Nakayama

私の一番の趣味は哲学です。定年退職した元サラリーマンです。ある国立大学の工学部電気工学…

Nakayama

私の一番の趣味は哲学です。定年退職した元サラリーマンです。ある国立大学の工学部電気工学課を卒業し、通信関係の会社に勤めていました。放送大学で、哲学のいくつかの課目を履修しました。その内容は殆ど覚えていません。哲学者の先生方から直接に学んだ経験は殆どありません。

最近の記事

ロシアとウクライナの戦争などについて別のブログを作りました。

私はロシアとウクライナの戦争のことを大変心配して、このところ、哲学をあまり考えていません。 ロシアとウクライナのことについては、別のブログを作って書いています。 https://m-hiroyuki.hateblo.jp/ https://m-hiroyuki-2.hateblo.jp/

    • カントの純粋理性批判への極めて素朴な疑問

      私は、唯物論を正しいと考えている。 それが正しければ、 人の心に起きる、感情や思考の現象は神経回路網の動作でしょう。 受精卵となった時は、心の現象はないに違いない。 受精卵から成長するに連れて、徐々に心の現象が発達し、その過程は連続的でしょう。 心の発達が連続的であるならば、24のカテゴリーという、離散的な特性が、ある時点で、心に生ずるとは考えられない。 最初はカテゴリーはない、ゼロであるでしょう。 ある人(A)が、受精卵から成長する過程で、Aの心の現象に、ある時点で、離

      • 全知全能の神は存在するでしょうか? その3

        物質からなる宇宙の全体を、全知全能の神が創ったと、一神教の宗教で言われています。 上記は真実であると仮定します。 神が宇宙を創る以前には、物質からなるこの宇宙は存在しなかった。 よって、神の一部や全部はこの宇宙の物質ではありません。 この宇宙ではない別の宇宙があるということは、ここでは考えないこととします。 物質ではない神が、 何かの材料を使って宇宙を創ったのであれば、 その材料は、なぜ存在していたか? という問題があります。 その材料を神が創っていたのであれば、 そ

        • 全知全能の神は存在するでしょうか? その2

          また、全知全能の神は存在しないでしょう、とバチ当たりの考えを書きます。 全知全能の神の能力を考えると、 真に真に、想像を絶する途方もない能力です。 自分が肉眼で見える物だけでも、真に膨大な物があります。 木の枝や葉っぱ、雑草の1つ1つ、人々の顔、服装、行動、 道路、車、自転車、各々の家、田畑、川や下水の水と生物、等々。 眼に見えない、コロナやインフルエンザのウイルスもあります。 地球全体を考えると、さらに膨大です。 全知全能の神は、宇宙の全体のことを137億年にわ

        ロシアとウクライナの戦争などについて別のブログを作りました。

          永井均先生の<私>の哲学を検討する その7

          (永井均先生の<私>の哲学についての検討は一段落しました。今後何か考えるかも知れませんが、今はありません。) 前回の記事と同じく、永井先生の下の文章から引用します。 https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/4008 (引用開始) 4 しかし、それらのもののうちある種類のものには心とか意識とか呼ばれるものがそなわっている、とはそもそもどういうことなのだろうか。 それはたとえば、すべてのカラスは黒いといったような仕方で、ある種類のすべ

          永井均先生の<私>の哲学を検討する その7

          永井均先生の<私>の哲学を検討する その6

          (今までのタイトルは野暮と感じたので、変えました。内容は続きです。) https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/4008 永井先生の上の記事の一部を引用します。 (引用開始) 4 しかし、それらのもののうちある種類のものには心とか意識とか呼ばれるものがそなわっている、とはそもそもどういうことなのだろうか。 それはたとえば、すべてのカラスは黒いといったような仕方で、ある種類のすべてのものにそなわっているのだろうか。そうではないだろう。

          永井均先生の<私>の哲学を検討する その6

          永井均先生の<私>の哲学が分かりません その5

          <私>の存在の比類なさ 著者 永井 均 勁草書房 1998年 28ページから引用します。 (引用開始) 宇宙が現実とまったく同じ歴史的経過を辿ったとして、そのときそこでその 両親から生まれ「永井均」と名づけられた人間は、私でないことも可能であった。 だが、なぜかそれは私であった。 なぜ、それが私であったのか、そしてなぜ、他の人間が私ではなかったのか、それはまったくの謎である。 はっきりしていることは、永井均を含む多くの人間を産出した現実とまったく同じ歴史的経過が、私を

          永井均先生の<私>の哲学が分かりません その5

          永井均先生の<私>の哲学が分かりません その4

          「事典 哲学の木」講談社  2002年 この本の1011ページから引用します。 (項目名は「私」で、この項目の著者は永井均先生です) (この項目の最初の部分からの、引用始め) 世界には、自己意識を持った生き物がたくさん存在する。私はそのひとりだ。 だが、私だけがーー私であるという事実によってーーほかの者たちとはまったく違うあり方をしている。 どうしてそんなものが存在するのか? そして、どうしてある特定の人物が、そしてその人物だけが、そういう違うあり方をしているのか?

          永井均先生の<私>の哲学が分かりません その4

          永井均先生の<私>の哲学が分かりません その3

          自分の心と自分の身体は、くくりつけられている。それはなぜか? という問題は、下のウィキペディアで説明されている問題と同じではないかと思います。この説明をさきほど見つけました。 ウィキペディア 「なぜ私は私なのか」 から >「なぜ私は私なのか」 (なぜわたしはわたしなのか、 英: Why am I me?) は哲学の一分野である形而上学、 または心の哲学の領域で議論される問題のひとつ。 >この問題は様々な形で定式化されるが、 最も一般的には次のような形で表される問題であ

          永井均先生の<私>の哲学が分かりません その3

          永井均先生の<私>の哲学が分からない その2

          心は、身体とくくりつけになっている。 自分の身体が叩かれたり、蜂に刺されると、痛みを感じる。 自分は、心で自分の身体を動かそうと思えば、そのことを実行できる。 例えば、手を上げる、歩く、歌を歌うなど。 他の人の身体のことは、 自分の心では、 蜂に刺されても痛みを感じないし、 動かすこともできない。 ◎身体と心とは、くくりつけになっている。 自分の心と他人の身体との間に、関係はない。 ◎それは、なぜなのか? ということは、哲学または自然科学の問題になり得ると思う

          永井均先生の<私>の哲学が分からない その2

          永井均先生の<私>の哲学が分からない

          永井先生の、<私>で表現している哲学が、どうにも理解できない。 まず、永井先生の思想の最初の部分を、森岡正博氏が解説した文を紹介します。 ===== 『<私>をめぐる対決 独在性を哲学する』=永井均、森岡正博・著 明石書店 この本の14ページに、永井氏の<私>について、森岡氏が下記のよう説明しています。 第1部 この本で何が語られるのか 〈私〉とは何か この世界にはたくさんの人間たちがいる。家族、友人、仕事仲間、見知らぬ多数の人々がいる。 それらの人間たちのなかで

          永井均先生の<私>の哲学が分からない

          全知全能の神は存在するでしょうか?

          全知全能の神の能力を考えると、 想像を絶する途方もない能力です。 誰でもよいある1人の人間の知っていることと、知る可能性のあることを、神は知っているはずです。 知らなければ、全知とは言えないからです。 従って、人類が発見した数学や自然科学の成果、 色んな作家、作曲家、画家が書いた文学作品、曲、芸術作品をことごとく、細部まで知っているはずです。 どこの家に、どんなゴミがどこにあるか、どんな大きさのゴキブリがどこにいるか、 すべての犯罪と犯罪者、 それらをことごとく知って

          全知全能の神は存在するでしょうか?

          全知全能の神は存在するか?

          キリスト教やイスラム教の、全知全能の神は存在するだろうか? 私は存在しないと憶測しています。 しかし、全知全能の神は存在しない証明は不可能かも知れない。 存在しそうにない、の説明はある程度できると思いますが。

          全知全能の神は存在するか?

          私の基本的な考え(書き直し)

          私の考えはかなり偏っていると思います。 私は唯物論を支持しています。 思考する、物を見るなどの、心に起きる現象は、神経回路網の動作であり、 つまりは物質の動きである、と考えています。 しかし、それを証明することは困難あるいは不可能かも知れません(★)。 それは正しいと仮定すれば、正しいことを証明できるのか、できないのか、 そのことを検討は可能かもしれない。 チャーマーズのハードプロブレムは、★のことではないかと思っています。

          私の基本的な考え(書き直し)

          私の基本的な考え

          私の考えはかなり偏っていると思います。 私は唯物論を支持しています。 思考する、物を見るなどの、心に起きる現象は、神経回路網の動作であり、 つまりは物質の動きである、と考えています。 しかし、それを証明することは困難あるいは不可能かも知れません。 チャーマーズのハードプロブレムは、そのことではないかと思っています。

          私の基本的な考え

          アカウント名を変えました

          SNSでのアカウントと似ていましたが、違うようにするために変えました。

          アカウント名を変えました