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「お互い様」なんてのはあまり好きじゃないな

一見思い遣りの化身のような言葉、「お互い様」。

「お互い様ですから」って、良かれと思ってそう言ってくれてるかも知れないけど、果たしてそうだろうか?え、どっちの意味?ってならないか。ちょっとイヤミ入ってる?って。聞いてるこちらとしては、「あぁ、和やかになれそうだ、ホッ」ってなってたのに急に責めを負う恐れを感じ、「ウっ…」って急転直下する。

「ごめんね、だいぶ負担かけたよ、ありがとうね」

―いや、お互い様ですから


「…」


この時の「ごめんね」の気持ちとしては、「本当にゴメン!」ではなく、軽い「ごめんね」だ。なんなら状況の重大性から見て謝る必要がゼロに近い時の「ごめんね」だ。ちょっとした配慮、声かけのひとつ、「ごめんね」。そんな「ごめんね」はむしろ、言うことによって相手への返報の境界線を越え、ちょっと与えるゾーンに差し掛かる。フツーは謝ったら、マイナスがちょっと緩和されるがそれでもまだマイナスのままか、何とかゼロに(トントンに)戻すかのぐらいのものだ。しかしこの時の「ごめんね」はゼロからちょっとプラスに入る。お釣りがくる。

そんな感じの軽さで言った「ごめんね」に対して、

―いや、お互い様ですから


「…」
なんかせっかくプラスにはみ出たと思ったのにゼロに押し返されるというか、こっちが「お釣りは要らないよ」って言いたかったのに先に「お釣りはもらっとくからね」って。しかもそれがタクシーの運転手さんとかではなくコンビニの高校生新人バイトに言われたような、そんな気持ち。高校生新人バイトを見下してるのではなくて、高校生新人バイトが絶対言わない一言という意味ね。

自分が人にgiveできたと舞い上がったら、「それぐらいでgiveしたと思ってんなよ」って速攻で頬っぺたはたかれる。そんな気持ち。


そんな心構えで「ごめんね」って言ってることがバレたら全ての「ごめんね」が明日から通用しなくなるよね。

あるいは「お互い様」が、それだけ相手をハッとさせるパワーワードなのかもね。




相変わらず僕、ちっちぇえ…

そして伝わる…?