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第24話 最後の望みは「死刑執行冤罪」が明らかになること。

外圧も望めないということになると、もう奇跡を期待するしかない。

それは、死刑執行されてしまった冤罪が明らかになることである。そうすれば、さすがの世論や政治も動くのではないかということである。

無実の罪で死刑執行された人は必ず居るはずである。具体名はあげないが、そう疑われている件はいくつかあるし、今後死刑執行されそうな冤罪濃厚の死刑囚もいる。

しかし、死刑執行されてしまった事件の冤罪を、裁判所も検察も、そう簡単に認めるとは思えない。それこそ、奇跡的に、だれがどう見ても明らかな無実の証拠でも出てこない限り。

それと、仮にそのような冤罪が明らかになっても、死刑制度廃止だけが実現し、司法システムそのものは根本的に変わらないなんてこともありそうである。そうなると、死刑制度賛成の立場としては何も変わらない。

ただ、今の司法システムが温存されるなら、死刑制度廃止も致し方ない。

もうどうやら、この国では普通の先進国なみの司法システムを期待するのは無理なのか。

そこで、もう一回、基本に戻り、なぜ冤罪が生み出されるのか、なぜ司法改革ができないのか、その根本の要因を次回以降、探ってみたいと思う。そのキーワードは、「正義感」と「完璧主義」である。

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