日本人は司法の限界を悟るべき。

未だに、「自民党裏金問題」に対して、検察とかに、追及が甘いとか、放置してるとか、忖度してるとか、批判を言う人がいる。

私は、検察が忖度してるとは思わない。本当は逮捕できるなら、逮捕したいのでしょう。でもできない。

今回、裏金問題で直接、嫌疑をかけられるのは、会計責任者であって、政治家本人ではない。政治家の関与があったどうかが問題になるが、それは「言った言わない」の話で、証明するのは難しい。
「秘書がやったことを政治家は知らないはずはないだろう」では人を有罪にできない。

また、今回3千万円という線で線引きしたようだが、それは過去の例から妥当だし、それ以下なら、検察の資源を総動員して、やっと調べて、結果が罰金刑で終わってしまっては、それはそれで国民の批判を受ける。

もうこれは司法の限界なんですよ。

過去の判例や、事実認定を捻じ曲げてまで、検察に訴追を求めることが本当にいいことだと思いますか?

日本人は何か、司法に、神のような絶対性を求めるが、「冤罪」の遠因って結局はこれだと思う。
無理なんですよ。

もうこれから先は、司法の問題ではなく、法律の問題、政治の問題です。
裏金問題に怒るなら、きっちり選挙で落としましょうよ。
結局、最後は国民の責任です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?