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番外編 ケリー氏有罪判決。行為ではなく、心を裁く日本の司法の危うさ。

日産事件で、元役員のケリー氏に有罪判決が出た。日本の裁判官は、検察官のストーリーにそのまま乗る傾向が強いので予想はしていたが、やはりという感じだ。

この事件は、ゴーン氏の役員報酬を少なくする代わりに、退任後に顧問料をもらう約束をしたことについて、有価証券報告書の記載が適切かどうかという問題で、素人からすると非常にややこしい事件だ。ゴーン氏がけしからんという問題ではない。

結局、判決は、有価証券報告書の記載を、役員報酬を低く見せるための
「嘘」と断定し、有罪判決とした。つまり、ゴーンとケリーはけしからんという訳だ。

しかし、嘘かどうかは心の問題であり、行為としては、次の3点が、有罪か無罪の争点のはずだ。

●そもそも、まだ貰ってもいない報酬を、有価証券報告書に記載する必要があるかどうか。あるいは、退任後の顧問料が確定されたものかどうか。

●有価証券報告書に記載がないのは、虚偽記載なのか不記載なのか。不記載なら刑事罰ではなく、行政罰の話だ。

●顧問料を裏の役員報酬として断定するだけの根拠があるかどうか。顧問料自体に正当性があるかどうか。

しかし、これらの行為自体の議論よりも、被告に嘘の認識があったかどうか、結局、心の問題にして有罪判決が出た。

一般犯罪ならともかく、複雑な取引がからむ経済事件を心の問題として裁くのは非常に危険だ。

これが認められるなら、何でも有罪にできる。節税なんて、全部有罪だ。この取引はお前に悪意があるから有罪だ。と言われれば心の問題だから反論できない。

仮に本当に有罪だとしても、専門家でも意見が分かれる難しい判断で、いきなり逮捕され長期間拘束され、事実上すべてを失うなら、会社経営なんて怖くてやってられない。というのが本音だ。

以前、この連載で、日本人は犯罪者に反省を求めたがると指摘したが、まさに行為よりも心を裁く日本の司法の本質を表してしる。

感情が司法を支配していては、冤罪ばかりの世の中になってしまう。

検察のやっていることは本当に正義か。

コロナ渦で、日本がIT後進国であることが、浮き彫りになった。また、日本経済の低迷が、IT産業移行への失敗が一因であることも確かだ。

私は、いわゆる「ライブドア事件」が日本のIT産業の発展を阻害した要因は大きかったと思う。
あのころは、「これからは、ITの時代だ、金融の時代だ」と社会が盛り上がっていた。それに冷や水を浴びせたのが、検察による「ライブドア事件」だった。

検察に言わせれば、悪いことをしたのは事実だから。というだろう。

しかし、だれもがやっているようなことを、こいつは気に食わないといって、狙い撃ちのように逮捕・起訴するのが正義なのか。政治の世界でもやっている。検察が逮捕する政治家というのは、ある派閥に偏りすぎていないか。

これがはたして正義と言えるのか。自分たちの保身のためではないのか。

この日産事件もきっと、日本経済に暗い影を落とすだろう。

これでは、優秀な外国人経営者は日本にやってこないだろう。外国人は来なくてもいいという人もいるが、それは、外国から日本への投資は要らないと言ってるのと同じだ。

これから先、日本は本当に外国からの投資がなくてやっていけるのだろうか。

20年後には、日本経済は悲惨な状態だろう。それが20年前のこの事件に遠因があることに気づく日本人はほとんどいないだろう。それが最大の悲劇だ。





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