子どもを相手にするということ

身近にいながら理解が非常に難しい存在、その名は「子ども」。憎たらしくも愛おしい、なんとも味わい深い「子ども」という存在について、今回は語っていきたいと思います。

 今から10数年前、当時20歳だった私の初めてのカウンセリング相手は子どもでした。大人のカウンセリングより、子どものカウンセリングの方が簡単かと言えばとんでもない。人形をぶつけ合いながら遊ぶその子に付き合うと、いつも私の手は爪の付け根から出血しており、「なんでこんな思いしてまで相手しに行かなあかんねん」と思いながら、気が付くと2年が経っていました。私が大学の卒業を控えて、その子ともお別れの時がやってきましたが、最後に残してくれたのは、ホワイトボードに記された「ありがとう」のメッセージでした。文字通り、血のにじむ思いをしながら関わってきましたが、その瞬間にすべてが報われたような気がしました。今になって考えると、その子自身、血を流すほどの傷つきや苦しみを抱えていたのだと思います。それを共に味わい、目を背けずに関わり続けたことが、その子にとってのケアになったのだと勝手に思っています。

 また、このブログを見てくださっている方の中には、絶賛子育て奮闘中の方もおられるかと思います。それでは、我が子との関りはどのようにすればいいのかという疑問もわいてくるでしょう。大事なのは、親子関係の中に、しっかりと安心感があるかどうかです。安心感があることによって、子どもは親の前で、ありのままを吐き出すことが出来るのです。そこで「吐」という字に注目してみてください。分解してみると、「口」と「+」「-」になりますね。子どもと関わっていると、子どもの「口」からは「+」なことも「-」なことも語られます。ここで「-」なことを丁寧に取り扱うのは、大人にとっても「辛い」ことになります。しかし、ひと踏ん張りして子どもの「-」な感情を預かってあげてください。そうすると不思議なことに、「吐」き出したものから「-」を預かってもらった子どもの思いは「叶」い、「辛」さも顧みずに「-」を預かった親も「幸」せになれるのです。言葉遊びのように思うかもしれませんが、この「遊び」もまた、親子関係に不可欠なものに思います。

 ここまで語ってきましたが、子どもとの関りは良し悪しで計れるものではないと感じています。「正しさ」よりも、その子に合った関りが出来るかが重要で、そのためにも、子どもにとって大人が「豊かな」存在でありたいものですね。

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