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一見社会に適応していても、心の闇は抱えている

心の闇への向き合い方は様々だ。

ストロングスタイルに「目には目を」で克服する方法
代替手段でケアを試みる方法
3大欲求で解消する方法
高次の文化的な手段で昇華する方法
そもそも向き合わないという方法

皆自分の方法を持っており、見えない形でやり過ごしている。
社会生活では表向きに出してこない。

僕から意地の悪さが顔を出す。
心の闇を引っ張り出してやろうというフシが、人付き合いの中で少なからずある。

この人の良いところは何だろうという考えと同時に、この人の心の闇は何だろうという思惑も進行していて、ある種Sっ気なのかも知れないけど、本質はMなんだけど、でもそういう思惑は働く。

僕には闇がある。みんなもあるんだろ。表向き見せてこないけどきっとあるはずだ。少しはさらけ出してみたらどうだい?って。

僕は出し切ってないのに他人に出し切ることを強要している。

まぁ、出し切ってはないけど過渡期だから、今。出し切っている工程の最中だから。だからあんま指摘せずに観といてよお願い。って。指摘?フィードバック?助言ね。苦手だからあんまり受け付けたくないけど聞いといた方が良いんでしょ?自分が削られるような気がする助言も、成長のためには厭わず聞くって、ほんとはしたくないけどまあ少しは聞くよ少しは。

とにかく
0か100か極端な話で、人付き合いは上手くないのに、どうやら、どうせ繋がるならちゃんと知っておきたい、みたいなエゴがある。あいだの30から80ぐらいでうまーくやらずに、人の心の闇を強要して晒すなど、ゴシップ紙がすっぱ抜く様で、好かれる要素どころか、サイキックな怖さがある。

だからなのか、前に出ることの快や怖さを知っている人と話すのは、一旦脱感作を経た人の削ぎ落された感じというか旨味があって、根拠はないけど何か僕の事も分かって見てくれている感じがする安心感と刺激が同居して嬉しい。みたいな。

そういう人はたまに出会うことがあって、そういう人との付き合いを、この社会生活では大切にしたいと思う。