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第26話 完璧主義が冤罪を生む。
この国では、日本の司法の不条理さ、日本の取り調べの過酷さを知っているものは極めて少ない。まして、その根本問題がどこにあるのか理解している人はほとんどいない。左派批評家を含めても。
しかし、冤罪被害者だけは別である。彼らはほんとうによく日本の司法を理解している。だから、彼らの話を聞いていると、ほんとうにうなずけるし、
すべての問題に一定の理解を与えてくれる。
そんな冤罪被害者の一人に会計専門家の細野祐二氏がいる。彼は、日本の「人質司法」の本質を次のように言っている。
現代司法の理念は、「100人の犯罪者を取り逃がしても、一人の冤罪も出してはいけない」であるが、「日本人は一人の冤罪も許さないし、一人の犯罪者も取り逃がしてはならないと思っている。これでは、検察も人質司法に頼ざるを得ない。そう考えると、検察もかわいそうなものだ。」
この言葉を聞いたとき、長く冤罪の原因を考えてきた私にとって、何か光を得て、すべてが解けたような気持になった。それほど説得力のある言葉である。
1人の冤罪も許さないなら、ある程度、有罪だろうと思われる人間を取り逃がしても、それは仕方がないことで、両方は無理だ。それは神の領域だ。
しかし、到底無理なことを、完璧主義の日本人は求める。有罪だろうと思われる人間を取り逃がすことを絶対に許さないのである。
そして、これが一番重要な事であるが、一人の冤罪も許さないことも、また逆の意味での完璧主義だ。
最高裁判所の国民審査の前に、マスコミは、審査対象の裁判官にアンケートを取り、それを公表しているのだが、冤罪に関するテーマの回答は、みなほぼ同じことを言っている。
「冤罪はあってはならない」
「あってはならない」とは非常に強い否定の言葉であるが、その言葉の裏には、「今現在は、冤罪はない」と言っているようなものだ。
この「あってはならない」という言葉を使う人は、一種の権威主義者で、例えば、学校の校長などが、いじめ問題について言うことがある。
日本のいじめ対策の根本的な間違いは、いじめを絶対的な悪と決めつけ、いじめをなくすことに目標を置いていることである。
だから、みな、いじめを認めず、隠すのである。そして対策が遅れる。
いじめ問題の本質は、いじめをなくすことを目標にする前に、まずは発見することを目標にするべきだ。
いじめは絶対的な悪ではない。発生自体は、人間社会では絶対にあることであり、それを放置することが問題なのである。
私は、いじめで不登校も経験した人間であるが、しかし、今までの人生で、だれも傷つけていないかと問われれば自信がない。だれだって、加害者になりえるのだ。
冤罪も同じである。どんなシステムを作っても必ず冤罪は発生するし、毎日でも発生している、今日もきっと起きている。そして、冤罪で死刑執行がされている。それを認めるべきだ。
それを認めて、初めてその対策がとられる。
しかし、最高裁の裁判官なり、法務大臣が、冤罪は常に起きているなどと言ったら、マスコミや国民から批判の嵐が起きることは確実である。
この日本人の潔癖症ともいうべき完璧主義は、もうそろそろやめるべきだ。
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