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02-ワークショップ、ファシリテーションって?

・その言葉から連想されるもの

あなたは「ワークショップ」「ファシリテーション」と聞いて、まずどんな風景をイメージするだろう?

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模造紙と付箋を用い、グループで話し合いをしているシーンや、

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対話の場面を思い浮かべる人、

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話しあう内容が見える化された中で会議をしている様子であったり、

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はたまた美術作品を観ながら対話しているものや、

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大勢で工作を手がけているアート体験であったり、

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自然の中で時間を過ごしているものかもしれない。

そのどれもがワークショップであり、ファシリテーションが発揮されている場面であり、これ以外でも様々な領域でワークショップやファシリテーション、という言葉が用いられている。中には、あえてワークショップやファシリテーションと言わず、プログラムやプロジェクトを構成している人もいるだろう。シーンや道具やツールも違うし、雰囲気も明るいものから重めのものまで実に幅広い。

ワークショップやファシリテーションとは何か?と考える前に、まずは自分がどの入り口からこの言葉に出会ったのか、ということには自覚的になっておきたいし、他の人は別の入り口かもしれない、という自明の状況を忘れないでおきたい。同じ単語で語っても、受けとめ手が想像する内容は異なり、解釈も微妙にズレが伴うのがワークショップやファシリテーションの世界である。

なんでもワークショップやファシリテーションとして捉えられる状況でもあるが、自身の居場所を全体から把握するために、中野民夫『ワークショップ』(岩波新書 2001.1/19)の19頁の図を参考にしたい(一部項目は私がアレンジしている)。

※「2、まちづくり系」内にコミュニティデザインという単語を追加
※「3、ソーシャルイノベーション系」としているが、元は「3、社会変革系」
※「6、内省系」としているが、元は「6、精神世界系」

ファシリテーションって?

これらの領域がワークショップの全てではないのは先述の通りだが、このように多様であることは一旦、理解しておきたい。

ではその上でワークショップとファシリテーションとは何か、ということに触れていこう。

・ワークショップって?

ワークショップの語源は「工房、作業場」であるが、時代と共に多くの意味が付加されるようになってきているが、改めて中野民生『ワークショップ』の定義(11頁)「講義など一方的な知識伝達のスタイルではなく、参加者が自ら参加・体験して共同で何かを学びあったり創り出したりする学びと創造のスタイル」を一つの芯としたい。

”一つの芯”と表現したのは、ワークショップのことを語る言葉が実に多様にあるからだ。私自身、「一体、ワークショップとは何?」と思い、色々著作を読み漁ったのだが、至った結論は「大なり小なり言葉が違えども、だいたい、みんな同じことを言っている」だからである。そのため、自分が一番影響を受けた本が定義する言葉を芯にするのは、当然の流れだと思っているし、また逆に私自身が自分の言葉で語ることも大事なんだな、と思ったので、以下は私なりの「ワークショップ」観である。

それは「ワークショップとは共振・共鳴する場、わかちあう場」である。

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工房を意味する「ワークショップ」という言葉がなんであてがわれたのだろう?
工場を意味する「ファクトリー」ではなんでないんだろう?

とシンプルに考えたとき、「できあがりの形が決まってない」「やりながらできあがりを作っていく(見つけていく)」「大量生産ではない」ということだ。複数人で、あれやこれやとできあがりを探していく過程を「ワークショップ」と表現するならば、お互いが影響しあったり、触発されたり、交流したり、知見を共有したり、ということが必須であろうことから、つまりは「共振・共鳴・わかちあう場(条件・環境・雰囲気)が整っていることがワークショップってことよね?」と一言にまとめた時、かなり自分の中でしっくりくるものがあったからだ。

(全くの余談ではあるし、誤読かもしれないが、坂本龍馬が西郷隆盛を評した「大きく撃てば大きく響き、小さく撃てば小さく響く釣鐘のような人物」というのは、極めてワークショップ的だなあと思う。ワークショップやファシリテーションを自分の芯にしながら活動していると、相手次第でパフォーマンスの差がすごくでるのを実感する。それは熱量の差であったり、私に求める役割が違っていたりすることが要因だろうけど、そのたびに、「自分一人では本当にできることは小さい…」と思ってしまう)

・ファシリテーションって?

では「ファシリテーションとは何か?」とについても触れていきたい。堀公俊『ファシリテーション入門』(日本経済新聞出版社  2004.7.16)からの引用になるが、「ファシリテーション(facilitation)の接頭辞であるfacilはラテン語でeasyを意味します。「容易にする」「円滑にする」「スムーズに運ばせる」というのが英語の原意です。人々の活動が容易にできるよう支援し、うまくことが運ぶようにするのがファシリテーションなのです」(21頁)とある。さらに一言で「集団による知的相互作用を促進する働き」(21頁)とも表現している。ファシリテーションにおいても様々な表現をする人や本があるが、これも先ほどと同じように、自分が一番影響を受けたこの本の定義を採用したい。

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では、集団でどんな知的相互作用を促進するの?という点で、同頁にこう書いてある。

「問題解決、アイデア創造、合意形成、教育・学習、変革、自己表現・成長など、あらゆる知識創造活動を支援し促進していく働き」

どこかで見覚えのある単語が並んでいるなあ、と思えただろう。先述のワークショップが生かされる領域とほぼ同じであることがわかる。つまり、誤解を恐れずに言えば、ワークショップという場(舞台)で、集う人たち同士の学びと創造を促進・触発する働きがファシリテーションである、ということだ。

・ワークショップとファシリテーションは学びと創造の両輪

そのため、私は本コラムではワークショップとファシリテーションを学びと創造の両輪として、双方に必要不可欠な役割・働きである、とする。そして二つの違いをどう語るかであるが、ワークショップを「場の領域」、ファシリテーションを「人の領域」と位置付ける。

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「場の領域」とは何か、ということであるが、「共振・共鳴・わかちあう」ための環境や場面、状況をいかに作るか、ということがワークショップの芯であり肝であることから、場(会場)、プログラム、全体構成(プロセス)、アクティビティを支える仕掛けの数々といった構成部分を主に指す。

「人の領域」に関して言えば、ファシリテーションは「集団による知的相互作用を促進する働き」と意味することからも、たちふるまい、心がまえ、コミュニケーション、対人関係といったマインドや行動、関係性に関する部分を主に指す。

もちろん、ワークショップもファシリテーションも重なる部分は数多くあるが、一旦、両者をこのように分けることから、細かく解像度高く理解できると考え、便宜的に位置付ける。

・広義のワークショップとファシリテーション

さらに言えば、以下の図のように、ファシリテーションはワークショップに内包されているイメージを持ってもらえるとよりわかりやすく捉えられるかもしれない。

ワークショップが構成をデザインし、ファシリテーションは、構成をいかに活かし、効果的にするか、ということである。そのため、理解しておきたいのは、ワークショップとファシリテーションは掛け算のような関係でもある、ということだ。ファシリテーションばかり気をとられていても、ワークショップのデザインが至らなければ、パフォーマンスは落ちる。それぞれに5段階あるとすれば、どちらかが最高レベル5であっても、一方が全くできてないレベル1であれば、総合力は5である。どちらも3、4レベルであれば、9〜16は発揮できる、というように理解しておくと、両方に気を配ることになるだろうし、スペシャリストにならなければいけない、といった気負いも幾分か減るのではないだろうか。

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また内包された図にあるように、ワークショップを狭義と広義に分けている点にも注目してほしい。

ワークショップを場のデザインとして「場(会場)、プログラム、全体構成(プロセス)、アクティビティを支える仕掛けの数々といった構成部分」と表現したが、いわゆる一般的なワークショップのイメージは講座、会議、ゲームといった1日や時間が区切られたプログラムをどう構成するか、といったものを指すことが多い。その中でどのような構成を仕掛けていくか、ということが狭義のワークショップであるが、連続回数の講座自体の流れや、プロジェクトのプロセスにとどまらず、学級運営として12ヶ月をワークショップと捉える場合もあるだろうし、10年以上続くようなコミュニティの活動もワークショップの考え方で構成的に捉えることは可能で、いわゆるワークショップの意味に準じた全ての活動を広義のワークショップと表現する。

これはなぜかというと、ワークショップデザイナーと自覚している人が「あえて、ワークショップやファシリテーションという言葉を使いません」という活動は比較的広義なワークショップの環境に位置付けられていると思うし、中にはワークショッププログラムの構成だけ考え、ファシリテーターは外部に依頼したり、アウトリーチでアーティストを派遣する際のプログラムづくりやコーディネートまで含めた内容も構成デザインに関わることからだ。

ワークショップに関しては広義と狭義と分けることで、かなり立体的にワークショップデザインに関する思考が深まることから、そこまでワークショップの領域である、と位置付けることにしている。

もちろん、ファシリテーションも狭義のワークショップだけでなく、広義のワークショップにも求められることから、究極的に言えば、ファシリテーションは365日24時間のたちふるまい、心がまえ、コミュニケーション、対人関係にまで関係するのである。だからこそファシリテーターは人の数だけファシリテーターの形がある、と言われる所以であろう。

今回のコラムはワークショップ、ファシリテーションが意味されること、活動領域、双方の必要性、さらには拡大解釈することが立体的に考えられるところまで述べることで、「ワークショップって?ファシリテーションって?」という前提部分を述べてきた。

それでは次回は、ワークショップやファシリテーションがなぜ必要なのか、どのように発揮していくのか、何がうまれているのか、という部分に触れていきたい。


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