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第17話 裁判所は日本の司法を変えられるか?
冤罪のすべての責任は裁判所にある。人質司法の責任も裁判所にある。
本来、推定無罪に従い「疑わしきは被告人の利益に」を守らなければならないのは、裁判所である。裁判所が守っていれば、いくら検察や、マスコミ、国民が推定無罪を無視して騒いでも関係ないのである。
ところが、日本の裁判所は実に世論に弱い。世論の圧力によって判決が簡単に変わりうるのである。第一審で無罪判決が出て、マスコミが騒ぎ、上級審で逆転有罪になるケースが多々ある。
私は、量刑とか、法律の解釈とかは多少は世論の影響を受けてもよいと思うが、事実認定は世論は関係ない。絶対的真実として存在し、わからなければ、「被告人の利益」にするのが原則である。
そんな原則も守れないのが、裁判所である。
また、実際、裁判官が無罪判決を出すのは勇気のいることらしく、一生、無罪判決を出さない裁判官もいるらしい。また、無罪判決をたくさん出すと出世できないという。どこに推定無罪があるというのだ。
日本の裁判所の最大の問題は、検察や行政のチェック機関であることを忘れ、完全な懲罰機関、行政の追認機関に成り下がっていることである。
自分たちの職務も理解できない、大岡越前気取りの裁判所が、到底、日本の司法を変えられるとも思えないし。裁判所は自分たちに問題があるとは全然思っていない。
冤罪が起きたって、どうせ、警察や検察のせいにして、自分たちは悪くないと思っているのである。
これに裁判所の権威主義が合わさるので、どうしたって、裁判所自らが、今の日本の司法システムを変えることは無理だろう。一方、司法の独立があるから、政治の側から変えるのも難しい。
また、実際に日本の司法システムを変えようとする場合、裁判官の意識を変えるというより、取り調べの在り方とか、証拠の取り扱いなど、立法権や行政権の問題になるだろう。
しかし、もし、裁判官の意識を変える僅かな希望を見出すなら、例えば、裁判官になるためには、弁護士体験を課すとか、冤罪の科学的研究や心理学、論理学など、裁判官の科学的研修を充実させることが望まれる。前者は立法とセットであるが、後者は、裁判所独自でもできる。ぜひやってほしいところであるが、まず無理だろう。なにせ自分たちは絶対に正しいと思っているのだから。
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