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怪しいと思うから怪しくなる。照れると思うから照れる。

看護部の新入職員のトランスファー研修で運営の補助に就いた。

「トランスファー」というのは日本語で「移乗」。ベッド⇔車椅子の乗り移りの動作を介助することを指す。

病院で車椅子の患者さんは、身体機能の低下のため、乗り移りに介助を要することがほとんどである。看護師や介護士、療法士は、基本的なトランスファーの技術を押さえておくことが必須となる。

看護部の新入職員に今年は男性がおらず、若い女性看護師を中心とした構成だった。

2グループに分かれて実技をやった。僕は運営補助なので、看護師長から研修実績の記録用に写真を撮るよう指示を受けた。

参加者同士でトランスファーを練習するさまに対して、渡されたデジカメで何度かシャッターを切った。海辺の高台に建つ病院で、周囲を遮るものは何もない。晴れた夕刻前、傾きかけた西日の影響で、僕は逆光を考慮する必要があった。

初めは遠慮がちに遠めから撮っていたが、ちゃんと撮るには近づいて窓側に回り、西日を背にしないといけなかった。

実技中の参加者の様子、指示を出す講師の療法士、待機中の参加者の様子、

僕は職務に忠実なカメラマンだ。

ふと窓の外に目を遣った。遠景の、きらきらと照り返す海と岬を何気に見ていると、いったい自分は何をやっているんだろうという気がしてきた。

指示通りにシャッターを切るだけだが、シャッターを切る行為と写真を撮る行為は、どうも非日常感が拭えない。

僕は職務に忠実に西日を考慮して窓側に回った。

きらきらと照り返す海と夕刻前の穏やかな岬が僕を責め立てた。慣れない撮影という僕の行為を、自然たちが嘲笑って見ていた。

僕はただ職務に忠実なだけだったが、最後まで、いったい何をやっているんだろう感は拭えなかった。

写真の出来映えは、可もなく不可もなくだった。
僕のスキルではなくデジカメの性能に依存した、そんな写真だ。

僕は写真家にはなれそうにない。