索エンジンを使って、あたかも自分の手で選んだかのような結果だけをスライドショーのように繰り出し続けることと、物理的に本を発見することは同じではない。アルゴリズムを借りたプロセスは、自分と本の中に記憶されない。"

本書「誰もすべての本を知らない(柴野京子)」から,p.111

 柴野氏は、デジタル技術の普及によって本と人との出会い方が変わってきていることへの危惧を寄せている。検索エンジンの進化によって簡単に必要な本に辿り着くことができるが、「そこにある本を読む」「手の届く範囲でめぐってきた本を読む」という本との偶然の出会いの機会を一方で手放すことになるかもしれない。そのことで読書体験の大きなひとつの部分が失われてしまうのではないか、との危惧だ。

 その偶然の機会を誰しもに提供する公共図書館に関係する二氏も文章を寄せている。

"kindleやiPadなどを教育委員会や公民館、小中学校の図書室などから地域の子どもたちや住民へ貸し出すことも検討すべきであろう。最新型のKindleは三〇〇〇冊程度のデータを保持できるが、三〇〇〇冊は移動図書館の一台分の積載量に匹敵する。"

本書「図書館は、これから(常世田良)」から、p.152

"電子書籍時代の図書館、すなわち電子図書館について考えてみよう。すべての書物は電子的に送られてくるので、そこから書物の表題、著者名、出版社名などの、いわゆる書誌的事項自動的に抽出することはやさしい。"
"従来の情報検索は欲しい情報の書かれているであろう書物を取り出し、あとはどこに書かれているかを探さねばならなかったが、電子図書館での検索では欲しい情報そのものが直接取り出せるわけである。"

本書「電子書籍のもつ可能性(長尾真)」から、p.166

 引用文のように、二氏はともに電子書籍に対して肯定的と思える意見を述べている。また、本は書かれている情報、コンテンツこそ重要であるという考えも共通している。常世田氏は書籍のコンテンツはテキストや画像のデータで記録し、紙へプリントして読む、あるいは電子デバイスで読むなどの読書の方法は読者に委ねるべきとし、長尾氏は書籍のコンテンツをデータとして活用することに長けているデジタル技術で、これまでの人類の知識を効率的に活用することができる、と期待する。
 公共図書館に関わる二人の文章は、本書全体の傾向とは異なり例外的に「デジタル書籍」を歓迎するかのようで印象的だ。

 「デジタル書籍元年」からまもなく15年経とうとしている。あらためて「デジタル書籍時代」や本や読書について考えてみたい、と思わせる一冊。

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