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第1話 冤罪大量発生時代がやってくる

冤罪というと、自分には関係ないと思っている人も多いと思う。まっとうに生きていれば、犯罪とは無関係だし、仮に疑われても無実なら、ちゃんと説明すればわかってもらえると。

しかし、冤罪は意外と身近に存在する。よく話題になるのは「痴漢冤罪」だろう、最近では「虐待冤罪」も多く発生している、子供が怪我をしただけなのに、虐待を疑われ、逮捕され、勾留され、子供から引き離される。

そして、今、性犯罪に関する刑法が改正され、強要や拘束がなくても不同意性交が罪になろうとしている。私はこの改正には賛成である。当たり前である。親と子、教師と生徒など、立場に大きな差があれば、被害者はたとえ、不同意であっても、はっきりと抵抗の態度はとれないものである。

しかし、同意か不同意か、人の心の中の感じ方で、有罪か無罪か決まってしまうため、冤罪の温床になるのは明らかである。性交したときは同意であっても、後からあれは不同意だと言われてしまえば、まず、無罪を証明することは不可能であろう。よって、その時から犯罪者になる。

念のためもう一度、断っておくが、私はこの刑法改正には賛成である。法律というのは冤罪を生み易いからどうこうではなく、必要だから作るのであって、冤罪はまた別問題である。

間違って女子トイレに入ってしまったため拘留三か月

先日は、間違って女子トイレに入ってしまって、逮捕され、裁判にかけられた男性のニュースがあった。結局、トイレの男女のマークが男女共用と思われても仕方がなかったマークだったため、無罪になったが、3か月もの間、拘留されたのである。

最近は、警察など取り締まり当局は、国民からの批判に敏感になっており、かつては、うやむやにされたようなことでも、ちゃんと対応しないと大きな批判を受けるようになってきている。

痴漢にしろ、虐待にしろ、かつては警察はそれほど真剣には対応してこなかった、しかし、国民からの強い圧力のもと、どんな小さなことでも対応するようになってきている。もちろん、これは良いことである。

しかし、一方で、その反動というか、冤罪を生みやすい状況になりつつある。それに対して、日本の司法制度は、あまりにも非力であり、はっきり言ってしまえば、推定有罪が原則で、被告人が自ら無罪を証明しない限り、自動的に有罪になってしまう。

このように昨今の日本の世論は犯罪に対して、より厳しい態度をとるようになってきている。しかし、だからこそもう一度、冤罪について考え、それを防止するために文明がようやく獲得した推定無罪という概念について考えてみる必要がある。



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