身体を「鍛える」と表現するのはやめたほうがいい。
本日の板橋武研。
今週も八卦掌を徹底掘り下げ。
先週は木刀を持っての「八卦掌的ゆっくり自由攻防」をやったが、今週は細い棒を「杖」に見立てて「八卦掌的ゆっくり自由攻防」をやってみた。
木刀や杖で「ゆっくり自由攻防」をやると、八卦掌を実戦で使ったときにどういうことが起こるか掴みやすい。
そしてふと思い立ち、杖を持って八大掌をやったら、ピッタリ合うことがわかった。
新套路「八卦杖」爆誕^^
棍だと長すぎる気がする。
次は棍で検証してみるか…
八卦掌の武器というと双剣、双刀、子母鴛鴦鉞などの「2個持ち」が多いが、「両手で一本を掴む」形の武器も非常に八卦掌になじむ。
それにしても、走圏と八大掌だけでこれほど「遊べる」とは。
汲めど尽きぬ豊潤な泉。
走圏や八大掌がこういうものであることに、なんでもっと早く気づかなかったのだろうか…。
それが私の才の無さと言われればそれまでだが、ひとつ言えるとすれば、武術に向かう基本姿勢の問題だと思う。
とにかく「鍛える」という言葉がアカン。
身体について「鍛える」という言葉を使うのはやめたほうがいい。
この言葉は身体に向かう姿勢を思考停止させる。
走圏を「下半身を鍛える練習」などど表現してしまったら、そこで走圏は死ぬ。
まさにこういう思考だったから、私は長年走圏が理解できなかった。
身体に向き合う上で適切な言葉は、以下のようなものだ。
・身体を探る
・身体を観る、観察する、観測する
・身体を経験する
・身体を味わう
・身体を楽しむ
武術で、身体を楽しみましょう!^^
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